映画『馬鹿が戦車(タンク)でやって来る』(1964) ※微ネタバレ
※ストーリーには具体的に言及しないけど、基本的な設定や個々のシーンへの具体的な言及あり
馬鹿シリーズ3作目、最終作。タイトルだけは前々から知っていて(読みは「せんしゃ」だと思ってたけど)、その特異さから記憶に残ってた映画。やっと見た。
2作目で『男はつらいよ』に大分近づいてきたと思ったら、今作で明後日の方向にすっ飛んでいった感じ。でも公開されたころはまだ戦争がさまざまな形で尾を引いていた時代だろうから、今見て感じるほどには突拍子もないアイデアではなかったのかもしれない。
内容を乱暴にいうと、『ギルバート・グレイプ』+『丑三つの村』(ただし犯人は戦車に乗っている)+『キャリー』。
それをコメディの下地の上に乗せた感じ。戦車とそれから逃げ惑う人たちの描き方は、ちょっと怪獣映画的でもあるかも。
地域社会との軋轢の激しさという点では1作目に近いけど、あちらに比べると(本人に非があるかは別にして)まさに『キャリー』『丑三つの村』に近いパーソナルな怒りや鬱屈によって決定的な事態に至るのは異なる点だと思う。
かなり激しい状況を描きつつも、ムードとしてはおおむね牧歌的。事後に口伝で振り返る形だからか、全体に昔話的な雰囲気だった。のどかな田舎道をこぢんまりした戦車が進んでいったり、日本家屋に突っ込んだりするところは愉快だった。
結末は物悲しかった。また村人が戦車の作った轍をたどるシーンなどは少し詩的でもあった。
馬鹿≒異物とそれを取り巻く小さな社会(家族を含む)との関係性を、コメディでありながらかなりシリアスに描いているところはシリーズ3作に共通していると思う。それがこのシリーズのテーマとして設定されたものなのか、あるいは山田洋次監督自身が一貫して抱えているテーマなのかは、『男は~』以外の山田監督作をあまり積極的に見ていない自分には分からない(『男は~』がまさにそういう側面のある作品だけど)。ちょっと強引かもしれないけど、社会から弾き出された人を描いているという意味では「学校」シリーズに通じるかもしれないとは思った。
このシリーズ3作は同じ1964年に公開されたようだ。いわゆるプログラム・ピクチャーの時代だし、今とは制作プロセスもまったく違うのだろうけど、同一監督のシリーズでこれだけ設定がバラバラな(=諸々の使い回しがしにくい)作品が年に3本も世に出るのはすごい時代だなと思った。
#映画 #コメディ映画