唐沢俊一のツイートを眺めてた。
知らないけど、わからないけど、
いつもだけど、こういう前置きの「つぶやき」が多い。
知らないなら黙っとけよとも思うけど、そこで黙らなくて済むようにしたのがSNSの功罪なんだよなあと。
銭湯や散髪屋や酒屋のおっさん同士のナイターや政治の素人の評論大会。これが全世界であるわけだ。
しかも知識0を恥じることなくいえる。
すばらしくもあり、なんだかなあでもある。
今後AIがさらに適当に補完してくれそう。
「唐沢俊一のお悔やみをポストして」ってAIに書かせるんだよ。
それに何の意味があるか?それをいうならすでにいまがそう。
知らないけど、ではじまるツイートな。
一億総「お気持ち」文化だよな。
でも、すでに社会影響の大きいひとが無邪気にお気持ちを表明すると命取りになる。
セクシー田中さんの脚本家、フワちゃん、広義だと松本人志の「ついに出たね」もアウトくさい。
承認欲求は満たしたい。これは全人類にあるようだけど、安全圏内から満たしたいとも思うよな。
目立ちたいけど身バレしたくない、実社会に悪影響が出るような承認欲求はダメ。
ここで大事なのはどこにあって誰が決めてるのかわからない「公序良俗」ってやつだよな。
これを乗り越えると一発アウト。
誰も基準がわからないのにどんどんピーキーになってきてる。
フワちゃんのツイートは3年も前だったら許されてる気はする。セクシーの脚本家も復帰してるよもう。
だから炎上してもアカ消し逃亡ができる一般人が有利。無名のまま有名になるのがいいんだよね。