これはただ思っただけで、掘り下げたら面白そうだけど掘り下げる気もないので、適当に書くけど
いまの若い子ちゃんは軍事や投資の先にコンピューターがあって、それがSFを彩ってるように感じてるだろうけど、こちとら古いSFものなので、ヒッピー文化の先にコンピューターがあって、それがSFを彩ってるように感じてるわけ
同じものを見てても、その起源みたいのを権力とか財力とか社会構成のひとつとして享受しているか、自分の生き方の選択としてるか
そういう下味の違いみたいのがあるような気がする
わいがピーター・トライアスにハマらず、アンディ・ウィアーは買うようにしてるのも、この下味の違いな気がする
最近の日本SF作家は下味がノンヒッピーなので、わいの口にあわない
出汁が違う、みたいな感じ
ここまで長々書いてやっと気付いたけど、たとえば味噌汁おいしいよね!って話で、具は大根と油あげ、わかめもいいよね、みたいな話してるとこで「いや、そんなことより出汁は昆布でしょ!」って言ってるヤツがいたらうざいわな。
まさにこれこそ老害だ。
ゴメンな!老害はこーゆーことを言うモンなんだよ!