鶴丸国永の愛って基本的に「年長者から年少者へ」という形をとっているんじゃないかなあと最近は思っている、それは主に対しても例外ではない うちのはかなりドライな個体だけど、目下のものへの気づかいや人間への愛情は意外なほどしっかりと持っていることに気づいた

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一方的にきまぐれに与えるものが鶴丸国永にとっての愛であると感じているので、大倶利伽羅の無償の愛、隣人への愛を受け取ることは鶴丸にとって貴重なものである…という話をめちゃめちゃしてしまうね…見返りを求めないという点では両者は類似しているのだけれど伽羅は与えようと思ってそうしているわけじゃなくて、「そうせざるを得ない」性質であるところが一番の相違点である

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