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母方の祖父は創り酒屋の丁稚奉公に来ていた。そこの長女と結婚、造り酒屋戦後の減反政策で廃業、祖父は器用で手足を使うことには努力家だったので、カメラに興味を示して営業写真の弟子入りをして、実家を写真屋に改造。その長男と母も、写真の道に進む。母は、前回の東京五輪の際(1969年だっけ?)ちょうどどこかに弟子入りして仕事していた。母は、体力もあり、運動部に所属していた私の兄にすら腕相撲で勝っていた。結婚式のアルミの雛壇や機材など、とても重いものをたくさん担いで走り回っていたから。

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