マッコウクジラ 読み切り小説 

マッコウクジラ

 人間、といういきものを知っているか? あの賢しく傲慢で悪食の、二本脚のいきもの。
 まあ、こんな浅いところにいるのなら、見たことくらいあるよな。イカも、マグロも、ときには地底のヒトデさえ分別なくさらうあの大きな網の船を操っているところとかさ。
 あの船、トロール船、っていうんだって。
 人間たちが信じているお伽話とやらによると、トロールっていうのはぶさいくなばけもので、宝物を根こそぎ奪っていったり、人間を頭から食ったり、とにかくひどいことばかりする。―だけど、気に入った人間には自分の富を分け与えることもあるらしい。そんな名前を、自分たちの船につけるなんて二本脚のおかげででかくなった脳みそは、皮肉な仕事をするもんだよな。
 ……人間どもの夢物語になんざ、おまえは興味ないわな。知ってた。
 じゃあ、こういう話をしようか。そのトロールがみつけた、毒にも薬にもならないみにくい石ころの話だ。
 はは、つまらなさそうな顔だな。まあ、年寄りの繰り言と思って半分寝ながら聞いてくれ。―まぶたがないから寝られない? そんなこと、俺は知ったこっちゃないね。

 さて、そのトロール船だ。見渡すかぎり青一色の、ともすれば二本の足でも歩けるんじゃないかと錯覚するような凪の海に、そのぶしつけな船は浮いている。
 いつも網を仕掛ける場所までは、進んでるのも戻ってるのもわかりゃしないこの海をずうっとずうっと真っすぐ、進んでいかなきゃならない。
 カモメどもの話を聞けばわかるだろうが、海上ってのは陸を歩くいきものには孤独な場所だ。(どうしてそれを知ってるかって? 俺も肉に埋もれちまったが、脚があったことがあんだよ)だけど、船にはどっさり人間が載っているからな。人間はさして寂しくもないし、不安でもないだろう。飯にする魚を釣ってみたり、カモメをからかったり、ウミガメどもの喉を詰まらせるクラゲによくにたビニルを捨ててみたり、好き放題して暮らしているのさ。
 ただ、その航海は、ひどい航海だった。
 やっとたどりついた漁場で網にかかってきたのは、ヒトデや金にならねえエビ、珊瑚のかけら、ナマコ、そんなもんばかりでな。まあ、不漁、ってやつだな。
 おまけに帰り、三角波にぶつかって甲板にいた人間が一人、落ちちまった。
 人間ってのは面倒ないきものだ。同じ種族のものは、死んじまってもその死骸を回収しなくちゃならない。ほかのいきものの餌になるのが耐えられないんだよ。
 そういう気持ちを、信仰とか愛情とか不確かなくくりでくくってる。ばかばかしいな。
 ともかく仲間を探した。波にのまれた仲間は見つからない。海の底に引きずりこまれて、浮いてくるのは二、三日先、そのころには海流が船よりずっと遠くに仲間の死骸を運んでる。―あきらめ半分に探して探して探して見つけたのは、海に浮かぶ石ッころだった。
 人間の頭骨くらいの大きさだ、ひどい悪臭もする。でも、船の燃料は尽きかけていた。小魚に食い散らかされてるはずの仲間を探しだすより、これを持って帰って陸の人間たちに、これがあいつだったと言おう、と決まった。
 さっき言ったろ、信仰、愛情、人間は、不確かなものが好きだ。
 この石ッころだって、船上の思い出、なんてもっともらしい名前をつけときゃ、ほかの人間は納得すんだよ。
 さあ、陸地だ。水夫たちはそれを海に落ちた仲間だったと言った。奇妙なかたちをしているのは、水膨れに膨れて浮いてきたのを見つけるのが遅くなって、太陽光にさらされてるあいだに干からびちまったんだ、と言い訳してな。ああ、そう、このひどいにおいも、説得力を持たせるのに一役買ったさ。腐臭のようだったんでな。
 くだんの水夫が人好きのするやつだったのもあって、村をあげてとむらいをしたあとは航海の安全を守っているなんとかいう女神の社にまつられた。
 それがいつの間にやらご神体ってことになってな、まつられてる神は雌なのに、祈ってる思い出は雄、みたいな、ややこしいことになっちまった。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 時代がくだった。人間は、信仰にも理由を求めるようになった。神さんがナニモノなのか、「ブンセキ」しないと信じられなくなったんだよ。
 エラい学者がやってきて、女神の社にまつってある由緒正しいご神体の石ッころを持っていっちまった。
 コレガホントウニ人間ノ頭骨ナノカシラベマス。
 結果を聞くか? ははは、おまえはもう予想がついてるだろ?
 ああ、そうだ、あれはカラストンビだよ。
 愛しい愛しい愛しい憎いあの十本脚の股の間におさまってる、あのくちばしだ!
 なんで海上に浮いてたかって? おれたちの誰かのゲロだか、行き倒れて腹の中身だけが腐らなかったかはしらんが、とにかく、そういうこと。
 おもしろくもなんともないだろ? 俺の腹にだって詰まってるしな。
 ただそれは、「俺たち」にとってだ。あの金色に透きとおったやわらかな肉を噛み裂いて飲みこんだらおしまいって俺たちと、人間はちがう。人間は不確かなものが、好きだ。
 たとえば、においとかも。
 竜涎香、っていうらしいぜ、あれ。ゲロかクソのくせに、ご立派な名前だよな。
 まあ、ヨダレだし、一緒みたいなものか。
 学者によれば俺たちの腹にためこまれたアレが、日の光に含有されている紫外線で変質して出来るものらしい。光といえば星屑よりもかすかな光しかしらない暗闇にいるやつが膨大な光源で暴かれると、そのままのかたちを保つことはできないんだな。とにかく、人間にとってはものすごいオタカラで、誇りや愛情や信仰や思い出や、見えないものを売れるだけ売らないと手に入らないらしいよ。
 うん、そう。それくらいはしてもらわなくちゃ。だって俺が、―俺たちが、肺なんてものを抱えたまま、 どこまでもどこまでも、世の果てまで潜って食らった、あの愛しい十本脚との、唯一の愛のうしろだてなんだから。
 海の底でも、あの肉の塩辛さはかわらない。―かわらないよ。俺は、俺の腹のどこかにあの鋭いくちばしが蓄積されているのを、なにより愛しいと思っている。この腹を掻っ捌いて、矯めつすがめつしたいと思う程度にはな。

  ……それからその、俺らのゲロがどうなったかって? すべての漁師の信仰心とやらと引き換えに、巨万の富をもたらしたそうだよ。
 人間は、不確かなものよりも、確かなものを好きになったからな。

 そうそう、竜涎香は、抹香、ってやつににおいが似ているらしいな。
 抹香ってのは、人間が死んだとき焚くものらしい。
 死んだ人間の魂が、いいにおいのする煙に乗って、金色に光り輝くうつくしい神さんのいる世界の果てにたどり着けるように祈って、焚くものらしい。
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