フォロー

友人の信濃さんが、ご自身のお子さんと小雨が降る中、砂場で遊んでいた。どこからともなく別の子供がやってきて、同じように遊び始めた。共同作業をするでもなく、その雨具もしない子供と信濃さんのお子さんは一心不乱に砂を掘っては埋める遊びをした。その姿を見て信濃さんは、ああ、そのあり方を幸せだとタグづけする必要もないなと思ったそうだ。幸せかどうかを考える必要のないところにもまた、幸せはあるのかもしれないと思ったそうだ。
僕はそれを聞いて、それは一体どういうことなのだろうと興味を持って考えた。全くの仮説だけど、それは無心なんじゃないかと思った。というわけで、今、無心について調べている。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。