『ゾンビランド』(2009) 『ゾンビランド:ダブルタップ』(2019)
猛烈にコーラが飲みたくなったのでコーラにふさわしい映画を見ながら飲もうと思って視聴
2作で1200ml飲んだ、おいしかった
以下、どちらかというとよくない意味で気になったところ
(自分の無知ゆえの引っ掛かりで、実は全然問題ないかも)
1作目、本筋とは無関係の小さなエピソードで、ゾンビを1体倒すために(おそらく他にいくらでも手段があったにも関わらず)グランドピアノ1台を破壊してた
この映画で一番ショッキングなシーンだったかもしれない
紙幣が紙切れになった世界だからと言って音楽/楽器の価値が目減りするとは限らないし、人によってはその価値はむしろ上がると思う
そして米国以外でもゾンビの感染症が広がってるとしたら、ピアノを安定的に製造・供給するのは極めて難しいだろう
貴重品や高級品、あるいはある種の権威やステータスをまとっている物を壊すからこそのカタルシスというのはあるのだろうけど、その辺の振りもなければ必然性も感じられずちょっとモヤモヤした
ただ場所がキリスト教施設らしき場所の玄関先だったので、それと合わせて何らかの含意があるのかもしれない
東洋の島国に住む非キリスト者には残念ながら察しがつかなかった
映画冒頭に「アメリカを作ったのは人であり、その人間がほとんどいなくなった今ここをアメリカとは呼べない」といった内容のモノローグが入る
これと呼応して旧来の世界や価値観との決別を表現してるのかなどと勘ぐってみたりもしたけど、だとすると登場人物の一人が旧時代の大量生産の菓子に固執することと整合しない気がする
もうひとつ、土産物屋の物品を破壊する場面もちょっと気になった
白人のみで構成されている(ように見える)主人公グループが、「ちょっとした楽しみ」のためにアメリカ先住民の民芸品風の品物を破壊したり、おもちゃにしたりするところ
これもあえて民芸品を選ぶ必然性はないように思える
ただその店にはカウボーイの衣装なども置いてあり、無節操でパチモン寄りの店のような感じもあった
そのように実際の土着文化とは関わりの薄い土産物店が、米国ではよくあるのかもしれない
日本で例えるなら、観光地で買った木刀をふざけて壊したからといって日本の刀剣文化を侮辱したとはみなしにくいのと同じような感覚か
それならば、店の名前が「キモサベ」(「ローン・レンジャー」に登場するいかにも白人目線のステレオタイプ的なインディアンが使う言葉)をもじったものであることとも整合する
こちらも現地の歴史や事情に疎い人間には有り無しを判断しにくいけど、気になったといえばなったので自分の反応の記録として
些事と言えば些事だし、仮に的を射ていたとしてもこの手の映画でそういうところにケチつけるのは野暮かもしれない
なんにせよ2作ともちゃんとコーラに合う映画だったので基本的には満足した #見た映画 #ホラー映画 #コメディ映画
『ゾンビランド』(2009) 『ゾンビランド:ダブルタップ』(2019)