類への固着(たとえば特定の属性のキャラが良いというの)は言語の水準か? ということを少し考えている。平均顔が美しいみたいなことはあるんだから、類はイメージじゃないか

プラトニズム的なものを批判的に捉えると、普通名詞には対応するイメージは(平均的概念として)ある、ということになるだろう

プラトニズム自体はイメージを物自体的に扱うから駄目なんだけど
イメージがあるというのは脳がそれを再生する回路を持っているということであり、おそらく反復強迫の成立条件になる(ただしPTSDはやや別かもという気がしている)

象徴界が構造化しているという意味で象徴界の優位は認めつつ、想像界には(単に鏡像関係だけとも言い切れないような)生易しくない力動があるよ、という理論を立ててもいいんだろうか

「こういう顔が好き」みたいなことが成立してしまうわけで、シニフィアン化はたぶんされてくのだが、それ以前のところは色々あって素直に構造主義だと手に負えない、かも

もはや構造がどうたらではなくて、フーリエ変換してみてどうでしょうかみたいな話になってしまう

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そう、フーリエ変換してみてどうでしょうかの世界を構造主義はうまく扱えない。無視できるほど軽くもないので困る

言いがかりにもほどがあるんだけど、人間社会は言語的な構造「だけ」ではさすがにないと思う。かといって変に神秘化する必要もなくて、普通に数学的に記述可能な「構造」というかパターンが形成されている

数学的に記述可能なパターンに価値判断を合着できるだろうか? って書いてて思ったけど今はAIイラストとかなら普通にやってるし古くは(今もありそうだけど)保険屋がロジスティック回帰でうんたらしたりするんだよな

a,b,cの指標にw1,w2,w3の重みをかけて、値が0を越えたらその行為は悪、といった道徳は成立するだろうか。成立しちゃいけない理由は特にないと思う

重みはベイズ的に推定して分布にしとくべし

思想としての想像界の歴史を振り返ると、現象学がとにかく頑張れば言語的に記述できるだろうという脳筋アプローチを試みていて、メルロ=ポンティらへんで頂点に達してるのだと思う。
そのあとサイバネティックスとか流行ってなんかそういうの使えるんじゃ? という雰囲気が漂う。
で、いつの間にか構造主義になって、そういうのはなかったことにされた。

あ、ベルクソンを入れ忘れた。この領域では無視できないのだが。

別に僕は数学に幻想はないのだけど、それはそれとして言語がある程度現実を記述できるのと同様に、数学というか数値である程度は記述可能な現実というものはあって、それは自然言語では無理だったりもするけど我々の判断に影響を及ぼすよね、という感じのことは考えたい

僕の数学に対する幻想のなさ、現実を測る道具としては誤差は当然入り、誤差の見積もりはどんなに高級な確率理論とか持ってきてもつまるところ蓋然性でやるしかないので、そこに絶対はないだろうと思うからなんだろう

数学は「仮定をたくさんおけば特定の様式の現実について近似的に正しいことが言えなくもない言語」だと思ってて、文系の人の数学観とも、数学ないし理論物理系の人の数学観とも違う。工学系の発想

理論物理あたりだとまだ真理を追求してそうだが、僕たちはそういうことは割とどうでもよく、当てはまりが悪くなさそうなら悪くなさそうさが許容できる範囲で使える、て感じだからな……

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