仕上げの洗髪を終え、ドライヤーをかけてもらっている時だった。磨き上げられた鏡ごしに、ノックも挨拶もなく、誰かが入ってくるのが見えた。
ずいぶん大柄な人だ。おまけに、とんでもない男前である。
目を丸くした私に、美容師の彼は素知らぬふりで仕上げのブラシを使う。
突然あらわれた美丈夫は、私の存在など気にも留めず、ぬしぬし室内を横切って仕切りの奥へ消えた。
しばらくして、紙袋を持って戻ってきた男は、やっと客の存在に気づいたのか僅かに片眉を上げた後、悠然とした足取りで美容師に近付くと、ドライヤーを片付ける彼の肩に手をかけ、ぐっと顔を近づけた。
そして、なんとその頬へそっと唇を押しつけたのだ。
「!」
飛び出しそうな声をどうにか飲み込んだ私は、鏡越しに男と目が合った。薄い緑色をした綺麗な瞳だ。見惚れると同時、向けられる威嚇するような鋭い視線に戸惑ってしまう。
あの、私は、何の取り柄も下心もない、ただの客です。
「じゃあな」
男は、名残惜しそうに美容師のつむじへキスを落としてから、来たときと同じようにぬしぬしと出て行った。
美容師は、僅かに顎を引いただけで返事もしない。かわりに私へ「マッサージをしても大丈夫ですか?」と優しく微笑みかけたのだった。
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#承花掌編
さっぱりした私の頭を見て、家人はとても良いと褒めてくれた。そして、店の雰囲気はどうだったかとソワソワして聞いてきた。自分の好きな店の評価は気になるものだ。
そこで私が、気に入ったのでぜひ次も行きたいと素直な感想を述べると、彼女は嬉しそうに頷いたのだが、「そういえば」と件の美丈夫の話をした途端、様子が一変した。
目をまん丸に見開いて眉をつり上げ、口元を抑え、聞いたことのない嗚咽のような呻き声のようなものを上げつつ、その場へ崩れ落ちてしまったのだ。一体なにが起きた。
うろたえる私の足下に倒れ伏した彼女が、絞り出すように言った。
「まさか今日が、その日だったなんて……ああ私が行けば良かった……ッ」
それきり、何を聞いても「ずるい」の一点張りで教えてくれない家人がようやく口を開き、私が件の美丈夫と美容師青年の関係を知るのは、このあと三度目の予約時であるが、それはまた、後日。
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