長考はどうだろう。長考してしまうのだ。元の性格がトロくさいのに輪をかけて、脳がぼんやりして、食べ他人から見たらちょっと様子がおかしいくらいだと思う。
性格面でそうだから何事もせっせか動こうと頑張るのだが、ASDのサガか「焦っていて不自然で気持ち悪い」印象を与えるのだ。だが不自然な急ぎさえやらないと、許容し難いほどトロい。
長く生きていてずっと人を困らせている事柄なのに、まだ解決策を見つけられていない。許しがたい。解決せねば、社会とか人々とか半径5メートルの世界は受け入れてくれない。
改めて対策として数点言語化しておく。
まず疾患としての鬱状態を治療する。気の持ちようややハックや環境調整ではどうにもならない脳の病気だ。問答無用で曇る。しかし、治癒すればある程度思考の晴れた状態を維持できる。
二つ目に、予定の範囲内の行動は想定し、必要であれば練習すること。今回は具体的にはこの事項だ。理解と習熟である。
三つ目に、さて、自分の雰囲気や立ち振る舞いの異常さ。自分で客観的に観察するのは難しい。整体師に体幹や姿勢に効くセルフケアを聞き実行している。それ以上は…ファッションや顔立ちや話し方は…うーん
私は時系列で物事を記憶する特性が強い。
メモだとかノートだとかには各項の頭に2/14といったように日付を入れている。メモの書き方は文章として整理されておらず、図やイラストが入り、他の人から見たら至って散漫だ。しかし自分でそれらを読み返す際に、この日に何があったなぁ、他の人とはあんな話をして、こんな気分でメモをとって、と「場」の記憶が引き出されるのだ。すると、書き記したこと以上の仔細を話し始めるので、会話の相手に驚かれたりする。
頭の中の数直線状の時間の道筋を遡るのが、私にとって自然でやりやすい記憶の思い出し方だ。
つまり、Twitterが時系列順の表示を崩すのは、多くの方の利便性の低下に加えて、私の認知特性と噛み合わない使いづらいツールになるということだ。
投稿日時の順序で並べてくれ。そういうツールの方が落ち着くと言うだけだ。好悪より先に、足に合う靴かどうかといったような話だ。
人々の心にふわふわのねこちゃんがいますように