WW2における日本の被害者意識、銃後の人たちが戦争末期まで割と呑気な生活してたというところもあるかも

『冤罪と人類』において紅林麻雄を形作ったとして紹介されている『浜松事件』の項目に書いてあります。(Wikipediaには『浜松連続殺人事件』として項目がある)この事件は1941〜1942年の間に起こったとんでもない事件です。マジでやばい。ただ、どうやら警察は最初、帰還兵が犯人と目星をつけて捜査していたらしいんです。これは全国的にそういう傾向があったらしく、帰還兵が犯罪を犯しやすい理由として『日中戦争が泥沼化、上官は「銃後のみんなも頑張ってるんだからお前らも頑張れ」とハッパをかけるものの、徴兵期間を終えて帰ってみればみんな浮かれポンチで景気すら良くなってて、それに対する不満が溜まっていた』との認識があったからだそうです

んまあそしたらパンピーが被害者意識でいるのも仕方ねえかなぁと思いました

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なんでそんなギャップが生まれたのかというと『徴兵率の低さ』と『日本軍の学歴重視』があったそうですよ。なおこの時代には上官に対する『下剋上』として上官を撃ったり切ったり殴ったりという事件もまあまあ出てたらしく…(軍隊の規律とはァ?!)

んでまあなお悪いことに上官も花柳界で遊んだり飲んだりしてたから余計…

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