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Apple社の配信する限られたバリエーションの顔文字がたくさんの人々の感情を形成していっていると思うとけっこう恐ろしい

猫の顔面はすべて良いが、野良猫の何にも飼い慣らされていない不遜な顔つきには魂レベルでグッとくるものがある

日が沈むのが早くさえなければ、ずっと冬でずっと寒いままでも良いのにな

人がSNSに投稿した部屋の画像の片隅に映ったコンセント部分を拡大してテレビ端子が何にも繋がれていないことを確認、この人はテレビを観ない生活を送っている人、とぼんやり記憶して、その後も引き続きインターネットのはじっこから会ったこともない誰かの人生をひっそり眺める

造花や人工植物に対する感情、精巧に作られててすげ〜という感動とは別に、「このFAKE野郎が」という謎の怒りがある

電動ドライバーって聞いたことあるなんだっけ?状態だった昨年12月から1ヶ月弱が経過して、2023年1月現在「石膏ボードの穴埋めパテ」や「ドリルビット」の規格などを熱心に調べるところまで来ている

電動ドライバーを買ってから、身の回りのあらゆるネジがふと目に入ってくるようになり、すべての部品は取り外せる→新しいパーツに交換できる→備え付け(provided)は絶対固定(fixed)ではない→所与の世界は己の手で好きに変えられる、ということをあらためて知る

「監督&脚本&主演:わたし」の映画、神(ホスト)と人間(プレイヤー)の両方を同時にエンジョイできる理想特区なのかも

事前情報ゼロで観た映画の主人公役の俳優が、そもそもの作品それ自体の監督であったことを鑑賞後に知ったときの落雷のような嬉しさ
すべてあなただったのか…の衝撃で思わず天を仰いでしまった

1/7-8の渋谷駅工事、ぜったいドキュメンタリーやってほしい 何がどう動いたのかぜんぶ知りたい

人間の股から新しい人間が出てくるという事実、よく考えると心底意味が分からなくてめちゃくちゃ面白い

嫌いな作品、快/不快でいえば不快な存在だけど、他のやつらが到達しえない領域に勝手に侵入して"心の琴線"というものには触れてくるんだよな そういう意味でのカタルシスはある

『花束みたいな恋をした』を約1年ぶりに見返して、感想が「うわこれ嫌いかも…」から「ふーん おもしれー映画」に変わった

2年前に住んでたとこ(旧・旧居)、駅周辺、行きたくなってきた 今なら何を感じるだろうか

1年前の自分はまじで別人に思えるし、そのまた1年前の自分はさらにしんそこ別人に思えるな
後ろを振り返ると大勢の別人の自分たちが連なっているのが見えるようだ

引っ越し後の新生活、近場のスーパー行くとかでもずっと旅行みたいで楽しすぎる お寿司とか買ってしまう 人生がめでたくて

効率性と「意味」の呪いにかかった今の自分にとっては、異世界の土地になってしまったな

田舎、ごはんを外に食べにいくにもスーパーに日用品を買いに行くにもコンビニへ用事を済ませに行くにも人を揃えて車に乗り込んで山を下って街へ出掛けていく必要があり、生活のあらゆる雑事が"おおごと"化されそれらをこなしているだけで1日が終わってゆくので、ああ、こうやって人生は過ぎ去っていくのか、とぼんやり感じる

徒労…!と思いながらもいちおう形式的な行事やイベントに従事することへの自分なりの目的、一つには「1年前の自分との差分を取る」というのがある
生活のループをぐるぐる繰り返しているうちにあれよあれよと過ぎ去ってしまう日々、同じ位置を通過しながらも螺旋状に上昇していけたらよい

ピアニスト反田恭平さんのパーソナリティ、かなり気になる

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