戦争と美的感覚とプロパガンダと反戦
私、実は武器やそれらを搭載した乗り物に機能美・造形美を感じ、それらを作り操る技術に敬意を感じる質なんだ(※)けど、反戦の立場を取ってる。
※これを公言する事も、場合によっては咎められることだろう。
武器やそれらを搭載した乗り物は、殺戮・暴力に使われる。私はそれらはその存在目的のために、存在するべきではない(いずれ消えるべき)と考えている。
同時にそれらを愛でる営みがある事自体を私は許容してしまっている。
ただしそうした営みはエロを愛でる営みと同じくしっかりゾーニングされるべきで、そうした営みに関わる者はその暴力性・危険性を理解するべきだろう。むしろそうした者こそ反戦を訴えるべきとすら思っている。
武器やそれらを搭載した乗り物がまつわる史実は功績としてではなく、あくまで生命や尊厳を他者から奪い、醸成されたであろう文化などの豊かさすら不可逆的に壊した過ちの積み重ねなのだと理解するべきだ。
少なくとも武器やそれらを搭載した乗り物それ自体やそれらを作り操る技術を全面的に肯定するような表現は、ゴールデンタイムのテレビで全国放送するようなものではない。
それは明らかなプロパガンダだ。
戦争と美的感覚とプロパガンダと反戦
私はプロパガンダには明確な異を唱える。
プロパガンダが行われ、それが許容される先にあるものを考えれば、到底看過できない。
私たちは同じ過ちを繰り返してはいけない。
恐ろしいという感覚を大事にしなくてはいけない。