ずっと知っていた曲があとから返ってきて響き出して、琴線に触れて掴んで離してもらえなくなってしまうみたいな
私にとってのBUMP OF CHICKENの曲は、最初からそういう存在だったなぁと思い出している。
彼らの曲を評した誰かが、「彼らの音楽を聴く人たちは、ひとりひとりが全く別の物語をそれぞれの心の中で想起され思い描いている」というようなことを言っていて、すごくわかるー! となったのだった。
それぞれバラバラに別々の世界しか持ってない人たちが、バラバラのままひとつのフィールドを共有できるようになるみたいな、そういう感じ。
6時間くらいそれぞれの推しの話だけをし続けてるのに「わかるーっ!」て肩組んでお酒飲めるみたいオタ友いる人ならわかってもらえる感覚な気がする。
お互いのことわからないままわかるし、共有して一緒にいられる、あのあれです。
まぁでも、だから、チャマの下衆不倫のときの「ファン」の不倫相手叩きとチャマの「悔しい」発言を今でも許せないわけなのですが。
しつこくネチネチ言い続ける。