私は公的に出される謝罪文に心が篭っていることは別に必要ないと思っていて、その場において正しい声明を出すことが一番重要だと思っている
自分の非がどこにあって、それをきちんと反省していることを明文化することが重要で、もしかしたらそれに不満を持っていたとしても、それが表に透けて出てこないのならば、それでいいと思う
アメリカでワインスタインの問題が発覚した時、被害者に連対すると声明を出した人たちを、評価して、ワインスタインを非難できなかった人間を残念な存在だなと思ったのと同じ
特に役者や表現者だったから、嘘でもその場で言うべきことを言えよと思っていた
先日のミセスの謝罪文もそうだったけれど、自分の非を正しく説明できることは、とても大切なことだと思うし、それがファンや今後の活動を守ることになると思う
当人が非を認めることは、それを批判した人を誹謗中傷から守ることにもなるし、すごく大切なことだって、今日また思った
この内容、もう少し前に書いとこと思ってたけど、忙しくて書けてなかったから今書いた