私の賃労働の話。自画自賛。性差別の話。
常に「あの人は私に前に出られるとヘソを曲げて仕事をしづらくなる(その時に評価が下がるのは私だ)から、あの人の顔を立てつつ、うまく立ち回ってプロジェクトを安定させなければ」などと考えながら、
期限費用品質のほかに、チーム内の人間関係と力関係、自他の心身の健康状態・得意不得意を気にかけながら、前に出過ぎず必要なより良いパフォーマンスをしていく。すごく大変だし、疲れる。成し遂げてきている私のふるまいは素晴らしいと思う。(正真正銘の自画自賛)
とある先輩同僚(正社員、男性)の顔を立てつつ愚痴を含む相談にのって適切にメンタル的にも業務的にもサポートやアドバイスをしながら、リスク回避の為に上長に密かに報告相談しておく。給料や待遇を考えると、やり過ぎではないだろうか。
ここまでしても正社員としては要らないと言われるのには、間違いなく性差別の存在がある。
性差別の話。性差別言説の具体的な言及。
男性以外の多くの者または一定数の男性もこうした不当な扱いを受けているのだろう。
「(一人前の)男ではないんだから、(そこまで専門的な/その分野の)学は必要ない」「ただ愛想よくしていれば良い」などと自分の望む能力を向上させる教育や機会を受ける事を阻んでおきながら、
「男性はこういう時、そういう気遣いをしてくれないもんね(あなたは男性ではないから気遣いをする)」とか「ケアや子育てはお前らの仕事」とか「家庭全体(国全体)の経済力が不安で、お前もその一員なんだから、それを補う努力をしろ」とか言って労働力を搾取しようとする。
そしてこれまで教育や機会を奪われてきた為に失敗したり、試行錯誤に時間をかけたりすると、「これだから女は男に劣る」「これだからお前は一人前の立派な男ではない、中途半端な存在なんだ」とか言い出す。
本当に腹立たしい。
私の過去のエイブリズムの発露への具体的な言及。私の賃労働の話。自画自賛。性差別の話。性差別言説の具体的な言及。
ずっとそうだった。もっと若い頃は、当たり前のように「なんで皆これくらいの事をできないんだろう」「努力してないだけだ」と思っていたし、端々の態度にも出ていたんだと思う。
そうした思考やそれに基づく態度は、周囲と軋轢を生むものだと理解してからは、なるべく前に出ないように、出る必要があって出るときも出すぎないように細心の注意を払ってきた。
態度を改める前には「偉そうな態度だ」だの「もっとおしとやかにしろ」だの「嫁の貰い手がなくなる」だの散々言われた。
もちろん「周りが努力していないだけ」や「できて当たり前」が間違っている事は後になって知って、そうしたエイブリズムな思考は捨てるようにしてきた。
だが、ある意味ではその「どうして私が周りよりも”できる”事で、こんなに周りに気を遣わなければいけないのだろう。皆そんな気を遣ったりしていないのに。」という感覚は完全な間違いではなくて、確かにできる者が気遣えばいいのはもちろんなのだが、気遣っている事や実績を周囲の者に認めてもらえない(給与の増加や待遇の改善、立場の安定に繋がらない)のは、私に対する不当な扱いだと思う。