@Ottorisussu わーいありがとうございます✨✨ご予定がお空きになるのをのんびりお待ちしています😊
ふと思い出したけど、ジブリの「思い出のマーニー」、あれまあまあ好きなところもあるんだけど、この前金ローで見て「これ、視聴者に伝わる?」って不安になった。それは杏奈やマーニーが己の環境を苦痛だという時の理由付けが視聴者を納得させられるものではなさそうだからなんだけど、アレが私は結構好きだったりする。子ども本人の視点からすると「ばあやが髪を酷く梳くこと」も「優しい養母だけど、自治体から補助金をもらっていること」もとても重いことで、そのことを受けて苦しみを感じているということだけが問題になっている。結構いごこちがいい気はする。そういう受容がされるなら、私も心地よく受容してもらえる感じがある。面白いね
結局、毒の効果や成分をいくら列挙したって、毒の味が飲んだことのない人に伝わるわけもないので、表現物にするということの限界(仮)を感じてしまうわけなんだけど
漫画で表現をするとき、漫画は特に分かりやすさが大切だから、「見た目が派手で分かりやすい状況や行為」「定型の表現方法による感情表現」ばかりが採用されてしまうのはある程度そういうもの。そのたびになんとなく自分と漫画世界との差異を感じてしまうし、差を感じずに読める人々との溝も広がる一方になってしまうのではないかと不安になるよね
毒親とかは本当は、「何をされたか」よりも「1人の人間がどう思ったか」を大切にしてほしいと、個人の苦しみからは思うのだけどね。それを表現できるほど、漫画の技術も漫画を読む人間の読解力も足りないかもしれない(でもそれは小説でも映画でも、どのコンテンツでもきっとそう)
ふんわりはなすよ
親との関わり方が拗れきってしまっているので、創作における「仲良しの幸せ家族」も「虐待家庭」も大抵どちらも受け付けないのだけど、そうすると一昔前のラノベでよくあった「親は海外出張中」という親を物語から排除するご都合設定は案外と居心地がいいものだったのかもしれない。あるいは、血筋を重視しないファンタジー物語など。もちろん(少年)漫画とかもね
ジャン+のコメントで「読み切りがいつも"毒家庭で苦しい自分にLGBTの友達ができて前向きに生きていけました"ばかりだな」ってのがあって、その傾向は本当に感じるし、(作者がどうかは知らないけど)家庭環境やLGBTの苦境をライトにエンタメコンテンツとして消費する傾向は、例えそれが「毒親」「LGBT」という単語の表層を浸透させるのに一役買うとしてもあんまり好きじゃねぇなぁと思う