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李商隠《夜雨寄北》の「何當共剪西窗燭,卻話巴山夜雨時」では、詩の時間が俯瞰的に解体されているようにもおもえるが、《錦瑟》の「此情可待成追憶,只是當時已惘然」にもそれはあるのかもしれないと、『李商隠詩選』の解釈をみてかんがえた。

両詩には、近体でありながら同字を複数回使用するという共通点もあるが、それが李商隠詩のなかでどの程度特殊なのかはわからない。

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