原爆と侵略・戦争責任の話
アメリカなどでは、「あの原爆投下によって悪しき日本の暴走を止められた」として肯定的に子ども達にそれを教えているらしい。
これは本当に完全にアメリカの原爆投下の責任の放棄の為だけの物語なのだろうか?
私には残念ながらそうとは思えない。当時誰にも止められず、指導者達の思惑に沿って侵略・戦争へと突き進んでいた状況と、近年の状況はあまりに似通っていて。
原爆の被害は凄惨で、どのように理屈をこねても投下を肯定する事はできない・したくない。
しかし仮に原爆投下という手段以外でも、日本の当時の指導者達に「あがいても抵抗することはできない」というイメージを植え付けるだけのダメージを当時の日本が受けなかった場合、日本は降伏しただろうか。
私には降伏しなかっただろうという想像しかできない。
当時の日本の指導者達はいくら″庶民″が死のうが、自分や周囲の者に直接の害がなければ関心がなかっただろう事が容易に想像できる。
そうした輩が実権を握っていたのだ。そうした素地ができあがっていくのを日本の多くの者がゆるしていた。
原爆と侵略・戦争責任の話
そういう群衆の侵略・戦争責任への言及や反省なしに、殊更に被害の側面にばかり焦点を当てて語るのは、現代日本に生きる私たちの責任(過去の過ちの上に自分達の現状・豊さがある事を自覚し、同じ過ちを繰り返さないようにする責任)を放棄することだと私は思う。