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毎年、1〜5度ぐらいを想定した寒冷地向けの格好をしてるんだけど、今年は実家の犬がもういないので朝夕の散歩がないのと、日中わりと暖かい感じなので、出かけるときに服が合わない。

カールに「うす味」というものが出ていることを知った(西国なので)。

Netflix『終わらない週末』、映画としてはまぁまぁかな程度の評価なんだけど(ただTeslaのあれは笑った)、こういう「なんともいえない分断と終末の予感」みたいなのが昨今のアメリカのうっすらとした空気としてありそう、という意味ではリアルな感じがすごくした。もっと言うと、「なんともいえない分断と終末の予感」を前にしてモタモタしてる、みたいな感じ。
オバマ夫妻がエグゼクティブプロデューサーやってるのも(原作ファンらしい)、まぁそういう「空気を感じ取って」ってことなのかも。

あとアメリカ人のなかにある孤立欲求(独立した自由の保持と排他性)と孤立恐怖(コミュニティ維持への熱意)みたいな、矛盾した感覚が細かなエピソードにとてもよく出てると思った。

ドラマの『アストリッドとラファエル』で、たこつぼ型心筋症がtako-tsubo cardiomyopathyだということを知った。
日本で見つかって、日本で命名されたらしい。

海外には患者などの会Takotsubo networkなるものもある。ネットの蛸壺化はよく言われるけど、蛸壺ネットワークはすでに存在していたのであった。

毎年の子供へのプレゼント、大きくなってきて選ぶ苦労が減った分、楽しみもすこし減った感じ。

アメリカAmazonが円安+輸送量アップで前ほど使いやすくなくなって、アメリカのへんてこ玩具から選ぶという楽しみが減ったせいもあるかも。

子供が料理本の中の「やわらか肉じゃが」に付箋つけてたので、肉じゃが作るときに開いてみたんだけど、「やわらか」についての記述は一切なかった。
ただの肉じゃがレシピだった。

年末というのはいったいいつからなのか。

Bingの検索だと「12月半ば」「一般に12月20日から」みたいなまとめがトップに表示されるんだけど(どっちなんだ)、Bing chatに聞くと25日からだという。

ちなみにBardは「暦上は31日、日本では一般的に28日以降」という答えだった。
ええ……。

オスプレイは少し前から事故多発でアメリカでもニュースになってたし、そのなかで「オスプレイのおかげで助かった命もたくさんある」という退役軍人の擁護もあったんだけど、まぁそれにしても死亡事故多いわけで。

言葉を取り繕ってどうにかなる話ではないけど、今の政府はそういうの多いな。"処理水"とか。

【Threads定期】

Threads、わりとシリアスな話も流れるようになってきている。
けれどもなんか「いい話」みたいなのもたくさん流れていて(Twitterにもよくあるやつ)、そういうSNSお手軽いい話とかを続けて見てると胸やけというか

あんまり細かく分析する気にもなれないけど、なんだろう、いい具合にウオッシュされてる感じ、つまり広告業界臭、がやはりするんだけど、それは「実際にそう作られている」というよりも、なんかSNSに生息してる人たちのなかでも"最適化"された人たち、という印象もある。
なんかもうそういうテキストしか吐き出せない、みたいな。

Twitterも最適化された人たちがたくさんいて、それはつまり言説の量産ということでもあるんだよな。
Twitterのぐるぐる回ってる感。

しかしまぁ昔も「マンガじみた」みたいな言い方をすると、「マンガをバカにするのか」的なことを言う人はいた。
今いないのは、マンガというメディアがそんなことを気にする必要がないほど存在として巨大化したということであって、つまり逆に、わりと零細な、マイナーな文化周辺の人らはそういう言い回しを気にしてるっていうことなんだよな。
かつてのマンガ周辺みたいに。

ただ、だからといってそういう言い回しをすべてやめるべきかというと、あらゆるメディアにつきものの愚かしい、あるいは滑稽な部分というのはあるわけで、そこまで(言われる側が)気にする、苛立つというのはどうなんだ、そしてそれを言う側が配慮するのもどうなんだ、という気もする。

ファンというのはわりと対象(と自分の気持ち)をすべて善的なものとして扱いがちなわけだし、一方の言ってる側、たとえば「プロレスしてる」と言ってる場合のプロレスっていうのはプロレスの最上の部分、または全体を指してるわけではなくて、ちょいダメなところをイメージしてるわけだし。
そういう噛み合ってなさ、みたいな。

曇ってきたな。冬っぽい気温というほどではないけど、風がある

硬めの話とかはbsに書いて、こっちはゆるい話にしよう(帝国発布植民地政策綱領)

こういうものが出てくるのも、やはりSNSというかTwitter環境の悪化みたいな雰囲気をあらわしているんだろうか
sizu.me/home

しかし「有益な情報を書くことはあまり求められていません」と敢えて書いてるのは面白い。これはblogの衰退とも関連しているような感じがする。

エッセイ的なものを書く場所、というのにどういうものが求められているか、自分では書かないのでよくわからないけど、noteのキラキラでスカスカしたテキスト群とは違うのかもしれない。

まぁ古のテキストサイトみたいな孤立した個人サイト(ゆるい横のつながりはあったが)みたいなものが、そういった個人のエッセイ的な「好きなもの」を書く環境としては結局よかったのかもしれない。
そこらへんの敷居を低くしたのが初期はてなダイアリーだったろうし、そこから「つながり」の方向へと発展してしまったのが衰退への一歩だったのかもしれない。

エッセイ、個人の内側へ向かうものだとすれば、外側へ開きすぎている環境というのは向いてないのかもしれない。あくまでイメージだけど。

開けた草原で書くよりは、洞穴とか小屋で書いたほうがいいものが書けるような気がするじゃんか。

シナチョフ さんがブースト

しずかなインターネット https://sizu.me/

“しずかなインターネットは、日記やエッセイを書くのにちょうどいい、文章書き散らしサービスです”
“ここは、Twitterやnoteのような賑やかな広場ではありません。ここは、あなたのパーソナルな部屋のようなものです。部屋に文章を置き、通りかかった人が部屋に入って自由に読むことができる… そんなコンセプトで作られました”

そば屋うどん屋はたくさんあるのに、そうめん屋がほとんどないのはどういう理由なんだろうな。
立ち食いそうめん、みたいなのがあったらそこそこ客が入る気がするんだけど

あちこちにSNSのアカウントを作っておくというのは、植民地惑星を増やしていってるみたいな感じがする

(植民地惑星を増やしていくのを感じる、ということの主体はなにかと問われると困るけど、て、帝国?)

シナチョフ さんがブースト

「10/26午前1時頃近鉄長瀬駅付近を一人で歩いていたところ、長瀬駅前交番の警察官三人がやってきて「デモのやつだ」と言われ押し倒されました。その後、警察官の一人に一分ほど首に馬乗りなられ息をできなくされました。警官が首に馬乗りになることによる死亡事故は世界各地で多発しており、私も一歩間違えれば死んでいたかもしれません。又、別の警官が馬乗りになっている警官に対して笑いながら、「それくらいにしとけよ」と言いました。これは人の生命、尊厳を踏みにじる行為です。絶対許すことは出来ません。その後、首を圧迫されていたせいで嘔吐してしまいました。これを見て、警官達は「酩酊しているから保護すると言い出しました。私は「酩酊していないし自分で帰れる、取り敢えず共に行動していた人に連絡する」といいました。そして、私が知人にスマホで連絡しようとしたところスマホを取り上げようとしてきました。私が取られまいとスマホを握ったところ「保護だからこれは警察のものだ、放さなかったら強盗だ」と怒鳴られました。そして私はパトカーに乗せられて布施署に連行されました」

note.com/kdu_seiken/n/n3f1fdd6

個人的にはAIにはドンピシャな画像をすっと出してくれるよりも(それもありがたいが)、奇想画家みたい絵を出してくれるほうがうれしい

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