「耳の穴かっぽじって聞け!」濱田祐太郎さん出演回 

https://tver.jp/lp/episodes/ep6m68nf8u
井口さんのコメント鋭い
いわゆる健常者の芸人の場合、売れる売れないは基本的に「面白いかどうか」の話になる(お笑い芸人として以外の形で売れるケースは便宜上割愛)
でも障害のある芸人の場合は、そこに「売れないのはそもそも障害者が世に出にくい社会だからでは」という観点が加わるので、横一線で面白さを競う環境にならない

ただそこで井口さんの言うように「だから横一線になるようマイノリティ芸人もどんどんメディアに出しましょうよ」というのは、ある意味では正しいのだけどちょっと言葉足らずな気もする
というのは、今のお笑いにおける面白い/面白くないの評価基準自体が、いわゆる健常者の能力を前提に作られたものだと思うから

たとえば、多くの人が心地よいと感じる喋りのテンポを、言語障害などによって絶対に獲得できない人がいる
あそどっぐさんのように寝たきりであれば、自ら立って歩きまわるようなコント全般が不可能だ
そのように、獲得しうる芸人としての武器があらかじめ制限されたなかで「横一線」で競った結果、「この障害者よりこの健常者の方が面白いな」という評価を受けるのは果たしてフェアなのか

もちろん、いわゆる健常者の間にだって能力差はあるのだから、それも含めて競争なのだともいえる
自分の弱みをネタにして笑いをとる人も、障害の有無に関係なくたくさんいる(濱田さんもあそどっぐさんもそうだ)のだから、むしろ有利だとまでいえてしまうかもしれない
でも、当事者はともかく非当事者が「障害は個性なので」で話を終わらせることに、自分としてはためらいがある
「自分には丁々発止のしゃべくり漫才はできない、障害があるから」と試す前から分かっている人と、M-1王者を目指して芸人を始める人は本当にフェアな戦いをしてるんだろうか
芸人としての出世コースのど真ん中にM-1があるのに?

Equality vs Equity問題(よくある3人並んだイラストのやつ)でいえば、「横一線でどっちが面白いか決めようや」というのは前者にあたると思う
一方で、障害のある人を取り巻く社会の、一般に望ましいとされるあり方(つまり福祉)は後者の発想に立脚するものだと思う

つまりお笑いをはじめとするエンタメ界で障害のある人が戦うというのは、「競争」と「福祉(の発想に基づいた調整)」という相当に相性の悪い2つの原理が入り混じることなのだと思う
そして、観衆が求めるのが「笑えるもの」である限り、福祉が競争に優先されることは絶対にない
公平さで客は笑わないから

じゃあどうすればいいかというと、…どうすればいいんだろ?と思うけど、少なくとも理屈の上では「健常者の能力を前提に作られた面白さの基準」を揺るがせばいいということになるんじゃないかと思う
それにはオルタナティブな面白さを提示する芸人が数多く世に出ることが必要なはず
なので結論は井口さんの言う通り「マイノリティ芸人もどんどんメディアに出しましょうよ」になる
それで問題が簡単に解決するとは思えないけど、それぐらいしか思いつかない

ただし、障害を大っぴらにネタにすることを、同じ障害をもつ人が必ずしも望むとは限らない
それ含め、どこまで行ってもセンシティブな判断のついて回る問題では現状ある
とりあえず、そのセンシティブさをマスメディアが面倒くさがるようなことはあってはならないと思う
腐っても社会の公器なんだから
#お笑い

ル豆(雲)  

「耳の穴かっぽじって聞け!」濱田祐太郎さん出演回 

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