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アカデミー賞(見てない)とアジア人差別、と私が経験した差別 

今年のアカデミー賞の件のシーンは見ていないし、今今は見れる状態じゃないので見るつもりもないのだけど、

多くの方が言及されているのを見て、私の中に刺激される記憶がいくつもある。

子どもとして、"女性"とみなされる者として、性的マイノリティとして、背が低い者として、腕力の弱い者として、金のない者として、健康でない者として、子がいない者として、無視された記憶。

ヤマト人として、成人として、"名誉男性"として、"働き盛り"の者として、知的に優れた者として、都心にアクセスできる者として、容姿が"平均以上"の者として、愛玩子として、金のある者に連なる者として、ひとりで出歩ける者として、他者が無視されるところを見過ごした記憶。

もし件のシーンが仮に、受け取った側の"勘違い"だったのだとしても、
こうした記憶を刺激する光景をオープンな場で流したというだけで、十分に暴力的な出来事だ。

だから私は自分事として、この世界にある白人によるアジア人、非白人への差別、"先進国"から"後進国"への差別・搾取に怒りを表明する。
それと同時にヤマト人によるアイヌ人、オキナワ人への差別、"日本人"による朝鮮人、中国人、外国にルーツを持つ者への差別、あらゆる差別をないものとする言動を非難する。

件のシーン(2つ)のみ見たけど、やっぱり私の意見は変わらなかったな。

「当事者間では、そういう雰囲気じゃなかったよ」って言われても、それをそのまま素直に聞き入れて考えを改めようなんて風には思えなかった。

たとえそれが事実であろうと、あのシーン等をアジア人への差別が発露したシーンだと読み取る方がこれだけいるのは、白人中心の社会でアジア人への差別がありふれてるからだと思う。

ああいうシーンを見ても、誰もが「なんかの行き違いだったのかな」とか「この方はこういう失礼な態度を取ることがある方なんだな(ある主体のその時の態度のみの問題だ)」とか思ったり、そもそも気にならなかったりするような、差別のない社会にしたいね。

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