伊藤野枝の人生を扱った「風よ あらしよ」を読んでいるところ。足尾銅山鉱毒事件に対する政府のやり方が今も明治時代も同じで驚く。政府は村民と対話することを放棄し、反対派の家々を破壊。わざと洪水を起こして、土壌を汚染させる。

細かいところはもちろん違うけど、上から押さえつけて、無理やり言うことを聞かせようとするのは同じ。

明治時代からちっとも進歩していないのね。

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野枝は心を痛めるんだけど、当時の夫辻潤は、他人に同情したところで何も変わらないから、考えるだけ無駄だと言うんだよね。人のことより他に考えなければならないことがあるだろうと言う。

どうせどうにもならないんだから、政府の言うことに従ってさっさと村を出ればよかったのだ、彼らは物事の道理が分からず愚かな人間だ、と言う。

既視感ある。

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