類への固着(たとえば特定の属性のキャラが良いというの)は言語の水準か? ということを少し考えている。平均顔が美しいみたいなことはあるんだから、類はイメージじゃないか
精神分析的な象徴的去勢とは、一つの言葉にならない無数のもやもやを、一つの言葉にしてしまうことであると考えることができる。たとえば「将来の夢」を言うこととか
そういう意味で小学生のとき経験したアレは去勢の促しだったし、僕はこいつら馬鹿じゃねえかと思いつつ表面上だけ合わせてたのだから、少なくとも小学生の時点では倒錯者だったんだろう
GPTくんやAIイラストがつまらないのは、あいつらはたぶん平均的にベストな値を取りに行ってる
なんらかのあるべき値を中心に高次元で正規分布するような空間に張れるという哲学が基本的にはある
僕は推し活ずっとdisってたし、その上でなんだけど、推しというのがたった一つの冴えたやりかたになるようなところはあるだろうなと思った
世界になにか譲歩しないといけないときに、選び取れる言葉があるというのは悪くないことだ
ただし、その譲歩を見ないのには疑問で、積極的に参与するのは論外とも思う。で、それとは別に、消極的に選び取られる推しという言葉はあるのではないか