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@toriten1024 そろそろ実装ミスったリングバッファみたくLast In Overwrite First Inが発生する

とすると、あんまりちゃんと社会に適合させられていない我執、というややよくわからないものを思考しないといけない。まあ実際そういうものはあるんだけど

カミュの『シーシュポスの神話』は、それ徒労だけどやっても良いんだよ、というエンパワメントとして受け取った訳で。まあそこで耐えれるか問題はある

僕は限りなくどこまでも我執しかない感じの人だな、考えてみたら。この言語化はしっくりくる

どこまでも我執で行けば良いというのが理念としてはあり、ただそれは限りなく反社会的な営みになっていくので葛藤が起き、いちおうその間がどこまで許されるかおっかなびっくり行ってみるか……? みたいなことを考えてるのが僕で、問題の所在がポストモダンとかゆってる人たちとは違うんだと思う

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解説を書いてる千葉雅也先生もそうなんだけど、我執を消すタイプの人たちなんだと思う。僕はそれには乗らないタイプとでも言うのか

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浅田は個人主義思想としては駄目っぽいというのが現時点の読みで、逃走とかスキゾキッズとか言ってしまうとそれがS1になり、大学の言説になっちゃう。というか実際そうなった

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僕はたぶん個人主義者なので、社会レベルの個人で行けば基本的には良いと思っている節があるのかもしれない。それは仮象で云々とか別に言わなくて良いことでしょ
そう思ってたら「普通名詞に同一化する群衆やアイドル」という訳のわからないものと対峙して大変だった、というのがあるんだが

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そこで症状の特異性で抵抗というのなら最近のラカン派の見立てになるんだが、それもちょっと違うと思ってて、症状の特異性まで掘り下げなくても個体レベルで「しょせん社会構造や言語を反映している」にとどまらないものがあるだろうと踏んでいる

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浅田彰はでかいこと考えてて、それはそれでそうだろうなというのはわかるんだけど、そのでかさから個体レベルのなにかを導けるか? っていう

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『何者にもなれなかった人』も、「しょうもないこと」はたくさん考えたりやったりしてきた訳で、そっちを無視して「自分は何者でもない」というのは欺瞞である

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それはどうしようもなく定型的なダサい葛藤だったりし、そういうものから逃れるためにキラキラしたもので着飾りたい人もいるんだろうなという気はする。それがまた他人に定型的なダサい葛藤を生み出したりもするが

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浅田彰ってやっぱセカイ系というか、社会と個人を区別できてないタイプじゃないの? 
彼が書いてるようなことって個人の重大ごとではなくて、個人レベルではもっと矮小なものを手放せなくて悶々としてると思う

@toriten1024 ちょっと『構造と力』読んで感想教えてくれませんか? どう考えても結論だけ納得が行かないんだけどあんまり自分が理路を追えてるか自信なくて

浅田彰という権威が肯定したのでスキゾ的に行こう逃走で頑張ってみよう、ということを考えるような主体はそもそもいかなる意味でも(浅田が定義した意味ですら)スキゾ的でも逃走的でもないだろう

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まあ、浅田彰の概念は普通に大学の言説のS1的に消費されたんだろうなという気がする。当時はラカンがぜんぜん邦訳されてなかった時代なので不利という点はあり、そこは同情的に考えないといけない

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精神分析の側からすると、そこに幻想的な解決を見てしまう無意識の欲望と向き合いなさい、という感じ

浅田彰は学識のすごさと奇妙な独断が両立してる感じするんだけど、とりあえず独断的に批判しておくと、浅田的な逃走では今あるものを振り切れないし、むしろすでにある構造、すでにある力に絡め取られて最低、という感覚がある

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浅田を読んだあとにジジェクのことを思い出すと、ジジェクは基本的にソ連の崩壊を経験していて、構造の破綻にリアリティを覚えるタイプの思想家なんだなという感覚になる。逆にソ連がある時代にこういうことを書いた浅田はなんなんだよという気もする

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浅田の議論の胡散臭いところの一つは、一つはマクロな構造論とミクロな行為的次元が短絡するところ、もう一つは必然的成り行きを強調しすぎに見えるところ
要は浅田ってセカイ系(悪い意味で)なんだと思う

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