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[寄稿]死の山々の連なりjapan.hani.co.kr/arti/opinion/

 “光に照らされた美しい村を抱く盆地の彼方に、畳々と連なる山並みが見えた。私にはその山並みがはるかに地球を半周して、日本の九州や北海道にまで続いているように思えた。鉄道や鉱山で重労働を強制されて倒れた朝鮮人たちの遺骸が埋められた死の山々である。地球のいたるところに、植民地主義の暴力によって犠牲にされた人々が無念のうちに埋められた死の山々が連なっている。”

「ケアが必要な人」といった言い回しで誰かを揶揄するような投稿も見かける。「ケア」という言葉に対しては慎重でいたい。

それって本当に尊重されているのだろうか、ケアってそういうものだろうか、と思う。

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『なぜ原爆が悪ではないのか』宮本ゆき
QT: fedibird.com/@takako3599/11123
[参照]

 
語りのパターンを分析すること。 従軍した兵士たちのPTSDが認知され対処法も多様化しているが、根本的な解決方法──戦争反対にはなかなか結び付かない。 戦争での心理的負担を減らす遠隔攻撃、PTSDを克服し、精神的苦痛を乗り越える物語(語り)を目指す。 アメリカにおける「困難を乗り越える」語りのパ...

殺人を遂行させるために行われるカウンセリングなどのメンタルケアというもの、なんとも嫌な感じがする。

ぱらぱらとめくっていた本の一文に「兵士のストレスを解消するために、一番いい方法は戦争をやめること」とあり、本当にそうだと思った。以前読んだ『なぜ原爆が悪でないのか』にもそういった記述があって、なおさら目を引いたのかもしれない。
戦時性PTSDは戦争がなければ存在しないから。

口当たりよく消化がよく高カロリーのものをストックしておきたい。

岡野八代 ✕ 三浦まり 『ケアの倫理』刊行記念&『さらば、男性政治』石橋湛山賞受賞記念対談tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7

岡野:苦しみながら「私を不幸にしたのはだれだ」と問うている人を放置していていいのか。たとえ自らの行為が直接的に生みだした他者の不幸ではないとしても、その不幸に応答しなくていいのか。苦しんでいるひとを放置できるしくみこそ、不正義ではないか。

自民党政治と相いれない性教育 「自分で決めること」は許せない
mainichi.jp/premier/politics/a

◆性的少数者もふくめ、自分の性について自分で表現することを許しません。

 性のことだけではありません。すべてのことにおいて多様性と自己決定を嫌います。

 逆に言えば、性教育から日本の社会のあり方を見直すこともできます。

 憲法は個人の尊厳をうたっています。だから自民党は憲法を変えたいのです。本質的な違いです。

日差しも強くてまぶしいのもきつかった。紫外線カットの眼鏡を買おう。

気温の高いなか出歩いていたので疲れている。ミルクティーしか飲んでいなかったので余計に。帰宅して白湯を飲んだ。

耕耘機の後ろを歩くサギの姿もなじみになってきた。

衣替え、本の埃を払ったり、紙類をなんとかしたい。

マフラーとセーターは手洗いとして、コートはクリーニングに出す。本格的に暑くなると冬物に触るのが嫌になるので今月中には取りかかりたい。
今日はたまっていた家事を朝からしたのでやらない。

ヘイト、歴史修正、代替医療 

選書に関しては想像できるところもあり、だからこそやりきれない。

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ヘイト、歴史修正、代替医療 

書店に久しぶりに行くと、ヘイト、歴史修正、代替医療のタイトルを必ず見かける。目に飛び込んでくる。これは図書館、新聞広告でもそう。ごく狭い生活圏でさえ取り囲まれているように感じる。特に図書館は、どういった選書をしているのか等色々思う。市民の図書館利用を制限するような書架の構成には昔から蟠りがある。資料の収集、保存、公開のプロセスには様々な工夫自体はできるはずなんだけど。

『触発する言葉
言語・権力・行為体』
ジュディス・バトラー著 竹村 和子訳
iwanami.co.jp/book/b258603.htm

内容説明
「権力の言葉,差別の言葉.そうした言葉によって支えられる既存の社会システム.それを攪乱し,新しい方向をこじあける力を持つのもまた言葉である.なぜ言葉は人を傷つけることができるのか.いかにして言葉は社会を変えるのか.現代思想の最先端で「触発する言葉」を放ちつづける理論家が,言語の政治性を縦横無尽に論じる.」

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