「知らなかったが故になにかをしてしまったことは倫理的に有責か否か」という問いを立ててみる。肯定するならかなり多くの罪は免責されるだろう。たとえば「被告人は被害者が殺されることを望んでいないことを知らなかった」といった形で殺人が肯定される

ここでは蓋然的妥当性という観念は一旦無視するので(蓋然的妥当性の倫理をむしろ考えるべきかもしれない)、0.01%でも被害者がそれを望んでいるかもしれなければ、殺人すべきと考える殺人者の存在を考慮できてしまう

かといって最初の問いを否定するなら我々の自由はない。端的に、知らないで犯している無数の罪におびえて引きこもるか自殺する以外の選択肢はなくなる

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これはもちろん極論なのだけど、僕はちょっと調子いまいちなときはこのへんで考えがちなので、えーっとアクチュアルな問いである

ややASDちっくな症状なんだろうな、これ。端的に、「常識で考えて」的なことを要請されてしまうと、ブラックホールが出現し、全世界が吸い込まれる。気絶して寝てると復活する

日常生活はどちらかといえば自明性の上に送れているのだが、その無根拠性を意識してしまうとちょっとな

で、これを踏まえた上で欲望の問題についての自明性の喪失を論ずればよかったのですが、あんまり書く必然性が自分の中でなくなっているのでこっちは放置

「私は私がどうしたいかわからないので私がどうしたいかはおまえたちが考えろ」と言うとこれはヒステリーの言説だな。僕はこれをやろうとするときもある

逆にこれを受け止めるのはすごく体力食うし、体力を食った末に辛うじて言えることは「あなたが知らないことは僕も知らない」だったりもする
なのでできるだけ受け止める側に回らないようにヒステリーの言説するべきという発想と、これ非倫理的だからやめようよという発想とが、なんか両立している

精神分析だとヒステリーの言説を推しがちな側面があるのだけど、ヒステリーの言説は「真正面から受け取ってしまえば」不快である。「知を想定された主体」に他人を仕立てようとするのをやめろ。まったく

存在しない真理を自分で延々と考えるのはなんかそれはそういう趣味の人がいてもいいよねの範囲っぽいが、他人に押し付けるのはの……

教育ドラマに出てくる目がきれいな先生みたいに振る舞うとこの負担を投げ返せる。「それで、君は本当はどうしたいんだい?」みたいに見つめて言い返すとか。でもこれもけっこうずるいというか人を潰しそうだよね

ヒステリーの言説をやる人は(臨床的ヒステリーとは限らない)、まあ良性っちゃ良性なのですが、どうしても「他人に考えさせてしまう」し、考えさせたら妄想もされるであろう程度の道理がある

女性がSNSとかやるんであれば、大学の言説(端的に権威主義で知識自慢なマンスプ的言説)をほどほどに混ぜるとか、うんことか言っとくとか、なんか適当に中和しろということを前も書いた記憶がある

しかしそんな要請に付き合う義理もなかろうしな。したいようにするいいよ

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