後期ラカンまで考えるならそれは享楽という概念になりますという話なんだが、後期ラカンとか考えたくないから、前期の枠組みでなんとかならねえかな? みたいな
地味に対象関係のセミネールまでそれで引っ張っている
鏡像段階も、あれ兄像段階なのである
あと、ラカンの中で考えるならやっぱりきょうだい複合重視するべきなんだと思う。初期症例見るときょうだい複合で論文書いた人なので
快楽原則は気持ちいいのは幸せ、だけ、面白くない、みたいに思いがちというかこれまでそう思ってたんですが、意外と変なところに絡んでくるんですかね。具体的には他人が快楽原則してると羨望が発生するみたいな形で
「我ファルスなり」という主体は割といるが、ネタにマジレス的に「涅槃原則で消滅してないじゃんおまえ」とか言えば良いのか
けっきょく「ファルスっぽさ」は快楽原則だけで生きれてる感じ、と言い換えられる。人生楽しいです、やりたいことやってます、みたいな奴。それがファルスではなかろうか
死の欲動も色々解釈があるが、へたれラカニアンとしては部分欲動だと言わねばならない気はしている。なにがなんでも居座るので主体を死まで追いやる奴。それ自体としては死にも生にも関係ない(個体の自己保存という目的と独立なので死、という理路)
現実原則は考え方が二つあって、死の欲動から派生してて快楽原則を事後的な幻想として生み出している象徴的なシステムだよ、というのが一つ。まあ我慢してれば我慢しなければ本当はすごい楽しいという幻想がキープできるという類逆に、快楽原則の派生が現実原則で、時間的な先延ばしを認めた快楽原則だよ、説この二つを一つにまとめていいかは微妙、なんだけど、時間性とか唐突に入ってくる仕組みが後者だと説明できないので、前者の方が一応プリミティブではある。夢はない
快楽原則の側から見た場合、それだけでなくなるようにするものとしては、・快楽原則の抑圧である現実原則・快楽原則の彼岸である死の欲動があって、それぞれ興味深い論点がある
精神分析の「母のファルス」概念をいまいち理解してなかったが、「母のファルスに同一化する」が仮に満たされたとすると快楽原則のみになり涅槃原則でとろけて消える、で良いのか
世界が閉じちゃってることを諦めた上で、その閉じちゃってる世界の中で、あたかも違う平面で生きているかのように行動することギリギリでこれくらいは成立する?
フロイト先生の用語でいうとペニス羨望なんだけど、えーっと、ペニスっていうかファルスを真に所有できるのは女性という性理論あって、男性が女性に対してペニス羨望持つ、というのが最近のトレンドなんだよね
ある程度ふつうの音楽のトップスターに対して「自分たちはああはなれない」とか思ってるのか、あれ
たぶん女性はそこに萌える
歴史的に色々あるらしいというのはちょっと今wikiを読んで把握したのだけど、V系は微妙に蔑視されるポジションで、マイナスを引き受けた上にあれを構築している、とは言えると思う
普通に見てればわかる通り、たかはには妹的少女性への憧れがあるのだと思われる。V系になれる人はぜんぜん違う憧れを持っているはずで、じゃあ何に憧れる人がV系になれるのか? と問うてみることはできる。
あ、解決した。男性にかかる抑圧を想像的にクリアするのが想像できないのは、想像界のポジションは他のことに使ってるからであった。それをやるには理想自我との関係を動かさねばならない
普通に個人的な体感を書くだけだけど、ここでいう抑圧と距離が近いもの、ニヒリズムやシニシズムでしょう
考え直すって、「改める」とかではなくて、文字通り理屈的にどう扱うかを考えないといけない
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