『浜辺の村で誰かと暮らせば』
親父が死んだ。七十だった。葬式では、もっと長く生きるだろうと思ったと声をかけてくれるひとが多かった。まあ、この程度が寿命だろうとおれは思っている。漁師をして、アマをして、海が荒れればばかすかたばこを吸いながらパチンコを打ってた。それにしては長生きをしたもんだ。
それはいいんだ。
問題は家だ。
母親は漁師の父親に愛想を尽かしておれがガキのころに家を出ていき、妹も大学進学で都会に出てから帰ってこない。妹がいなくなってからは、親父はじじばばが隠居していた離れに住み、おれは母屋に住んでいた。つまり、おれの家というのは母屋と離れ、ふたつの建物でできていて、親父がいなくなったいま、三十五の男がひとりで住むにはでかくて広すぎるのだ。
だれかに貸せばいいという助言をもらったが、台所と、風呂、便所はひとつしかない。やってみようにも、家を貸すには契約書を書かなきゃならない。学のないおれにできることじゃない。
親父とおれの漁師の収入、それから親父の年金でなんとか支払っていた固定資産税は、ひとりじゃさすがに厳しい。……だからといって家を処分するにも金がかかるし、八方塞がりだったところに、良子が声をかけてきた。
「ひーちゃん、だれかと住む気、ない?」
良子はおれの同級生だ。市役所で働いている。住民を増やすためにがんばる課に、二年まえに異動になった。
「だれかってだれだよ。女のひとの紹介ならいらないぞ」
良子のいる課は、かつて婚活イベントもやっていた。良子が異動になるまえ、漁師と都会の女のひとを出会わせる、みたいな企画をやってて、人数あわせに誘われて辟易したことがある。良子が異動してすぐ、このイベントは企画されなくなった。独身の漁師は多い。だけど、漁師のところに嫁にこようという女性はすくない。
「わかってるってば。わたしだってそんな下世話な話をしているつもりはないよ」
良子は真剣な顔で否定した。
「あんた、おじさんが亡くなって家の始末に困ってるんでしょう。離れに都市部のひとを住まわせるのはどう?――移住希望のひとを」
おれと良子が通学していた小学校はとうに閉校になり、片手の数で足りる村のこどもはスクールバスに三十分揺られた先の町の小学校にかよっている。それだっていつまでつづくかわからない。おれたちがガキのころだってこどもは決して多くなかったけど、一クラス三十人はいた。妹のクラスなんて二クラスあった。
まあとにかく、村はひとがすくなくなった。仕事がないんだからしかたがないといえばしかたがない。が、良子の担当は、人口の減少を食い止め、土地を活気づかせるために移住者を増やすこと。
こんな田舎の漁村にひとが引っ越してくるのかって? おれだってそう思うけど、都会で生活している人間には都会で生活していることがしんどい人間もそこそこいるそうだ。妹に言わせりゃ都会に生まれたことがそもそも才能なんだそうで、贅沢な望みだとこき下ろす姿が目に浮かぶが、ひとにはそれぞれ向き不向き、事情がある――田舎で生活をしたいと望むひとを受け入れて、住人を増やすこころみはここだけじゃなく、いろんな自治体で取り組まれている。
定年退職して金のあるシニア世代ならともかく、若い人間は金がない。――だから、田舎で離れを開けているような家庭に住まわせる。空き家になってしまってからでは買ってもらったり、住めるように整備したりするのが大変だから、すでに住人がいるところからはじめようと考えているのだ、と良子。
「ちょうど受け入れてくれそうな家を探していたの。大家には市から補助金が出るよ。わたしががんばったんだからね」
良子はちょっとだけ疲れた顔をしている。この村はヨソモノを嫌う閉鎖的な漁村だ。かつて漁業研修生を受け入れる制度を導入したが、地の人間とヨソモノのあいだに大きな壁ができて、漁師になったのはひとりだけ。
都会での住処も仕事も手放してやってきたから、ここで生活するしかなくてほとんどの研修生は隣町のホテルや旅館、介護施設で働いている。
こんなはずじゃなかった。
おれが新船を一杯あてがわれて海に出るようになったころ、たくさん引っ越してきた研修生たちはそう言って海を去った。
ああいう失敗をまたおかそうというのか、というのは顔に出ていたらしい。良子はため息をついた。
「最近はね、漁師だけじゃないのよ。こっちで仕事を用意するんじゃなくって、仕事も持ってきてもらうの」
良子はテレワークだのワーケーションだのよくわからないカタカナ言葉を並べて、説明しかけてすぐにやめた。良子がこの村に生まれていながら魚はなんでも小さければアジ、でかけりゃブリと呼んでいるのとおなじで、おれに流行り言葉やカタカナ言葉をいくら重ねても無意味なのだ。三十年も腐れ縁をつづけてりゃあ良子も重々承知だが、仕事の調子が顔を出すことがあるのだった。
「ね、そうしたほうがいいのよ。わたしだってあんたのところに、税金の取り立てになんかいきたくないもの」
「あんたはなんとか課だろ。課税課じゃない」
「来年には異動かもしれないし」
おれだって良子に税金の督促なんてされたくない。いまはまだ滞納せずにやれているが、魚の値が急に落ちたりすればわからない。親父の年金収入は微々たるものだったが、安定して入ってくる金があるってのは、命綱だったんだ。
この不安がすこしでも払拭されて、家賃収入が得られるのなら、それも悪くないかとのせられて、家の写真や、顔写真――船に乗りこまれ、魚を釣っているところまで撮影された!――なんかを撮られ、年齢や趣味、休日のすごしかた、性格まで書類に書かされた。
「まるで見合いだな」
そんな感想が出るのはしかたなく――近所のじじばばが見合いの話を持ってこなくなったのはいくつになったときだろう、あのひとたちが死んだのか、単におれが適齢期をすぎたのか、いまいちよくわからない。
「そうよ。見合いみたいなもんよ。これから一緒に住む人間を探すんだから」
むこうからも、見合いのプロフィールが送られてきた。二十代から四十代までの男、三人。そのなかでおない年の男がいいかなと良子に答えた。
良子は簡単に決めないで、とプロジェクトのリーダーとしての不安をじゅうぶんにふくんだ重苦しい口調で言ったが、おれは、趣味だとか、休日のすごしかただとかは気にしなかった。おない年なら、一緒に住むときに気をつかったりつかわれたりが、すくなそうだと思ったからだ。
おない年の同居人候補の職業は企業ライター、趣味はカメラ。眼鏡をかけてなまっちろい、いかにも都会のもやしっ子、といった感じの男だった。まずはお試しでひと月、それで相性がよさそうなら共同生活をする計画らしいが、良子ほか役所の職員によっておれの家はあともどりができないくらい改造させられた。
まず便所。くみ取り式の便所だったのが、洋式の水洗になった。それから、インターネット回線も契約させられることになった。こんなのは全部、補助金が出るから金の心配はしなくていい、と良子。だったら風呂を家のなかにつくってくれ、寒いだけで物置にもならない土間もなんとかしてほしい、と頼んだらそれは自分の金でやれと言われた。ちぇ。
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