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実は私は、一年半くらい課金してお芝居の養成所に通ったんだけど、シスヘテロ中心すぎて地獄だった。大金を払って差別語を浴びにいく日々だった。もうお芝居はやめる。現場にも行けなかったけど私はそれどころではなかったからやめるほかなかった。

あの会社を潰したいくらいだが、会社が悪いにとどまらず、業界全体で、無意識に無関心に当然としてマッチョな気質、セクシズム、ホモフォビア、レイシズムが肯定されていて、私のようなものが声を上げても「未熟」「評価されてから声を上げろ」と矮小化され、「私が変われ」とケアされてしまう(ケアじゃねえ)。

ジャニーズの性加害が多くの大人達の黙殺によって続けられた事をみても、僕のいたところが悪いのではなく、業界全体が声を黙殺する構造になっている。人権意識が終わっている。

特定の組織や現場に限った話ではない。「自分の代わりがいくらでもいる」という環境下で「黙って従うのがプロ」と言われ、「政治的な発言をしない」「どんなに過酷な環境でもコンディションが安定する」シスヘテロの人間だけが重宝される世界だと思った。

僕はクィアとマジョリティとの架け橋になれればと思い、ポッドキャストをはじめたり、「なんでも聞いて」と対話を大事にしていた。歩み寄りたかった。

でも、新しい人に会うたびに毎回カミングアウトするのも、男なの女なの?って聞かれたり、自分も事をみんなの前で説明する場面も精神的に疲弊した、どんな無邪気で攻撃的な質問が来るかわからないから。

カミングアウトしても、「女子会」「ここには女性が多いね」とかミスジェンダリングされることばかりだった。声の現場を目指していたから、はじめはしょうがないと思っていたけど、ちがう。

声にもバイナリー規範が強く当てはめられている。そこから外れる声を持つものは、男でない、女でないと言われる。

声にも男女の理想像があると気づいた。反吐が出そうだった。声の演技でなら、この大嫌いな身体から自由になっていろんな命の声を演じることができると思ったのに。声は、ひとびとの偏見に基づいて認知される。私は、落とし所を見つけようとした何度も何度もずっとずっと考え続けた。見つからなかった。でも偏見から逃れられない。ひとは私の声を男だ女だジャッジする。そのことにもううんざりしてる。

幾重にも切り付けられて、もう綺麗だったつやつやの心は残っていない。回復することもない。

今の私は、特権の上にふんぞり返っているマジョリティの無関心と不理解が心底憎い。

「寄り添い」という名の抑圧を味わい、はらわたが煮えくり立っている。

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