塊根植物をお迎えしたので観察記録をつけることにした。日が差してきたら外に出そう。

最近はこんなものをつくったりしています。

Twitterより書ける文字数が多いから、こっちの方が足りない頭や文章力を鍛えられる気がした。

 小説の作者は、小説の中の「この花」というイメージを、読者と深層意識の中で共有するために表現をするのかもしれないと思うなどした。小説を読んだ個人の認識というわけではなくて、この本、この表現、でしか現出しない「花」がある。それは作者と読んだ人の深いところで繋がっているのかもしれないと。これが井筒の言う普遍的「本質」から個的「本質」への転成ということなのかな。ただ「花」と言葉にすればいいわけではなくて、作者の結晶させた詩的言語でなければ、この共有はなしえないのでは。

などと頭をうんうん唸らせて考えていた。

井筒俊彦『意識と本質』本当に少しずつではあるが読めるようになってきた。

出先でふらりと寄った本屋で装丁に一目惚れして買った滝口悠生『長い一日』がとてもよかった。気づいたら読み終えてしまっていた。日記のような、エッセイのような感じで淡々と日々が綴られていくのかと思いきや、語る人物や視点が目眩く入れ替わり、気づけばいつのまにか自分も小説の中に放り込まれているような、不思議な読感の小説だった。語り手や登場人物の気持ちだったり詳細に語られる情景が身体の中を川の流れのように巡ってくる。この作者の本をもっと読んでみたいと思った。 

今年の読書は大きく背伸びをしてこの本から。
1ページ読むのにめちゃくちゃ時間がかかっています。。 

取りて読め。読む。読んでしまった。

療養生活4日目は、カフカの短篇集と佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』を交互に読み進めながらよく眠った。切り取れ〜はあと2章で読み終わるが、きっとまた頭から読み直すだろう。

流行り病で明日から宿泊療養となり、持っていく本を決めあぐねている。『オーバーストーリー』を読み切る!というつもりでいたが、自分が背伸びして買った積読本を修行のつもりで持っていくというのも面白いなと思う。

SNSや読書会をを通じて、読みの世界がどんどん広がっていった嬉しい1年だったなぁ。自分だけでは知りえなかった世界を知れた。

ナン・シェパードの『いきている山』も少しずつ読み進めたいし、ゼーバルト、ブリクセン、トレヴァー、マクラウド、オンダーチェなど読みたい作家さんの本がありすぎて幸せです(苦しい)

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この年末年始はパワーズの『オーバーストーリー』を読みます。

『アラブ、祈りとしての文学』を読んでいて、著者の読みの深さ、それを言語化して読者に伝える聡明さに息を飲んだんです。

なにか感じているということは受け止めているのだと思うけど、上手に言語化できないんだよな。みなさん文章についてどんなふうに勉強しましたか?

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自分の文章の下手さを言語化できない。ということは感動した本や文章についても言語化できていないということではないか。。と淋しくなってきた。

よっぱらいクリスマスケーキつくり野郎(今のところ砂場です)

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