文すと、否定的な意見。
文豪ストレイドッグス、子どもへの虐待を肯定的に描いている点がどうしても許せない。院長→敦と太→芥は同じ構図をしていて、つまり虐待が「生きていくための強さを身につけさせるため」と正当化されて描かれていて、被害者たちもそう思わされている。その最たるものとして院長と敦くんのエピソード「父の肖像」があるので、私は今後そのカウンターとして芥くんが太から離れる話、いっそ敦&芥vs太の展開になってほしいと思ってる。というか、そうしないと駄目だろと思ってる。
ただね~…、父の肖像のあとに何のフォローもないのがね…。「どんな理由があれ虐待は虐待であり許されるものではない」「被害者に虐待を肯定させてはならない」というメッセージを何らかの形で入れるべきところこれだけ間があいてもスルーなので、作者の倫理観がその辺りなのかなあ…とちょっと諦めもある、最近は。
文すと、否定的な意見みっつめ。
「女医」という呼称について、現在その呼び方は差別にあたるって点作者や公式はいい加減言及すべきだと思う。作品のモデルになってる時代が近代ぽいので雰囲気を出すために諸々古めかしい言葉を使ってるのだと思うけど、現在では差別にあたる語を注意書きなしで使うのはどうなの、ってずっとしんどいんよ私は。「女史」も出てたけどこれも同様。たぶんファン界隈では差別用語という意識すらない。ファンが無邪気に「女医さんが~」とか話してるの見るとめちゃくちゃ削られるし、実際洒落にならない問題だと思う。こんなだと現実でも女性の医師を女医呼びしたりしちゃうでしょ。年齢低い読者も多そうだし余計そのへん自覚してくれ公式…!の気持ち。
文すと、否定的な意見ふたつめ。
モヤモヤ引っ掛かってるのが、太と鏡ちゃん、本当の意味では過去の罪を償っていないよね?ってとこ。作者が「過去の悪行が現在未来の善行で帳消しになる」って思うタイプの人なんだろなと思うのだけど、私その考え方は受け入れられないので…。あと、まあ鏡ちゃんは子どもなので厳密には処罰が必要ないのはわかるし彼女自身は悔い改めていい人間になろうとしてるんだけど、太にはそもそも罪の意識すらないんだよね。意地悪な言い方をすると、大事な友達に善人になれって言われたからやってるだけ。もちろん善悪の垣根のないキャラクターっていうのは珍しくないしそれはそれでいいんだけど、そのわりに「ええもん」として扱われてるというか、他のキャラクターや読者からの彼への愛がその不正義を覆い隠しているのを肝心の物語が指摘しないというか、こう、モヤモヤするんよ~!わかる~!?
だから最後の最後に最大のヴィランとして物語に倒されてほしい、とね、おれは実は思ってるのだ。贖罪とは、を知ることで救われる人であってほしい。