#ノート小説部3日執筆 カボチャのスープが飲みたいのじゃね/お題「カボチャ」
「カボチャのスープって、あんまりいいイメージがないんですよね。甘いけど、ドロドロしてて――もったりしてて、わたしだけですかね?」
「そうかじゃあ、サイゼリヤでも行くか」
もし、あなたがカボチャのスープが苦手なら、
サイゼリヤで食べてみるのをオススメしたい。
メインと併せて、カボチャのスープを頼む。
そうすればメインの前にスープが運ばれてくる。
スープ皿に入った橙色のスープ。
は白いクリームが掛かった品のいいスープだ。
スプーンでスープを掬うと――
とろみのある、それでいて滑らかなスープがスプーンの上に収まる。
一口、黄金色の液体を飲み込む。
すると、舌の上には滑らかで濃厚な口当たり、
そしてカボチャの自然な甘みが、舌先に広がっていく。
そうして、味わいを楽しんで飲み込むと
暖かいスープの滋味が口いっぱいに広がり、胃を喜ばせる。
ゆっくりと舌の上で感じるのは、
バターとオニオン、かすかにオリーブの風味。
ナツメグとパセリの香り。
カボチャ特有のねっとりとしたほくほく感に繊維質を感じさせない――
雑味のない、しっとりと甘い、カボチャのいいところを突き詰めた味。
しっかり裏ごしされたクリーム感のある味わいが嬉しい。
カボチャのスープに感じるイメージがもし、もったりとした雑味に染まっているならば、一度サイゼリヤで注文してみて欲しいのだが……
「先輩、メニューにカボチャのスープがないですよ」
「おかしい……コストカットの影響か? 世知辛いもんだ」
そう、今年は暖かいカボチャのスープが、まだメニューに載っていない。
果たして、今年はサイゼリヤでカボチャのスープを食べることは叶うのか。
仕方ないから、コーンスープにした。
ちなまずとも、サイゼリヤのコーンスープもまた絶品である。
「あ、美味し」
「企業努力の味がして、これも悪くない」
#ノート小説部3日執筆 お題:かぼちゃ
外からは雨音がさぁさぁと響く。
少し前までの暑さはどこへやら、急に秋雨が続く日々となった。
窓ガラスに目をやると自分の顔に雨粒が点々と模様をつける。外の景色も雨粒でゆがんだ街の灯りだけで変わり映えしない。
かといって。定時を過ぎて人の減ったオフィスで、PCのモニターとにらめっこを続けるのにも飽きてしまった。
集中力の切れた私は、自分のデスクの上に並んだセミの抜け殻を指でつついて過ぎた夏に思いを馳せるが、ただただ暑かった記憶だけしかない。
もうこれはダメだ。と頭を振る。ぼんやりしていても何も浮かんでこない。そういうターンなのだ。
——となれば、ちょっかいをかけるチャンスだ。
そう考えて横の席の後輩をちらりと見ると、そちらも大体似たような様子で、エナジードリンクの細長い缶をちゃぷちゃぷと揺らしながら虚空を見つめていた。
ふ、と笑って自分のデスクを離れると、オフィスの冷蔵庫から少し大きめのタッパーを取り出す。
朝から冷蔵庫で一定の場所を占めていたそれは、付箋で名前を書いておいたおかげでつまみ食いの被害を受けることもなかったようだ。
デスクに戻ると先程と変わらない姿勢で宙を見ている隣の席の後輩にふたを開けたタッパーずい、を差し出す。
中には小さく切り分けられた黄土色のパイ。
「ほれ、さんくすぎびんぐ」
「え?」
私の声で現実に戻ってきたらしく素っ頓狂な声を上げる。
「……なんですかこれ」
「アメリカの感謝祭のデザートではパンプキンパイがメジャーなんだそうだよ」
「また唐突に不思議な事を……」
いただきます、と恐る恐る手を伸ばそうとして、何かに気づいたように手を止めてこちらを見る。
「そのためにわざわざ準備したんですか?」
「いや、親戚からもらったカボチャが余ったから昨日作った。」
なるほど、と私の言葉に納得したように「ありがとうございます」とやっと一切れつまむ。
「理由なく作ったものは信用できないってか?失礼な奴め」
「だって、普段ロクな事しないじゃないですか」
そう言って指折り私の行動を数える。
「この前は仕事終わらないって嘘ついて、定時になったらさっさと終わらせて帰ったし」
「だって残業に巻き込まれたくないじゃないか」
「昼休みに突然蝉を捕まえに行くって出かけるし」
「断念してセミの抜け殻で我慢したじゃないか」
先程までつついていた抜け殻に目をやる。
他の人だって机の上にキャラクターものとか置いているし、それと同じだろうに。
「今日だって、他の先輩が怯えてましたよ『冷蔵庫に怪しいタッパーが入ってる』って」
「怪しいとはひどいな。私の名前が書いてあったろう」
いや、だからじゃないですか。と失礼な事を言われてひと睨みする。
「ま、でも普通そうなもので安心しました」
「小腹が減った時に食べようと思ってね」
じゃあせめて飲み物くらいは、と言うので言葉に甘えてマグカップを差し出す。珈琲でいいです?という言葉に頷くと後輩はそのまま給湯室へ歩いて行った。
——人間ができてるなぁ。とつぶやく。
行動で浮きがちな私にとって話相手として付き合ってくれるだけありがたいのに、懐いてくれている(ような気がする)のは彼くらいだ。
そんなことをぼんやり考えているうちにマグカップを2つもった後輩が帰って来る。
そうして私のマグを差し出しながら口を開く。
「ところで、さっき言ってた感謝祭って何なんです?」
「んー、端的に言えばアメリカのの収穫祭だね。一年元気に過ごせてやったーみたいな意味も込めてお祝いするやつ」
ここまで雑に説明すると怒られそうだが、まぁ本質は間違ってないだろう。
「元々はアメリカ入植者が生活を助けてくれたネイティブ・アメリカンへの感謝も含めて宴をしていたらしいがね」
「じゃあ、友好の証みたいな感じもあるんですね」
ほっこりと和んだ顔をする後輩を見ながら私は続ける。
「——だが、全体で見ればネイティブアメリカンはそれ以上に迫害された。今もノ—サンクス、ノーギビングなんて言われることもあるらしい」
歴史の通りさ。と話を終える。
「……いい話で終わればいいのに。何でわざわざ暗いオチを付け足すんですか」
「個人的に綺麗な面だけを見るのが嫌いだからさ。フェアじゃない」
捻くれてる、と呆れた顔をする後輩に片眉を上げてみせる。
「ハッピーエンドが最良とは限らないだろ」
やっぱり捻くれてる、と今度は顔をしかめられる。
人間も信じない。きれいごとだけで生きてはいけないから。
でも、表裏一体。汚いというのは綺麗ごとが存在するからそう見える。
だからせめて、綺麗な面を見せてくれる人には“ありがとう”を。
「ま、とにかく普段世話になってるからね」
「世話されてる自覚はあるんですね」
憎まれ口とともに「ごちそうさま、美味しかったです」と口の端をティッシュで拭きながら後輩が続ける。
しばしの沈黙。二人とも珈琲を啜ると、なんとなしに壁のカレンダーを見た。
「ってことは今日がその感謝祭の日なんですか?」
「いや、感謝祭は11月の末だよ」
は?と眉間にしわを寄せてパンプキンパイの入ったタッパーを見る。
「じゃあ、これは?」
「さっきも言っただろう?かぼちゃが消費しきれなくて余ってたんだよ」
「最初にサンクスギビングって言ってたのは?」
「いいだろ、別に私はアメリカ人じゃないんだから一ヶ月早くても」
「なんならハロウィンの方が近いじゃないですか」
「細かい事はいいんだよぅ」
そんなやりとりをしながら自分でもパンプキンパイを一切れ齧る。
しっとりとした優しい甘さの奥にシナモンがアクセントになっている。パイ生地もバターが香る。我ながらいい出来だ。
いくつもの味や香りが重なって作られる料理は、人間そのもののような気がする。
決して杓子定規で測る事の出来ない、伝えたい感情の重なりを込めているからかもしれない。
そんなことを考えていると後輩は何かに気づいたように口を開いた。
「……一カ月早くても、ってことは一応感謝はしてくれてるんですよね」
「それはどうかなぁ、唐突に不思議な事をする私だよ?裏があってもおかしくないんだろう?」
ぶつくさと続く文句を聞こえないふりをして、食べかけのパイの残りを口に放り込んだ。
——かぼちゃにかこつけて感謝を伝えたかっただけだ。
ひねくれ者のそんなことはとても言えないけどね。
心の中で呟いて仕事に戻る。省電力で暗くなったパソコンの画面に反射して、私の穏やかな笑顔が映っていた。
了
初めての参加です(遅刻して申し訳ありません💦)【#ノート小説部3日執筆】「私の心の支え」(お題:ヒーロー)
今日も、うまくいかなかった……。
私は、誰かを不機嫌にさせてばかり。
人と上手に関わることが苦手な私は、乗り越えるべき課題が山積みだ。
社会で働く。誰かの役に立つ。
人と関わる。
緊張なんてしないで、誰かと話をする。
大きな笑い声を上げる。
時には誰かと遊びに行く。
交際をする。
結婚する。
お母さんになる。
親孝行をする。
……なんにもできてない。
みんなが当たり前にできていることが、私にはできない。
そんな自分はここにいていいのだろうか……。
もやもやした気持ちを抱えながら、窓の外の夜空を見上げる。
雲の隙間から星が見える。小さく小さく光っている無数の星々。
もし、星に例えるのなら、きっと私は、あの星々のちっぽけな一つに過ぎないのだろう。
消えてしまっても誰にも気づかれないような……そんな小さな星。
あんなにたくさんあるのだから、一つ消えたところで、だあれも悲しまない………
はあ……。
またひどく落ち込みそうになったので、寝そべっていた私は、がばりと起き上がると、さっそく気分を切り替えることにした。
こういうときの私に寄り添ってくれるものがあるのだ。
ぐちゃぐちゃに散らかった部屋をかき分けながら歩いて、CDプレーヤーを持ってくる。コードを電源プラグに差し、プレーヤーの電源入れる。それから、馴染みのCDアルバムを開き、その中のCDをプレーヤーの中にセットした。もう慣れた儀式だ。
YouTubeなどで聞くのも好きだけど、やっぱり音楽は、ラジカセで聴くのが好き。
どうしてかな……。こう、さあ聴こうって意欲的な気持ちになれるからかな。ちなみに、ゲームもPSコントローラー派。
そして、再生のボタンを押す。自然と心臓が高鳴る。
途端に、聴き慣れた旋律が穏やかに響く。私は、目を閉じて、それに耳を傾ける。
There's a hero if you look inside your heart.
“ヒーローっているの。心の中を覗いてみて”
美しい歌声とともに紡がれていく言葉。
この歌は、Mariah Carey(マライア・キャリー)の『Hero』
幼い頃から、ずっと聴き続けてる曲。
落ち込んだときに、いつも勇気を授けてくれる歌。
大好きな曲は、何十年経っても色褪せない。
こんな夜みたいに、ひとりぼっちになって、辛いときは、いつも、この曲を聴くの。
力強くて、それでいて、とても優しいこの歌は、私の背中を押してくれる。
まさに、私を支えてくれるヒーロー。
私は、一緒に口ずさむ。英語の発音が悪いなんてお構いなしよ。今は誰もいないもの。
誰の目も気にしなくていいの。
Lord knows dreams are hard to follow.
“神様は知っているわ。夢を追いかけ続ける難しさを”
But don't let anyone tear them away.
“でも誰かのせいで夢を諦めないで”
Hold on, there will be tomorrow.
“耐えて 明日は必ずやって来るから”
In time, you'll find the way.
“いつか必ず、あなたの道が見つかるから”
……私は、ただ、私らしくありたい。
普通じゃなくても、
みんなと比べて劣っていても。
自分を誇れるような、私になってみたい…。
それを、その夢を、諦めたくないの。
小さな小さなちっぽけな存在でも、
私は、確かに、ここにいるのだから。
And then a hero comes along
“そしてヒーローはやってくるの”
With the strength to carry on.
“前に進むための強さとともに”
And you cast your fears aside.
“そして、あなたは不安を振り払えるの”
And you know you can survive.
“だって、あなたはどんな苦境も乗り越えられるって知っているから”
So when you feel like hope is gone,
“だから希望を失っても”
Look inside you and be strong.
“自分自身を見つめて強く生きてね”
And you'll finally see the truth
“そうすれば最後には真実がわかるわ”
that a hero lies in you.
“ヒーローはあなたの中にいるの”
………そう。
私のヒーローは、私自身なんだ。
だから、私は、私を諦めちゃいけない。
私だけは、あなたの味方だよって……そう言ってあげたい。
苦しくても、どんなこともきっと乗り越えられる。
必ず明日はやってくる。
私は、私を信じてあげたい。
愛してあげたい。
そして、いつか、私を誇らしく思いたい……。
でもね、それって、とても難しいの……。
私は、未だに、自分のことを好きになれないから…。
だからこそ、私は、勇気を振り絞るように、もう一度、口ずさむ。
「”And then a hero comes along……“」
私が、私に負けないために。
#ノート小説部3日執筆 お題『ヒーロー』 『ヒーローと呼ぶには』
辛いとき、悲しいとき。颯爽と現れて全部解決してくれる。それがヒーローというものなら――あまりにも都合が良すぎる。そう、ある少女は考えた。
彼らの生き様を描いた物語は、古今東西多くの人を魅了するし、多くは憧れの対象にもなる。身近にヒーローがいて彼らに救われた者たちは、ヒーローに憧れ、時には恋をする。それが悪いとは思わないが、一つ心配な事があった。
ヒーローもまた、同じ人間だという意識があるのだろうか、と。
とはいえ、少女は生まれた時からこんな事を考えていた訳では無く、むしろ現実に現れたヒーローにまさしく前述のような感情を抱いた側である。
では何故、このような事を考えるようになったか。
それは彼女の『ヒーロー』が、そう呼ぶにはあまりに弱点が多かったからだ。
*
「最近、純がよそよそしい気がする」
山崎愛花は眉を顰めながら、ぼやくように言った。彼女の手元には、男子サイズの弁当箱がある。昼休み開始から十五分も経った今、本来なら残さず平らげられている筈のそれは、まだ半分以上残っていた。
鮮やかな茶色の髪を指を弄ぶ彼女に、正面の女子が目を丸くした。
「よそよそしい? マナちゃんに? あの人に限ってそんな事あるかな?」
「ワタシもそう思うなぁ。マナちゃんの考え過ぎに一票~~」
右隣の女子が便乗する形で、ゆったりとした声と動作で笑った。
事態を軽く受け止めた風の二人に対し、愛花は頬を膨らませた。
「むぅ、ミカちゃんもカエデちゃんも大したことないって思ってるでしょ」
「だってマナちゃん、前に『純の返事が冷たい』って悩んでたけど、『スマホの文字が打ちづらい』ってだけだったでしょ~~」
「ああ~~、あの人ただでさえ不器用なのに手も大きいもんね」
「うぅ、確かに文字打つのがおじいちゃんみたいに遅かったけど……」
手前の少女ミカと右隣の少女カエデが揃って笑うと、愛花はバツの悪さと共に生姜焼きを一口呑み込んだ。
「そういう訳だから、マナちゃんはいつも通りにしてたらいいんじゃない?」
「それでも何かあるなら聞いてみれば? マナちゃんに真剣に聞かれたら、逃げられないと思うし」
「う~~ん……そうかな……」
愛花は釈然としない想いを抱えたまま、白米を口に運んだ。
「それよりマナちゃん。その髪飾りだけど……」
「あっ……うん。ちょっとね……」
*
しかし、その日も翌日も、愛花の悩みは解決しなかった。
そして遂に、愛花は彼を呼び出した。メッセージで呼び出した分には、彼の対応は変化が無い。
そうして放課後。正門前で待つ愛花の前に、長身黒髪の男が現れた。
滝本純。愛花の幼馴染だ。今日の彼は、昨日までより幾分か愛花を見る目が柔らかかった。それを察した瞬間、愛花は質問事項を変えることにした。『どうして自分によそよそしいのか』ではなく。
「純、何か……私に隠してない?」
言い訳を許さないように、真剣な眼差しを向ける愛花。その眼を前に、純も観念したように小さく息を吐いた。
そして鞄に手を入れると、綺麗な花の髪飾りを差し出した。
「これって……私の髪飾り?」
純が取り出したのは、愛花の髪飾りだった。先日の学校帰りに失くしたと思ったものだったが――。
「探してくれたの? でも、それなら何で私を避けるような……先週の事? 何かあったっけ……?」
純が愛花によそよそしかった理由が『先週の失敗』という事だったが、愛花にはまるで覚えが無い。そして彼が言った失敗を聞くと、愛花は思わず大きなため息と共に全身をがっくりと脱力させた。確かにその瞬間こそ少しムッとしたが、言われて初めて思い出したうえに、今考えれば機嫌を損ねる程の事でも無かった。何しろ、その程度の事は数え切れないぐらいあったのだから。
「あのね……純。そんな事で嫌いになるんだったら、私は一体何百回純の事を嫌いにならないといけないの?」
腹の底からため息を出しながら、愛花は極力声の調子を維持しようとした。しかし、あまりにも真相で拍子抜けしたせいで、無駄な抵抗だった。
純は失敗が無くてもどの道髪飾りを探しただろう。だが、失敗の埋め合わせに『髪飾りを見つけないと合わせる顔が無い』などと考え出すのが、純という男なのである。
しかし、きっちり髪飾りを見つけてくれたのも事実。これもまた、純なのである。
「はぁ……もういいや。いや、怒ってるんじゃなくてね。……晩ご飯? うん、今からお母さんに連絡すれば大丈夫だけど……美味しい濃厚豚骨ラーメン!? 行く行く!」
わざわざ愛花が好みそうな店を見つけてきたのだろう。
そう思うと、愛花は途端に可笑しくなってきた。
「……ん? いや、その……やっぱり、純は純だなって」
愛花は、本来家用のシンプルな髪飾りを外し、受け取った髪飾りを着けた。そうして純を見ると、二日ぶりに――いつも通りに、花の咲くような笑顔を見せた。
滝本純は、ヒーローと呼ぶには弱点が多すぎる。だからこそ、山崎愛花は恋をする。
#mud_braver
#ノート小説部3日執筆 「形而上 ヒーロー」※実話に基づくかなり暗い話注意 お題:ヒーロー
あの人が空の向こうへ行ってしまって、もうすぐ1年になる。
自分にとってのスーパーヒーロー。
艷やかな低音で美しい旋律を歌い上げ、男性でありながらルージュとレースのニーハイが誰よりも似合っていた美しい人。
自分が半ば衝動的に火星に移住し、しかしながら年末のコンサートツアーファイナルのためには一旦地球に行こうと思っていたのに、あの人はツアーのコンサート中に倒れ、夜明けさえ待たないでそのまま逝ってしまったのだという。
自分はそのニュースを一月遅れで知り、どうしていいかわからずにただただ涙を流すしかなかった。
もうあの銀河の如き歌声をもう一度生で感じることも、性別などただの飾りだと自分に教えてくれたあの死ぬほど美しい姿を見ることもできないなんて信じられなくて、作業も手につかず、火星の自宅でひとり泣いた。
あの人を知ることができたから、自分は今こうして自分らしく(ノンバイナリーとして)在ることを選べたというのに。
ツアーに行かず、火星に行くことを選んだ自分を恨みもした。バンドもバンドマンも永遠ではないのだから、行ける時に行けるだけ行っておくべきだったのではないかという悔恨が自分の胸にあった。失ってから初めて気づくなんて、あまりに愚かな話だ。
ただ、地球のSNSで医療従事者と思われる人が「多分、その症状なら苦しまずに逝けたと思う」と書き込んでいたこと、現地にいた人が「あの人は明らかな不調の中1曲歌いきって、自らの足でステージを降りた。最期まであの人だった」とレポートしていたことだけがせめてもの救いだった。
年末のコンサートは少し形を変えて、しかしながら予定通りに実施された。
その人がいたところにはマイクスタンドすらなく、ただスポットライトだけが当たっていて、自分はそれを見ながら「あの人は形而上の存在となって今もこのステージに在るのだ」と思った。
姿は見えないけれども、あの光こそが自分のスーパーヒーローの存在を証明していると、そう感じたのだ。
でもあれだけ歌を、バンドを、ファンを愛したあの人がこんなにあっさり姿を消してしまうだなんて今も信じられないでいる。しかもツアーどころかステージを最後まで全うすることすらできずに。
ねぇ、本当は貴方も会いたくてたまらないんじゃない?
会いたくなったらいつでも姿を見せてくれていいんだよ?
多分それは会場にいた全員の願いだったと思う。そう思いながら曲に合わせ、黄泉彷徨う死装束の魂となってしまった人にみんなで手を伸ばす。
そして一時の夢を見た。もう一度あの死ぬほど美しい声を聴く夢を。
そして夢は終わり、自分たちは悲しみにさよならを告げたのだった。
今年の年末もまた、スーパーヒーローなきコンサートが開催される。
自分の胸にぽっかりと空いた穴はまだ埋まっていない。
メンバーがかの人の喪失をどのように埋めてくるか想像もつかない。
けれど自分はきっとまた足を運ぶだろう。
はるばる火星から地球まで、形而上のヒーローに会うために。
たとえ姿が見えなくとも、手を伸ばせば何度だって夢を見られるから。
おわり
featuring BUCK-TICK「形而上、流星」、MUCC「スーパーヒーロー」
我が愛しのヒーロー、櫻井敦司に捧ぐ
「俺とヒーローと金曜日」#ノート小説部3日執筆 流血表現注意:warning_male_x_male:
腹に出来た切り傷から、赤い液体がとめどなく流れていく。
俺は小さな声で悪態を吐きながら、ぐったりと地面に座り込んだ。
一緒にいた女は逃げてしまったらしい。そして、俺を刺した女も。
傷はじわじわと熱を持っており、痛みがどんどん増していた。持っていたスマホで救急車を呼ぼうとしたが、手に力が入らない。
ああ、ここで死ぬんだと思った。顔の良さだけで調子良く生きてきたバチが当たったのだ。
ホストになったのも、やりたかったからではなく、街で偶然声をかけられ、稼げそうだという軽い気持ちからだった。
それがこのザマだ。俺を刺した女は俺が他の客の相手をしていると猛然と嫉妬してくるような女で、厄介な客だったが、うまくあしらえていると勘違いしていた。数分前、道端で他の客と一緒にいたところを見つけられ、持っていたナイフで刺されるまでは。
良いじゃないか、ここで死ぬのがお前にはお似合いなんだと頭の片隅で声がした。その通りかもしれない。
こうやって誰にも顧みられず、死ぬのが俺には相応しいような気がした。
「おい、大丈夫か?」
俺が意識を手放そうとしていた時、傍にスーツ姿のサラリーマンが跪いた。そうしてそっと傷にハンカチを当てる。
「放っといてくれませんか…お兄さんハンカチ汚れちゃいますよ…」
俺は途切れ途切れにそう言ったが、サラリーマンはニコッと笑って「安物だから気にすんなよ」と言った。
「今、救急車と警察を呼んだからな。それまで俺と一緒にいようぜ」
ああ、良い人だ。俺は数年ぶりに他人に対してそう思った。
サラリーマンはよく見るとちょっと不健康な太り方をしていたが、なかなか整った顔立ちのイケメンで、黒縁の眼鏡がよく似合っていた。目の下に黒いクマがあるので、やや寝不足気味なんだろうか。
「お兄さんゴメンね…こんな深夜に迷惑かけて…」
「明日は土曜日だから気にすんなよ。久しぶりの休みだからな、人助けができるんなら気持ちよく休めるさ」
「俺、もうこんな仕事辞めます…」
「そうかそうか、人生いつだっていろんな方向にスタート切れるから大丈夫だぜ。多分」
戦隊モノのヒーローなんて全く憧れない人生を送ってきた。あんな正義感を振り回してバカじゃないかと思っていた。どんな形のヒーローも縁のない人生で、顔の良さと調子の良さだけでなんとかしてきた。
ヒーローなんて、いないと思っていた。あれは空想だ、作り話なんだと。
でも現に、ここにいた。くたびれたスーツのサラリーマンという姿で、俺の人生に登場したのだ。
「お兄さん、ヒーローみたいっすね…」
「そう言われると照れちまうな。お、救急車と警察が来たみたいだな」
「待ってください、名前を…」
俺は聞こうとしたが、彼は警察と救急隊に俺を引き渡し、立ち去っていた。
「と、いうのが俺とヒーローとの出会いの話です」
「それでホストクラブを辞めてウチに?」
そう言って、俺を雇ってくれたコンビニの店長は老眼鏡の奥の目を瞬かせた。
客が来ない間、俺と店長は仕事をしながらおしゃべりしていたのだが、成り行きで俺がホストを辞めたきっかけの話になったのである。
「彼とはそれっきりなのかい?」
「そうですね。あれから結構探したんですけど、再会することはできなくて。でも、いつか会えると信じてます」
そう言って俺は品出しを続けた。あれから一年半が経ち、俺はこうやってバイトをしながら新しい人生について模索している。
色々知り合いもできて、結構楽しいこともあり、収入はだいぶ減ったが悪くないなと思っていた。
「そうかあ、いつか会えるといいね。お、お客さんだ。レジをお願いね」
「はい、いらっしゃいませ…え?」
俺は慌ててレジに入り、そして目を疑った。
そこに、私服だったが紛れもなく彼がいた。あれからだいぶ痩せたようで、ほっそりした体躯がブカブカの服の中で浮いている。
彼はコンビニ弁当とドリンクを無言で差し出し、俺は受け取って次に何を言おうか思いを巡らせたが、今は言うべき時ではないと判断した。
もっと彼と親しくなることができたら色々と伝えるのだ。だから俺はこう言った。
「いらっしゃいませ、お弁当温めますか?」
#ノート小説部3日執筆 お題「ヒーロー」 それはヒーローのように BL 年下×年上
日曜日の朝、子供が見る特撮番組をぼんやりと寝起きの頭で見る。
チープなCGに、意外と凝っている衣装、悪役のおどろどろしかったり、コミカルなデザイン。顔立ちの整った若い俳優のまだ初々しい演技。ヒーローらしいコスチュームを身を纏い、視界が悪いだろうフルフェイスマスクで派手にアクションを決めるヒーローたち。
ぼーっとしながらもその三十分という短い時間の中で描写される意外と濃厚な人間ドラマと、子供向けとは思えない深いテーマ、子供にはきっと繋がりの分からないだろうギミックの数々。それらが織りなすストーリーに内心感服する。
ごそごそと起き上がり、無精髭の生えた顎を軽く掻く。ベッド傍にあるローテーブルの上にある煙草の箱を手に取り、中から一本取り出すとベッドの上、壁にもたれかかった。
そして煙草に火をつけて燻らせながら、その小さなテレビの画面越しにヒーローを見つめる。
子供の頃は自分もいつかこんな風にかっこよく人を助けるヒーローになりたい、なんて、今考えると馬鹿みたいな事を真剣に考えていた。
だけど現実は厳しくて、いつの間にかヒーローに夢を見る時間は終わり、親が望む『普通』になる為、勉強をしていい学校に入っていい会社に……と夢のかけらもない日々を送らなくちゃならなくなった。
そして結局その『普通の人』というレールさえも外れてしまって、今がある。
フーッと天井に向けて紫煙を吐き出す。
その白い煙は最初口から勢いよく出て、その内ゆらゆらと部屋の中に漂い、ベッドの正面にあるテレビ画面を薄い白で煙らせる。
テレビの中ではヒーローがかっこよく名乗りを上げて、異形の怪人に戦いを挑んでいた。
昔から変わらないヒーローたちの名乗り。そして、子供にもわかりやすい勧善懲悪。
最も怪人がする悪事は現実を生きる俺達からすると、ちゃちくて、可愛げのある、取り返しのつくものばかり。なんならあまりのちっちゃさに笑いが込み上げてくる。この怪人がする悪事よりも、悪い事を覚えだした中学生の方が性質の悪い悪事をする現実。
悪意も悪事も現実よりも薄く、薄く、薄められて、毒々しい筈の猛毒が子供にも飲める甘いジュースになっている。
そんな夢の中の世界だからこそ、存在できるヒーロー。
煙草を燻らしながらぼんやりとテレビを見て、その空想の世界に意識のいくらかが吸い込まれていく。
怪人が一度やられ、お決まりの巨大化をし、そして敵に合わせた巨大ロボを操ってチープなジオラマの中で戦っている姿を見ながら、昔はこれを本物だと信じていたのだと思うと自分でも可笑しくてちょっと笑ってしまう。
それでも真剣にそのヒーローたちを応援したくなる熱さがそこにあり、感情移入してしまう善としての魅力がそこにはあった。
壁から背中を離し、ローテーブルの上にある灰皿を手に取ると膝の上に乗せて短くなった煙草の灰をそこへ落とす。そしてまた口に咥えるとゆっくりと燻らせた。
子供受けのいいコミカルな描写の合間に入るシリアスな展開や、ヒーローたちのほの暗い過去などが三十分の間にしっかり描かれていて、恐らく連続して見ていればその明るさの内側にある重い話やそれぞれがヒーローになるべくしてなったと分かるだろうストーリーに、演出と構成のうまさを感じて煙草を燻らしながら小さく唸る。
そしてエンディングまできっちりと見た後、思わず見入ってしまった事に舌打ちをしてかなり短くなってしまった煙草を灰皿に押し付けて揉み消す。
そのまままた背中を壁にもたれかけ、天井を見上げた。
「あ~~……」
喉の奥から声を出す。その呻き声のような、嘆きの様な声に自虐的に笑う。
そんな時、玄関ドアの開く音がして人が入って来た気配がした。
「あ、起きてたんだ。意外と早起きだね」
手にコンビニの袋を下げてキャップを目深にかぶり、マスクをした男がひとり部屋に入ってくると、その袋をテーブルの上に置きジャケットを脱いでクローゼットの中にかけながら俺にそう言葉をかけてくる。
その馴れ馴れしさとまるで自分の家の様にふるまう男に小さく息を吐く。
特に何も答えない俺に、男は微笑んで視線をテレビへと向ける。そして戦隊ヒーロー番組の後に放送しているアニメを見て、あ、という顔をした。
「……このアニメの前にやってる特撮、見た?」
「……別に」
男の言葉に視線を逸らし、また短く答えると男は嬉しそうな表情をして隣に座り、被っている帽子を取り、つけていたマスクを外した。
そこにはさっきまでテレビの中で悪である怪人に対して名乗りを上げ、正義を貫いていた赤いコスチュームを着ていた男と寸分たがわぬ顔立ちがあり、眉根を寄せる。
昨夜、たまたまバーで出会って一晩過ごした相手が戦隊もののヒーローだった、なんてなんの冗談だ、と思う。
お互い名前さえも知らなかったはずなのに、今は一方的にこっちはコイツを知っている。
「玉川|一之《いちの》、くん。なんで帰らなかったんだ?」
先程の番組でオープニングの時に流れていた名前を思い出しながらそう問えば、男はその整った顔ににこりとこれまたとびきりの笑顔を浮かべる。
「あなたと離れ難かったから。――脚本家の佐々部先生」
悪びれる風もなく笑いながらそう言う玉川に俺は思い切り顔を顰めた。
「……俺、自分の素性君に話した?」
「全然。でも僕は知ってる。昔一度、テレビ番組に出てたよね?」
玉川の言葉に俺は驚いて目を瞬かせ、十数年前に一度だけ出演したトーク番組の事を思い出す。脚本家として駆け出しだった俺が師匠と呼んでいた脚本家の先生の強い要望で出演した番組。メインはあくまでも師匠で、俺はただの引き立て役だった。そんな昔の一度だけ出演した事を、何故……。
「凄く印象的で。あなたがキラキラと輝く瞳で、ヒーローの脚本を書くのが夢だって言ってて……。いつかあなたの脚本でヒーローを演じたいって思ったんだ」
その時、その瞬間、あなたが僕の|ヒーロー《憧れ》になったんだ。そう俺の脳内の疑問へ答える様に続けて俺の耳に囁く。彼の吐く息が耳へかかるくすぐったさに首を竦めた後、あぁ、それで昨夜突然バーで声をかけてきたのか、と合点がいった。
「……なら幻滅したろ」
視線を玉川から逸らしながらそう言えば彼はテレビの中と全く変わらない純粋で、真っ直ぐな輝いている笑顔を俺に向ける。それはあまりにも眩しすぎる笑顔。
「まさか。僕と同じだってわかって逆に嬉しかった」
「同じ? 俺は落ちぶれた脚本家。君はこれから輝いていく|俳優《ヒーロー》だろ? 全然違う」
自嘲し、卑屈さに口の端を吊り上げながら言う俺に彼はまた眩しすぎる位の笑みを俺に向ける。
「先生だってまた輝くんでしょ」
そして部屋の端に置いてあるパソコンテーブルをその綺麗な指で指差す。その上には次回コンペに提出用の書きかけの脚本が画面に映し出されたパソコン。
「……輝く、か。そりゃ難しいかもな」
もう一度自嘲気味に笑って見せ、師匠の寵愛と期待を悉く踏みにじってしまった過去を思う。
「大丈夫だよ。僕がついてる」
無精ひげの生えている頬を、まるで愛しい人間に触れる様に玉川は触れ、そう囁いた。
それはまるでテレビ画面の向こうのヒーローのように。
#ノート小説部3日執筆 『次のヒーローは誰だ?』
『次のヒーローは、キミだ!』
最終回の、お決まりのセリフ。お決まりの、次回予告で次のヒーローの話をする流れ。次のモチーフはなんだろ、楽しみだな。
もう高校生なのに、ずっとこういうの見てる。子供っぽいって笑われるんだろうな。でも、好きなんだもの。仕方ない。
あーあ、転校先でも笑われたら嫌だな。
それはそれとして、新しい学生証、メタルなカードでかっこいいな。
……登校初日。もう放課後。
問題は何も無かった。うん、何もなかった。友達になれそうな子も、入れそうな部活も、無さそうだ。
いや、前の学校でもそうだったから。慣れているから大丈夫。やっぱり、オタクの陰キャには難しいんだよ。こういうの。
仕方ないから図書室で暇を潰して、部活動の子たちが帰るタイミングで、紛れて帰ろう。うん、いつものムーブだ。で、図書室はどこだ?
「キミ」
廊下で呼び止められた。周りに誰もいないから、明らかに私に宛てられている。
振り向くと、黒セーラーの女の子が立ってた。そういえばこの学校『“制服でさえあれば”自由』って書いてあったな。そういう子もいるかぁ。
「キミの物だろう」
渡されたのは、……なんだこれ。初めて見たなこれ。デカい腕時計みたいな、やたらメカメカしいもの。それこそ、変身アイテムみたいな。
「えっと、違いま――」
ちょっと手元を見たうちに、黒セーラーの子はいなくなっていた。どうして。何者なんだあの子。
貰ってしまったこの腕時計、どうしたものか。職員室に落とし物として保管してもらおうかな。
と思って、軽く迷子になりながら渡り廊下を歩いていると。
……校庭から爆発音がした。外に面したガラスにヒビが入って、バリバリ音を立てて崩れていく。
とっさに伏せたから、ケガは無い。
一体なにごと?
下を覗くと、なんかよく分からん怪物が暴れている。なんで!?ここテレビの中じゃないのに!?
「そうだ、伝え忘れた」
振り向くと、さっきの黒セーラーの子が立っていた。さっきまで人気(ひとけ)なんてなかったのに。妖怪かなにか?
「ソレの使い方だ。入学時に教えられるのでな。キミはまだ知らないだろう」
「ソレって、この腕時計のこと?」
聞いてるのか聞いてないのか、黒い子は話を続ける。
「学生証だ。読み込ませれば、然るべき武装が構成される。キミはそれを纏い、動けばいい」
それって、つまり。
「変身するのは、キミの夢ではないのか?」
黒い子が指差す先は、私のスマホだ。さっき伏せた時に落としたみたい。
カバーは、ついこの前終わったヒーローの絵だ。ネットのお友達に頼み込んで、作ってもらったやつ。
「次のヒーローは、誰だ?」
黒い子が訊いてきた。答えるべき言葉は分かる。それを言っていいの?私、ホントにやっていいの?
「案ずるな。キミは選ばれた者なのだから」
根拠がなさすぎる。怖いし。あの怪物、校舎と同じくらいデカいんだけど。
でもそれ以上に、好奇心とか、ポジティブな感情が湧いている。夢を叶えられるからとか、そういうのじゃない。もっと重たくて、もっと熱くて、なんかすごいやつ!
「次のヒーローは……、私だ!」
黒い子が微笑むのが見えた。
デカい腕時計を装着して、横のボタンを押す。表記が変わって、電光掲示板みたいな文字が表示される。
『Are YOU Ready?』
時計に学生証をスキャンする。あとは、昔からひっそり考えてた、変身ポーズで。
「変身ッ!」
文字盤を一周回す。時計から赤い閃光が走って、身体に纏わりつく。
あっという間に、それは装甲に、武器に、ヘルメットになって、私を覆い尽くす。
『Protocol:TRANSFORM SUCCESS!』
目を開ければ、ヘルメットでちょっと狭くなった視界。
でも、倒すべき敵は明確に見える!
「スリーカウントで始末する!」
さすがに『何も怖くない』わけじゃないけど、なんかすっごく、楽しい気分!
――
お〜。転校生ちゃん、やっぱ才能あるねぇ。初めてなのにあんなに戦える子は最高だよ。お上さんに無理言ってよかったねぇ。
「うむ。戦友は多いに越したことはない。一般人間どもに紛れこませるには、余りありすぎる能力だ」
ホント、町ナカで見つけたときはびっくりしちゃった。一般人と同じ生き様なんて、もったいないよ。
それで、どーするの百華(ももか)ちゃん?あんなにヒント出しちゃったら、後々怪しまれちゃうよ。
「その時はその時だ。美影(みかげ)も分かるだろう。いずれ会うその期が、かなり早まったというだけだ」
そう?まあ、いいけどね。ボクも、会うの楽しみだな。ネットで見るより元気そうな子だし。あと、思ったよりオタクで安心しちゃった。
あ、そうだそうだ。
読者さんも、よかったら応援してあげてね。ヒーローは応援あってこそなんだから。
大遅刻、申し訳ありません!【#ノート小説部3日執筆 】「鈴虫が、鳴いている」(お題:鈴虫)
***
玄関の薄暗がりに、お前がいた。
「りー、りー、りー」
お前は幼く薄い唇を震わせて、そう言っている。建てられたときからどこか古びていたこの家の、段板のみが渡されたデザインの階段。その前に座って、階段下の空間を見つめて。
お前の視線の向かう先からは、リーンリーンリーンと、虫の音が響いている。この家でいちばん涼しい階段下に、鈴虫を入れた虫かごがあるからだ。
鈴虫は、町外れの定期市で買ったものだ。外から見ると廃工場にしか見えないスレート屋根の下、「7」のつく日には、色鮮やかなトマトやにぶく光る茄子、まだ朝露をつけたきゅうり、ぬか漬けのまま持ち込まれた漬物がところ狭しと並ぶのだ。夏も終わりになると、そこに鈴虫が加わる。プラスチックの虫かごに入れられた鈴虫たちは、市場の暗さを夜と勘違いするのか、「リーンリーン」と鳴き声を響かせる。
リーンリーンリーン。
虫の音が聞こえる。庭か? いや、階段下か。
リーンリーンリーン。
そうだ。わたしはもう階段の前にいる。そして、お前。目の前に、お前がいる。お前はじいっと座って、虫の音に耳を傾けている。
お前は膝をきゅっと抱えて座っている。汗ばむ額に柔らかい髪をはりつかせ、瞳に玄関の常夜灯の光を反射させ、真剣に。やがて薄い唇を開いて、「りー、りー、りー」と言うのだ。鳴き声を真似するでもなく、いっしょに鳴くのでもない、曖昧なそのトーン。
まだ幼いお前。うさぎが描かれたタンクトップを来て、おむつの丸みがわかるズボンを履いて、膝を抱えて。
そうだ。あのとき、わたしは思った。いつか遠い未来、お前が巣立ってふと思い出すのは、こんな光景だろうと。
リーンリーンリーン。
ああ、虫の音がする。切なく、狂おしく、翅をこすりあわせて鳴いている。
階段下か? そう考えて、いや、とわたしは否定する。何十年も前に、あの定期市は廃止されてしまった。鈴虫を買うことは、もうない。
第一、お前はもういない。いつの間にかおむつが取れ、子ども用の自転車に乗るようになり、制服を着て電車に乗るようになり、遠いところへ旅立って行った。お前は歩き続け、もうこの家に戻ることはない。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
だとしたら、この音は、どこから。
わたしは暗がりのなか、手探りで懐中電灯を探す。玄関の常夜灯など、とっくにつかなくなっている。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
音は近く、近く聞こえている。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
そうだ、庭か。わたしは庭へと回る。溢れるがらくたに、足を取られそうになりながら。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
ああ。草が深い。でも、どこからか虫の音がする。どこに、どこにいる。わたしは草をかきわけて進む。どこ、どこ、どこ。
ここにはただ草があるだけで、目印がない。お前が小さい黄色の実をねだったキンカンの木も、花の色が変わることに驚いたあのあじさいも、どこにもない。
ああ。あの虫の音は、もっと遠く、遠く。ここではないどこかから響く。
リーン、リーン、リーン。
「りー、りー、りー」
その虫の音に、お前の声が重なって、わたしの口元には自然と笑みが浮かぶ。
「りー、りー、りー、りー、りー、りー」
わたしもお前の真似をして、口ずさんでみる。草が覆いかぶさり、わたしを吞み込もうとする。
「りー、りー、りー、りー、りー、りー」
わたしは草にあらがい、かきわけて進んでいく。やまない鈴虫の音を追いながら。お前の声を聞きながら、どこまでもどこまでも。
リーン、リーン、リーン。
遠く近く。鈴虫が、どこかで鳴いている。
#ノート小説部3日執筆 『鈴虫、電話と、なんやかんや』
りんりり、りりんり、りんりりり。
電話のベルと、風鈴の音。取るのが億劫で、そのままにしてる。
りんりり、りりんり、りんりりり。
鈴虫が呼んでいる。
そういえば、電気代まだ払ってないや。また空調止まるのかなぁ。最近寒くなってきて嫌なんだよなぁ。
りんりり、りりんり、りんりりり。
そういえば、鈴虫の声は電話じゃ伝わらないって聞いたなぁ。じゃあ、私の声も伝わらないのかな。だったら嫌だな。
寝て起きたら、鈴虫になってたんだ。グレゴール・ザムザかな?
合成半獣とかじゃなく、割とガチの虫になってるんだよね。
しかもなんか、サイズはそのままっぽい。体が重くてしょうがないや。
うーん。動くのはやっぱり難しいや。体重をかけると、またヒビが入っちゃう。
チンケな脚になっちゃったもんだ。つるすべのクセになんか毛深いし、とげとげで不気味。
でも、なんか、悪くないかも。
りんりり、りりんり、りんりりり。
うーん。電話が鳴りっぱなしだ。鈴虫も鳴きっぱなしだ。
私だって泣きたいな。もう喉がイカれてるから、声は出ないけどね。
りんりり、りりんり、りんりりり。
りんりり、りりんり、りんりりり……。
――
外から鈴虫の声が聞こえてくる。
この時期だと、そろそろ鳴くかどうかって具合。ご近所さんが大量に鈴虫を飼ってるから、10月になると必ずリンリン聞こえる。
そうだ。その鈴虫の華厳さん、最近見ないけど元気かな?
「ウチの家族から、おやつ、です。すずむし」
こはくちゃんが持ってきたおやつの包装には、和風の文字で『寿々むし』と書かれている。
びっくりしちゃった。「鈴虫」って言ってるとばかり。
中身は……なんだろ?
私は和菓子をあんまり知らないから分からない。なんかしゃりしゃりでホロホロになるやつ。お兄ちゃんが帰ってきたら聞こうかな。
ちょっと黒いつぶつぶが見える。バニラの豆みたいなやつかな?
「それには、ホンモノの鈴虫が入ってる。です。嘘ですけど」
秒速でネタバラシされたからいいものの、本気で信じそうになった。あぶないあぶない。
「鈴虫寺の和尚さん、持ちネタらしいです。これ」
面白い人なんだろうな。行ったことないから分からないや。
うん、食べると、やんわり甘い。和菓子ってこう、優しい甘さだから好き。
「ん、うま、です」
こはくちゃんも満足っぽい。
「ところで、です。電話の音が聞こえる気がする、です?」
言われてみれば。外の音やらテレビの音で気にならなかったけど、どこかで鳴ってる。
「お家のじゃありません。お兄ちゃんでも、かのんちゃんでもない、です」
だとすると、お外?ずっと鳴ってるなんて、そんなこと、ある?
「む〜、ご近所さん、です?こんなに長く、お電話取らないなんて、あります?」
居留守とか、そういうこともあるんじゃないかな。電話先が面倒くさいとか、よく聞くからね。……書くの難しい内容だな、これ。伝える方法が筆談しかないから、ちょっとツラい。
「むむ。それなら、毎日聞こえる、と思う、です」
それもそうか。
「れなちゃん!探しにいく、です!なんか、ほっとくとマズい気がする、です」
こういうとき、こはくちゃんは強い。
実際、ご近所トラブルがあったら嫌だもんね。
「こはくちゃんは、同じ階を探す、です。れなちゃんは、上から、お願いする、です」
了解の意を敬礼で表す。
上からって言っても、そんなに距離は離れてないはず。
まず真上の部屋に行こうかな。浮遊していけば早いもんね。
ノックしてもしもーし。華厳さーん。いますかー。
……まあ、私は声出せないから、ノックだけなんだけど。
――
りんりり、りりんり……?
ドアを叩く音がする。
やっぱ電話、出れば良かったかな。
この辺、治安悪いし。ギャングがどうとか、よく言われるし。
目をつけられるようなこと、した覚えはないけどなぁ。
うーん。ちょっと頑張って動こうかな。怖いし。
声出ないけど、なんとかなるでしょ。多分ノリで、なんとかなるでしょ。意思疎通は会話だけじゃないし。
あ、でも、なんか投げられるのだけはカンベンしてほしい。このデカさじゃ、避けるのはムリだよ。
グレゴール・ザムザもそれで死んでるわけだし
りんりり、コンコン、りりコンコン。
はーい、はーい。
そんなにノックしないでー。鈴虫がびっくりしちゃうよー。
#ノート小説部3日執筆 キャンプ飯が食べたいのじゃね/お題「鈴虫」
最近、めっきり虫の声を聞かなくなった。
一向に秋が訪れないなと愚痴をこぼしあっていると
ではキャンプにでも行こうや、と話がまとまってしまった。
「町に住む化け狸がキャンプってなぁ、里帰りと変わらないでねぇかい……」
「いやいや、知らない田舎なら観光地よ。現代らしく切り替えていこ!!」
「どうせだから、ドンと行きましょう。どうせ実入りはいいんだし」
なんだか、丸め込まれた気分でしょうがないが、
前日、床に就いたあたりから、どうにも楽しみで眠れない。
当日、狸付き合いだから仕方ないと繰り返しながらも、
めかし込んだ変化をして、集まってみれば、皆々随分と気合が入っている。
「なんだかんだ、やる気出してんじゃん……」
「私は初めから、やる気しかなかったけどね!!」
「あんさんたち、みんなファンデで目のクマ隠しててウケる。今夜は温泉取ってるから、まったり行きましょう」
そうして、変化するのも疲れるからから――と、
上毛の国の山奥まで電車なんかを乗り継いで、たどり着いた温泉は、外を歩くにも長袖が丁度いいくらいの気候で心地がいい。
「これって、螽斯? それとも鈴虫か……」
「なんだっていいじゃん。それより温泉まだ!?」
「公衆の面前で変化溶けてもあれなんで、内湯ですよ内湯」
まぁ、何でもいいか――
と、温泉に浸かり、ほかほかのままその日は変化したままに就寝。
翌日、旅館で朝食を頂いたころには、
変化するのも煩わしいほど気は抜けて、舌はもうキャンプ飯が恋しい舌になっていた。
「イケメンに変化するの飽きた……」
「美少女に変化するの飽きた!!」
「じゃあ、道中まで交代でセダンにでも変わってください。道具レンタルのキャンプ場ですが、飯は買いださないとないんで」
そらそうか、でもイケメンよりはマシということで
交代でトヨタのカローラにでも化けて、更なる山奥へと大移動。
辿り着いたキャンプ場は、湖も近いいい場所で、
シーズンから外した平日を選んだおかげで人もいない好立地。
さっさと天幕を張ったあたりで、変化を解いて
起こした火を囲み、さっそくキャンプ飯などしゃれ込んだ。
「やっぱ狸の姿は安心するぜ……」
「で、結局何買ってきたの?」
「色々買ってきましたぜ。文字通り色々――」
クーラーボックスの中には、本当に大量の食材がぎっしり。
まぁ、腹減った大狸三匹いれば、食べきれることだろう。
そう思いながら、黙々と椅子に腰かけて火の番を続けつつ
前菜にソーセージを頂く。
大きめのソーセージを釜茹でにしてから、グリルで焼いてかじりつく。
すると、プリっと皮がはじけて、肉の旨味がこれでもかと口に広がる。
前日、旅館の上品な飯を食べていたから濃い肉味がうれしい。
途中、マスタードをつけて味変しつつ、ボリボリと齧るとまた美味い。
「野外で食べるソーセージはうまいな……」
「下手に何も捻らない感じ、刺身に似たり!!」
「まぁ、夜も長いです。メインのカレーとアヒージョまで、ぼちぼち行きましょ――って、あらら、やっちまった」
「そんな声出して、どうしたね……」
「買い出し担当、怒らないからお姉さんにみせなさい!!」
「それがカレールー買ったと思ったら、ビーフシチューだったんです。面目ねぇや」
まぁ、そのくらいなら問題ねぇと笑い飛ばし――
ライスは明日の朝食に回す。
ニンジンとジャガイモを大切りしてバターで炒めて
ブロッコリーは、半分切り分けて、軽く洗う。
牛肉はそのままちょっと焼いてから――
みんな合わせて煮込めば善哉な具合になるだろう。
アヒージョの具材に玉ねぎを追加し、
ブロッコリーとニンニクとオイルサーディンとワタを取ったエビ共を、
トウガラシとオリーブオイルを追加して小鍋でじっくり煮込んでいく。
「我ながら悪くない……」
「もう煮えた? 食べていい?」
「なんだかんだ、望んだ形になったみたいでよござんす」
かくして、化け狸一同は、日も落ち月が照る中で、
虫の声の合唱を聞きながら、赤ワインを開けて宴会としゃれ込んだ。
まずは食前にワインを一口。
タンニンの渋さを感じつつ、舌が洋食の舌に変わるを感じる。
そうしたら、目いっぱいバゲットをトーストしながら、
煮えたアヒージョの小鍋と、ビーフシチューの鍋を3人で囲む。
喰い方はこうだ。
まずはビーフシチューを一口。
デミグラスソースに、ニンジンとジャガイモの味わいと肉味が溶け込んだ。
唯一無二の優しいコクとほんのりと苦みのある味わいを、口いっぱい感じる。
牛肉は、カレー用のモモ肉を肉汁を閉じ込めながらしっかりと煮込んだもの。
口に入れた瞬間、繊維が解けて、しっかりと肉の旨味が感じられる逸品。
ジャガイモは、多少ホクホクを残し、口に入れたらほろほろととろけるもの。
ニンジンは、バターで下処理してしっかりと甘いもの。
何よりもビーフシチューはブロッコリーの食感が嬉しい。
デミグラスソースをしっかりと吸った柔らかい食感がたまらない。
「もう飯の事しか考えられん……」
「ハッキリ言ってめっちゃうまい!!」
「こりゃ、美味しいや、キャンプ飯にシチューもよきですね」
「まぁ、これは序の口よ、パンをはさみながらアヒージョも喰いな」
そう、今日のキャンプは煮込み料理は一品ではない。
小鍋に、油にどっしり旨味が移ったアヒージョがある。
こいつをビーフシチューの合間に頂くのが格別なのだ。
遠慮なくオイルサーディンを、バゲットですくいながら一口。
舌に触れた瞬間、旨味で脳がスパークする。
ほんのり辛味の移ったオイルサーディンの味わいがこれほどとは。
しっかりと、煮込まれた柔らかいエビ特有の旨味がそうさせるのか。
いや、油が、それを吸ったバゲットが美味いのか。
ほくほくととろけるニンニクを、人目をはばからず齧った末に――
油をしっかり吸ったブロッコリーを齧ると、ビーフシチューとはまた違う、油の味わいが口いっぱいに広がるのが狂おしくたまらない。
牛肉の甘みとワインのコクと、魚介と玉ねぎの旨味。
また別の味わいが舌に馴染んだ頃に――
次は、またビーフシチューをバゲットと共に頂く。
舌に魚の油の味わいが残っているところに、ほろほろに煮込まれた牛肉を炭水化物と共に頂く瞬間が――本当に、たまらない。
食べるたびに腹が減り、バケットを取る手が手が止まらなくなる。
「それにしても、結局虫の音よりも食い気になってしまった……」
「秋が来ないことを嘆いて、飽きがこないことを喜ぶとは、これいかに!!」
「まぁまぁ、それもよござんす。今日のことを思い出すころには、きっと鈴虫共も鳴くことを思い出すにちがいない」
そうして、結局バケットを食いつくして早々とカップ麺へとお湯を注ぐ。
余ったアヒージョの油を入れたら美味しいだろうなと思いながら、
焚火を囲み、夜が更けていくのを楽しむことが、現代の妖怪の秋の息抜きなのだと我ながら思った。
#ノート小説部3日執筆 「地獄の沙汰もなんとやら サンマ編」
ここは地獄の一角、弐拾伍(25)番街。江戸めいた古風な町並みが広がる、繁華街の一つ。
振り売りの一人七逆(ななさか)誠は、その手に担いだ品ではなく、油を売って回っていた。
今日の誠が担いでいるのは、秋の味覚でおなじみ、サンマだ。脂がよく乗った、ちょうど美味そうなサンマを、ぶら下げるだけぶら下げて、街を歩くだけ歩いている。
「おい、誠っちゃん!そのサンマ売ってくんな!言い値で買うぜ!」
「悪ぃねオッサン!ナンボ積まれても売らねぇぜ!」
そんな感じの会話を何度も繰り返しながら、練り歩くだけ練り歩き回っている。
誠は、街で一番のクソガキである。おおかた、メシに飢えた地獄の衆に、お供えされたサンマを見せびらかしたいだけだろう。
街の者はだいたいみんなそう思った。そして、ついでにサンマが食いたくなった。
そんな感じで、うろつくだけうろつき回った誠は、ある店に立ち寄った。本来は甘味処だが、だいたい誠のせいで甘味以外を売っている店だ。
「おじさーん、遊びに来たぜー」
声を掛けると、奥からいそいそと店主の青年が出てきた。“おじさん”と呼ぶには憚られる見た目だ。享年若いと、だいたいこうなる。
「誠くん?どうしたんだい。まだお昼には早いだろう?」
青年はそう言いながら、内装の手入れを始めた。
昼には早いとはいえ、そろそろ仕事人たちの休憩時間になる頃合いだ。
「早いから言いに来たの。今日は忙しくなるぜ〜」
店の暖簾を勝手に掛けながら、誠はウキウキで言った。
この青年は、このクソガキをまともに相手取れる、数少ない大人の一人だ。生前からの付き合いなだけだが、それで十分の関係性がある。単に、誠が信頼している大人が少ないだけでもある。
「それで、“忙しくなる”というのは?まさか、そのサンマを見せびらかして『ウチに来れば食べれるぞ』と吹聴したんじゃないだろうね?」
「ウェ!?ヤダナー、そんなこと“言ってない”よ!」
「……やれやれ。言ってないが、やってはきたのか」
「うぐぐ……、はい」
朝の活気はどこへやら、あからさまに萎縮している。
「ほら、他の店でもサンマ焼いてたりするでしょ?お客さんも分散するから、大丈夫だって。たぶん……、知らないけど……」
悪ガキながら頭が回る。『一応ちゃんと考えてます』アピールだ。実際はお察しではある。
「それは無いかな。他のめし処は秋サバのシーズンだ。業者さんもほとんどサバ、ちょっと鮭やイナダがあるくらいだ。秋刀魚の扱いが少ないことくらい、調査済だよ」
さすがに大人のほうが上手(うわて)である。食に関わる情報は、しっかり収集しているらしい。
悪ガキの口八丁をいなしながら、青年は調理場の用意を始めた。いつの間にか食材は揃っている。
「まあ、いいさ。今日の日替わりは秋刀魚定食にしようね」
「わーい!サンマすき」
「キミも手伝うんだよ誠くん。さすがに一人じゃ回らないからね」
「はーい!」
誠は、いつもの気だるげな声とは違い、非常に元気良く答えた。本来はそれが年相応(享年7歳)なのだが。
――――
「ランチタイム……、昼の食堂はおしまいです。ごめんなさいね」
「そんなぁ、さんま食べたかったのに〜」
駆け込みでやってきた客をなんとか追い払い、青年は入口の掛け看板をひっくり返して『準備中』にした。
「さて、計算はどうかな?」
青年は、接客と会計を任せていた悪ガキに声をかけた。
「うん、お代のちょろまかしも無銭飲食も無し。収支は上々って感じかな?」
誠がやる気を出してくれたのもあり、昼は平和に大盛況で終わった。
報告を聞き届けた青年は、顔に安堵を浮かべながら、もう一度台所に立った。
「さて、働いてくれたお礼だ。まかないを作ってあげようね」
「やったー!おじさんの料理だいすき」
青年は「最初からそれが目的なのだろう?」と言いたくなったが、口には出さなかった。言うだけ野暮というやつだ。
余ったサンマをまずは三枚におろし、それを半分に切る。
塩コショウと料理酒で下味をつけ、小麦粉をまぶし、卵液に浸す。
あとはそれらをフライパンで焼いて。
「はい、秋刀魚のピッカータ。めしあがれ」
長方形の平皿には似つかわしくない、洋風の料理がそこにはあった。
「いただきまーす!」
誠は目を輝かせ、箸を引っ掴んだ。ナイフやフォークなどの洋風食器は、少なくともこの街には無い。
「お味はどうかな?」
「おいしい!うん、えっと……、なんかすごいおいしい!さすがシェフ留里だ!」
誠の口はよく回るが、こういう時の語彙は少ない。
ただ、口が回らないということは、余計なフィルタを介さず話していることだと、青年は理解している。
「ふふ、ありがとう」
シェフと呼ばれた青年はそれを見ながら、食器の片付けを始めた。
「さて、そろそろパティスリー……、甘味処の準備をしないとね」
食器の片付けを終わらせた青年は、いつの間にか用意した果物を切り始めた。
「お手伝い、してくれるかな?」
「うん!やるやる!」
料理を平らげ、すっかり上機嫌な誠は、手伝いの内容を聞く前からやる気に満ちている。
「じゃあ、外の座席に傘を立ててきてくれるかな」
「はーい!」
返事と威勢と、彼にしては珍しく聞き分けも良く、誠は外に飛び出していった。
――――余談。
「……あれ?にぃに、冷蔵庫のサンマ全部食べたの?」
そんなはずないだろう。チルド室の開閉が困難になるほどの量だったはずだ。
言われて確認すると、たしかに、あれだけあったはずのサンマがごっそり無くなっている。
数日前、買い物帰りに魚屋の前を通り掛かったとき、なぜか大量に押し付けられたものだ。
「う〜ん、別にいいけどね。腐らせるよりはるかにマシでしょ」
肯定する。あの量が腐敗したら、もったいないことこの上ない。
そういえば、少し前に支援者(パトロン)さんの息子くんがこっちまで来ていたことがあった。
おおかた、その時に持っていって、地獄のお友達に分けてあげたのだろう。
「にぃに、心当たりある?」
……妹に説明しても仕方ないか。この子は、死後の世界とか信じていないみたいだから。
黙っておこう。代わりに、支援者さんがもらっていってくれたとでも誤魔化すか。
サンマのために実家から引きずってきた七輪の出番は、もう少し後になりそうだ。お正月になったら、お餅でも焼こうかな。 [参照]
#ノート小説部3日執筆 お題「秋刀魚」 タイトル「秋空の下の儀式」
七輪の上でじゅうじゅうとその身に詰まった脂が焼け、香ばしい匂いが煙と共に辺りに広がっている。パタパタと手にしているうちわで七輪の中に空気を送り火力を強め、その香ばしい煙を更に立ち昇らせた。
「そんな焼いたら焦げるよ」
「おばあちゃん」
背中から少しだけ呆れた様な声がかかり、扇いでいたうちわの手を止め振り返る。
小柄で背中の曲がったおばあちゃんがその手に大きな盆を持ち、眼鏡の向こうにある小さな目を声同様呆れた様に細めていた。
「だってこの匂い好きなんだもん」
「分かるけど、焦げるよ」
おばあちゃんの言葉に軽く唇を尖らせてもう一度うちわで七輪を扇ぎ、香ばしい匂いを空気中に広げひくひくと鼻を動かせてその匂いを嗅ぐ。
秋刀魚の皮が焼けしたたり落ちる脂の甘く焦げる匂いとその内臓へ火が通った少し苦みのある匂い。
秋特有の高い空の下で、庭に七輪を出して秋刀魚を焼く。
そして二人で縁側に並んでそれを山盛りの大根おろしと、しょうゆで食べるのだ。
……わたしはちょっぴり大根おろしとしょうゆ、苦手なんだけど。でもおばあちゃんはそれがおいしいというから、同じようにして食べる。
「ほら、食べ頃よ」
おばあちゃんはそう言うと焼けた秋刀魚を一匹細長いお皿に乗せて、縁側のお盆の上に置いた。これはわたしの分。
そしてもう1枚のお皿にも同じように秋刀魚を乗せる。おばあちゃんの分だ。
さらにもう一匹をもう1枚のお皿の上に乗せて、おばあちゃんはそのお皿を持ったまままた部屋の中へと戻った。
おばあちゃんの小さな足がさすさすと畳の上をすべるように歩く音が聞こえて、次に秋刀魚の乗った皿をどこかにコトリと置く音。そしてチーンと涼やかな鈴の様な、なにか金属を叩く音が聞こえて、ふわりと秋刀魚の煙の臭いにお線香の匂いが混ざって秋の空へと吸い込まれていく。
そのおばあちゃんの儀式にわたしは縁側に大人しく腰掛けて、秋刀魚の香ばしい匂いとお線香の匂いが空気の中に溶け込んでいくのを鼻をひくつかせて待つ。
これはおばあちゃんだけの特別な儀式だから、わたしは参加しない。
ただ終わるのを待つだけだ。
縁側に腰掛けて、美味しそうな秋刀魚を横目にぷらぷらと足を揺らす。
暫くするとまたさすさすと畳の上をすべるように歩く音が背後に聞こえて、隣におばあちゃんが座った。
「おばあちゃん」
さっきまで焚いていた線香の匂いがおばあちゃんの体から強く漂ってくる。
「さぁさぁ待たせたわね。食べましょう」
わたしが笑顔を向けるとおばあちゃんはそう言って箸を取りわたしに渡してくれる。それを受け取って、程よく冷えた秋刀魚が乗っているお皿を膝の上に乗せる。焼きたてあつあつの秋刀魚だとわたしは食べられないから、これくらい冷えている方が嬉しい。
そして箸で秋刀魚の身をほぐして少しずつ口に運ぶ。
わたしは箸を使うのがとても苦手だった。身をほぐせても口に運ぶのが難しい。
それでもなんとか箸に乗せた身を口に運べば、口の中で秋刀魚の脂が溶けて、内臓部分のほろ苦さと脂の甘さに喉を鳴らして目を細める。
そんなわたしをおばあちゃんも目を細めて見てから自分も秋刀魚の乗ったお皿を膝に乗せて、わたしと違ってとてもきれいな仕草で秋刀魚の身をほぐすと口に運んだ。
おばあちゃんは箸の使い方がとても上手だ。
「……おいしいねぇ」
もぐもぐと口を動かして秋刀魚を噛んで飲み込んだ後、おばあちゃんは幸せそうに微笑んでそう呟く。
その言葉に頷きながら、上手く使えない箸に悪戦苦闘しながら美味しい秋刀魚をおばあちゃんとは対照的にぼろぼろと零しながら口に運び続ける。
いっそ両手を使ってがぶりとその身と骨に頭からかぶりつきたかった。
でもこうしないとおばあちゃんが悲しむからわたしは一生懸命箸を使って秋刀魚を食べる。山盛りに乗せられた大根おろしとそこに垂らしたしょうゆがぴりりと舌を刺して、やっぱりちょっと苦手だなと思いつつ、それでもおばあちゃんがおいしそうに食べているのを真似てわたしもおいしいと思ってそれを食べた。
「もうすっかり秋の空ね。いわし雲が出てる」
わたしより先に秋刀魚を食べ終わったおばあちゃんがお皿と一緒に持ってきた急須から湯呑にお茶を入れながらそれを啜り、満足そうな溜息と共に空を見上げる。
その視線につられてわたしも空を見上げ、うろこ状になっている雲を見ていわしもおいしそうだなぁと思う。
「今度はいわしをうめぼしと一緒に煮たのを食べてみる?」
「うめぼし?」
おばあちゃんの言葉に目を瞬き聞き返すと、おばあちゃんは微笑み「ちょっと待っててね」と言って立ち上がり、またさすさすと畳を歩く音が遠ざかり遠くの部屋に行ったみたいだった。
それを待つ間わたしはきょろきょろと辺りを見回し誰もいないことを確認すると、お皿の上でぐちゃぐちゃになっている秋刀魚に顔を近づけふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、その匂いに惹かれてぺろりと散らばっている身と骨を舐めとる。
大根おろしの汁と秋刀魚の脂で薄くなっているしょうゆの味と、秋刀魚の内臓のほろ苦い味が舌先に広がり、ひと舐めだけのつもりだったのに思わず夢中になってお皿を舐める。
「こら、お行儀悪いわよ」
そしておばあちゃんが帰って来たのにも気が付かず、お皿を舐めていれば突然そう呆れた様な声で怒られた。
「にゃっ!」
そのおばあちゃんの声に驚きびくっと体が竦み、慌ててお皿から顔を離すと縁側から飛び降りておばあちゃんの方を向く。その手には透明な器があって、その中に赤くて丸い玉が何個も入っていた。
あれが“うめぼし”なんだろうか。
「あらあらお耳と尻尾が出てるわよ」
驚いたわたしを見ておばあちゃんはくすくすと笑い、縁側へと腰かける。そのおばあちゃんの言葉に思わず頭とお尻に手をやるとぴょんこと耳と尻尾が飛び出ていて、とほほと思う。まだまだわたしは未熟だ。
2つに分かれている尻尾は自由になった事を喜ぶようにふわりふわりと持ち上がって揺れていた。
「ほら隣に座って」
そしておばあちゃんに促されて隣に腰掛けると、また優しく頭を撫でてくれる。わたしはこのしわしわであったかい手が大好きだった。
「あなたが来てくれてそろそろ5年ね。この日をこうして誰かと一緒に過ごせるのは寂しくならなくていいわ」
おばあちゃんに撫でられわたしの喉がごろごろと鳴る。そのまま心地よくてふにゃふにゃになっていき、その膝の上に頭を乗せた。
すりすりと頬をおばあちゃんの着ている着物越しに膝へ擦り付け、わたしは、にゃぁと鳴いた。
自分の体が弛緩した事で縮み、秋刀魚の脂と大根おろしの汁が染みついた手をぺろぺろと舐める。その手はもう人間の形をしていなくて、いつものわたしの黒い毛が生えている手だった。
「来年もまたこうして過ごしましょうね」
おばあちゃんの言葉にわたしはまたにゃあと鳴いて答え、お腹がいっぱいになったことでうとうととし始めた顔を庭とは逆に向ける。
視線の先のその部屋は人間の言葉で仏間、というらしい。
そしてその部屋にある黒と金色で出来た置物に、秋刀魚の乗った皿が置かれ、さっきまでわたしが変化していた子と同じ顔が板に入れられて飾られていた。
#ノート小説部3日執筆
「秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ」
そう嘯く曽祖父が亡くなった。彼はガラクタに埋もれて亡くなった。御歳九十八の大往生だった。
彼は俗に言う健康オタクであり、曾孫の私から見ても偏屈家であった。そのため、独自のルールを作り、それを遵守した。それ故の長寿であったのかもしれない。
曾祖父が私に遺してくれたモノは、冒頭のその文句だけだ。そのせいで、私は秋刀魚を見る度にその言葉を思い出すハメになった。
ある日のことである。会社の同僚が、
「この時期は秋刀魚の内臓を舐めながら日本酒をヤるともーたまらん」
と力説してきた。彼は身振り手振りで秋刀魚への正しい所作、付き合い方、そして感謝を伝えてきた。
「オレ、家訓で秋刀魚の内臓食えんのよ。キノコの茎も食えん。縛りが多いんよ」
同僚が目を丸くする。そして一拍置いて、笑い出した。そんな家訓聞いた事ないと。私もそうだ。というか、今どき家訓だなんて時代錯誤もいいところだ。
「――まぁお前ん家、変わってるもんな。でも秋刀魚の内臓、美味いから食ってみ? 今の時期はな、内臓脂肪がすごいんだ、秋刀魚は。今の時期はもう海水温度が下がってて、その寒〜い海を乗り切るために脂肪をつけまくるんだ。身を捌くと白い脂が包丁にベッタリつくぐらい。その脂肪は、身についてるんだが、当然内臓にも溜まる。フォアグラってあるだろ? アレが秋刀魚の内臓にも起こる。鮟鱇もそうだ、あれは肝が美味い。秋刀魚の内臓は苦いって思い込みがあるだろ。アレはな、子どもの頃の思い出のせいだ。子どもの頃は舌の味蕾が大人よりも発達していて苦みとか渋みに敏感なんだ。その頃のトラウマのせいだ。お前も大人だ、今はもう大人なんだ。絶対に美味い。秋の味覚を楽しめ!」
そう勢いよく背中を叩かれ、同僚は外回りに出かけてしまった。私はモニターに映る自分の顔と向き合い、そして、家訓とも向き合い――ついに家に背く覚悟を決めた。
私は仕事の帰りがけに秋刀魚を買うことにした。白い発泡スチロールに氷と共に浮かぶ彼らは、恨みがましく私を睨んでいる。何十もの目に見つめられている最中、何故か一際目立つ秋刀魚が居た。やけに艶っぽいというか、瞳に熱っぽさを感じた。
惚れられたな、と直感で理解した。私が秋刀魚を選んだんじゃない、彼女が私を選んだのだ。運命する感じる邂逅に、私はいそいそとトングで彼女を救い出した。
アパートに帰りつき、米が炊けるまで時間が掛かるからまず何より先に炊飯器をセットし、その後身支度を整えて余った時間をSNSのチェックに費やした。
そして、米が炊き上がる時間を逆算して秋刀魚を焼き始める。
ものの数分も経つとじくじく、と。焼ける身と吹き出る脂の匂いが部屋に充満した。これから起こる素晴らしい時間を約束するような、食前酒の役割すら担う素晴らしい薫りだった。
ついに米が炊き上がり、秋刀魚も焼けた。食卓にはそれに合わせ、赤だしの味噌汁と漬物も用意した。私は大根の絞り汁で味が薄まるのでそのまま醤油か塩で秋刀魚は食べたいので、今回は用意しなかった。
私は震える箸で秋刀魚の身を破る。頭から尾までを正中線に箸を突き立て走らせ、身を捌く。身がほぐれていくにつれて、異様な高揚感に包まれていく。
ただ内臓を食べるだけ。しかし人は、禁止されていた事を破ること、公序良俗に反する事を行う時、言いようのないスリルを感じるのだ。それが、私にとっては秋刀魚の内臓を食べることだった。それだけの事だ。
身を開き、現れた骨の頭部側を断ち切る。そして尾に向かってゆっくりと釣り上げていくと内臓が――
「――あれ?」
現れると思っていた内臓。しかし私の目に飛び込ん来たのは――レゴブロックだった。
何を言っているのか分からないが、レゴブロックとしか言いようがない。本来、内臓があるべき場所に、黄色い2×1の薄いレゴブロックが現れたのだ。
「え、飲み込んだ…?」
すぐに否定した。本来、黒い内臓があるべき場所が全て綺麗になくなっているのだ。誤飲とは思えないし、それなら胃か腸かのどこかに入っていて然るべきだ。
「イタズラ? そんな事わざわざする? 今のご時世に?」
些細な事で現代はネットで燃える。こんなバイトテロ案件な事、起きるだろうか。それも有り得ない。それよりも今はこの、レゴブロックの方が重要だ。
――秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ。
ふと、曾祖父の言葉を思い出した。
「――!?」
急に、ケータイが鳴る。異常な事態に直面していたせいか、身体が飛び上がってしまった。
弾む心臓を抑え、ケータイに出る。母からだった。
「もしもし?」
「どしたの? 何か声が震えてるけど。大丈夫?」
「いや、何も無いけど」
「そう……あのね、何か私、変な夢を見てね。あなたが秋刀魚の内臓を食べる夢を見たの。まぁあなたはおじいちゃんの言うことちゃんと聞く子だから大丈夫だろうと思うけど」
そんな内容であった。見透かされているような薄ら寒さ、後ろめたさから早々に電話を切った。
「………………」
再度、秋刀魚と向き合う。もはや湯気も立たず、ただ腹を裂かれた秋刀魚は異様な存在感を放っていた。
私は意を決してレゴブロックを箸で摘まむ。取り去ろうと力を込める――が。
「動かない……!?」
箸の力ではピクリとも動かない。上下左右、どちらにズラそうとしても微動だにしない。箸を置き、手掴みでレゴブロックを動かそうとする。万力を込め、上に引っ張る。ほどなくして、身体を仰け反るほどの勢いでレゴブロックが抜けた。
「――は?」
レゴブロックが抜けた跡には、何故か一円玉大の穴が開いた。虚空だ。明らかにレゴブロックとのサイズが合わない。何故穴と分かったかと言うと、その黒い丸から僅かに風と反響音が聴こえてくるからだ。
私は咄嗟に秋刀魚の頭を箸で擡げさせる。無論、皿には穴など開いていない。そうすると秋刀魚からは穴が消え、薄い身と皮が見えた。それを確認して皿に置き直すと、また穴が現れる。数度繰り返し、私は秋刀魚を皿へ戻した。
「……何が起きてる?」
私はただ、同僚の勧めのまま秋刀魚の内臓を食べようとしただけだ。いや、それ自体が問題だったのか。祖父の忠告を守らなかった事が、今の不可思議な事態を引き起こしているのか。
「……ぞ…………ず、そだ……して…………」
どこからか誰かが話している声が聞こえた。それは、秋刀魚の穴からだった。私は、耳を穴に近づけた。すると――
「――葷酒ば避け在家にある三帰五戒を遵守し優婆塞、優婆夷の守護したるふかみるのかみたる群れ、陀羅尼を授け我が能化にて一切の衆生を救わん。冥加にし甘んじる東岸に在りし者どもはいさなのおろしとなるらむ」
耳を離し。私は秋刀魚を見た。すると、彼女の目が動き、私を見つめた。私は目を反らし、皿を持って立ち上がる。
私は、二度と秋刀魚のはらわたを食べようとは思わない。秋刀魚のはらわたは魄の毒なのだ。私は窓を開け、庭先に秋刀魚を投げ捨てた。即座にキジトラが現れ、それを咥える。そしてキジトラは口を三日月のように歪ませ、私にこう言った。
「この庭は我らだけでいっぱいだ。コイツを置くには狭すぎる」
と。
#ノート小説部3日執筆 秋刀魚の塩焼きが食べたいのじゃね/お題「秋刀魚」
◎
深夜にグリルで秋刀魚を塩焼きにして食べる。
秋刀魚なんていつ以来だろう。
最近はめっきり手に取れるものではなくなってしまった。
帰宅が遅れて、こんな時間になってしまったが――
今日はもう秋刀魚を食べれないと眠れない。
まずは、米を早炊きしておく。
その間に、刀魚の表面に包丁を入れる。
丁寧に数本の切れ込みを入れて、塩をまぶしてしばらく置く。
待っている時間は、シャワーでも浴びてつぶすのが良い。
米が焚きあがるのに合わせて、風呂から上がる。
蒸らす時間で、秋刀魚をグリルに乗せる。
数分してひっくり返すとき、焼けた皮の香ばしい匂いが一層強く鼻腔を刺激する。
焼き上がりを待つ間、大根おろしを作る。
みずみずしい大根をおろし金でゆっくりとすり下ろす。
水を切って、小鉢に山盛りにしたところで秋刀魚が焼きあがる。
炊き立ての米をお茶碗に乗せて、秋刀魚を皿に上げる。
深夜に焼いた秋刀魚は、銀色の皮は焦げ目がついて黒ずみ所々に黄金色の油が滲み出ているもの。魚の形は少し反り返り、腹の部分が割れて中の白い身が顔を覗かせる姿にもう涎が止まらない。
箸を手に取り、まずは秋刀魚の頭の部分に近づける。
皮に箸が触れると、かすかに音を立てて、パリッとした食感が伝わってくる。
そっと持ち上げて、皮ごと身がほぐれそうなほどに柔らかく焼けているところを一口。
舌の上に広がるのは、よく焦げた皮の外側のパリパリとした食感。
次に訪れるのは、身の味わい――鯵のような旨味とも、鰊のような癖のある味わいでも、鯛のような脂とも違う、塩味が際立つ秋刀魚の味を楽しむ。
そうして、口の中を洗うように米をかき込む。
少し芯が残った米が、魚の脂と味わうとこれ以上ない滋味となる。
腹の部分に近づくにつれ、脂の甘みがより濃厚になっていく。
中骨の周りの身は特に味が濃く、一粒一粒の身を丁寧にほぐして味わう喜びがある。
味変に醤油をかけ、おろしを摘まむ。
さっぱりとした大根の風味が口の中をさっと洗い流し、醤油と脂の旨味に舌が喜ぶ。
最後に、カリカリに焼けた尾まで齧る。
歯ごたえがある香ばしい風味が口いっぱいに広がる。
茶碗に残った白いご飯をかき込み、米の甘さをいっぱいに味わう。
これでビールでもあれば最高だったのに――
明日もまた仕事に向かう事実にため息をつきながら、洗わなければならないグリルの存在を思い出す。
#ノート小説部3日執筆 お題『秋刀魚』
昭和レトロの雰囲気漂う大衆食堂。しかも、昨今のレトロブームに便乗した見せかけではない、創業八十年近くになる本物だ。齢八十近いお婆さんと、娘夫婦と思しき中年の男女が営むその食堂に、俺は昔からの友人と来ていた。
「……これで何日目だ?」
「五日目。あと二日、頑張ってくれ」
「お前が頑張りに来てるんだろ」
俺たちは配膳された焼き秋刀魚定食を前に、手を合わせた。流石に五日目ともなれば、目の前の定食にも奇妙な情というものが芽生えてくる。
湯気立ちこめる熱々の白飯と、鰹が香るわかめと豆腐の味噌汁。小鉢にはひじきと人参の煮物、そして旬を迎えた秋の味覚、秋刀魚。
友人は早速秋刀魚に手を伸ばし、解体の儀式に入っていた。
まずは上から箸で身を軽く押し、骨と身を離れやすくする。次に、頭から尾に掛けて、背骨に沿って一本切れ込みを入れる。そして背中側の身を、少しずつ取り外して食べていく。
俺もまた、一度味噌汁を啜ってから、友人と同じ動作で秋刀魚を口にする。
うん、やはり程良く脂が乗っていて旨い。
魚特有の脂の甘みを感じながら、ふわふわの米を掻き込む。思わずため息が漏れた。日本人に生まれて良かったと思う瞬間ベスト100には入る、至福の時だ。
「あっ、クソッ……」
俺と同じように秋刀魚を味わっていた友人は、悪態と共に、口内から小骨を何本も取り出していた。どうやら、また失敗したらしい。
個人的な見解だが、秋刀魚は蟹と並んで『食べるのが面倒だが、美味さで全てを許されている』食材だと思う。
その原因が、その身にびっしりと走る、無数の小骨たち。よく噛めば砕けるが、鰯や鰻より太く長いので、一口二口ならともかく、何度もやると面倒になる。となれば取り除く他無いのだが、取れやすい小骨を完璧に避けて身を食べきるとなると、必然身が散らばったり、除去している内に冷めて味が損なわれてしまう。骨を避けつつ、かつ美しく食べるには、普通の焼き魚以上に訓練が必要になる。
「クソッ……昨日はだいぶ完璧だったのに……」
「まぐれだったんだな」
俺はここ数日、まさにその『訓練』に付き合わされていた。
発端は、一週間前。友人がマッチングアプリで知り合った女性と食事の約束を取り付けた事だった。そこまでは良かったのだが、問題は、友人がその女性が育ちの良い人だと認識し、行き先に和食レストランを提案した事だった。そのうえそこは、焼き魚が美味いことで知られている店だ。
何しろ彼は、基本的に手先が不器用だ。当然箸の扱いも得意でなく、秋刀魚を綺麗に食べるなど到底望むべくもない。『魚の食べ方が汚いと次が無い』と思い、俺に特訓の申し出をしてきた。自分で言うのも何だが、俺は彼ほど不器用ではなく、魚が好きで日常的に食べているので、食べ方は綺麗な方だと思う。事実、表面の身を食べ尽くした秋刀魚の皿は、殆ど身が散っていない。
とはいえ、彼もこの五日間で慣れてはきているようだった。最初などカラスに食べ散らかされたような無残な姿だった秋刀魚だが、今日は身の欠片を端に纏めれば、辛うじて目立たずにいられる程度に収まっている。昨日はかなり上手くいったのだが、やはり簡単にはいかないようだ。
だが、彼の変化は食べ方だけにとどまらなかった。
「あれ、お前ワタ食えたっけ?」
「いや、食ってたらいけるようになった。というかここの秋刀魚、あんまり苦くない」
一日目に食べて苦い顔をし、端に避けたワタを涼しい顔で口にする友人。一応マナー上、ワタは残しても問題ないらしいが、やはり残さず食べた方が綺麗に見える。俺も大根おろしをお供に、ワタに手を伸ばす。もちろん、数滴醤油を垂らすのを忘れない。新鮮な秋刀魚のワタは苦みが抑えめで、内臓特有の風味がよりハッキリ感じられる。少しばかり残る臭みを大根おろしで打ち消せば、最早弱点などない。
「それにしても、お前さ」
「……ん?」
文字通り骨抜きとなった秋刀魚を完食したところで、友人が口を開いた。彼は残り半分といった調子の茶碗を置き、手を止めていた。
「俺が秋刀魚ばっか食ってるのは、練習のためだ。ぶっちゃけそろそろ味にも飽きてきたけど、練習だと思ってるから食えるわけで。けど、お前はあくまで俺に付き合ってるだけだ。指導にしたって、三日目からは各々一人で食ってるわけだから……お前まで秋刀魚ばっか食うことないだろ。なんでだ?」
この店は何も焼き魚しか置いていない訳ではない。普通の定食屋なので、当然生姜焼きなどの肉や野菜炒めの定食、カツ丼など各種どんぶりも提供している。一週間どころか二週間毎日通っても、メニューを制覇するには最低昼と夜の二食必要になる。
しかし、俺は友人と共に、五日間連続で焼き秋刀魚定食を頂いていた。
とはいえ、それはただ何を食べるか考えるのが面倒だからではない。俺には俺で、この友人に付き合うだけの理由があるのだ。
「あ~~実はさ、俺もお見合いするんだよね」
「えっ、マジで!?」
「あんまり乗り気はしないけど、下手を打ったらうちの親戚筋に迷惑が掛かるからな」
「……そういえばお前、実家太めだったわ……」
「本当に乗り気はしないんだけどな。結婚するつもりないし。孫の顔は兄貴の分で我慢してくれって感じだ」
「ええ~~俺は結婚したいけど」
「そうじゃなきゃマッチングアプリなんて入れないだろ」
「まあな。ともかく、お前も俺と同じって訳か」
俺は味噌汁の残りを飲み干した。友人もそれから、すぐに完食した。彼の皿に残った秋刀魚は、骨と幾分かの身の破片のみだった。どうやら、最初のあれ以降は綺麗に食べられたらしい。
「あと二日だ、頼むぜ」
「ああ、ここの秋刀魚なら飽きないしな」
なお、後日例の女性と会った友人だが――彼女の気が変わり、結局イタリアンになったらしい。どうにかナイフを極力使わない料理に手を付けることで事なきを得るのだが――それはまた別の話だ。
#ノート小説部3日執筆 『愛を込めて、万年筆を』
前略
オーナー、お誕生日おめでとうございます。
ささやかながら、プレゼントを贈らせていただきます。
貴方の活躍と、安全を祈っています。
かしこ
八重山 黒次
自分のクローンちゃんから、今年も誕生日プレゼントが来た。実際の誕生日はまだ2ヶ月も先だけど。早めにプレゼントを贈るのは、我が家ではもはや様式美だ。半分はそそっかしい母さんの、もう半分はそれに順応した僕のせいだ。
手紙と一緒にきた、小さな箱を開封する。
中身は、万年筆だ。ホリゾン社の巴型万年筆、かなりお高いはずなんだけどな。
デスクの引き出しから、インク瓶をいくつか取り出す。このペンに似合うインクはどれだろうか。
シックなブラック系?染料系の色鮮やかなインクでもいいな。
しばらく悩んだ末、一つの大きな瓶を手にとった。
カヴァレリア社のブルーブラック。青みが強く、ほぼブルーと言っていい色合いのインク。
学生時代にクローンちゃんと一緒に買った、思い出のインクだ。まだ半分しか使っていないらしい。
ペン先にコンバーターを着けて、一度深呼吸をする。
コンバーターを回して吸入の準備をしてから、インク瓶の蓋を取る。
ペン先をインクに浸け、ゆっくり回していけば、ペン先を伝って、コンバーターの中までインクが入っていく。
ひんやりしたインクの感触が、指先にわずかに伝わる。
最大まで入ったら取り出して、ペン先を軽く拭いて、インク吸入はおしまい。
厚手の紙を用意して、試し書きといこう。
書く文言はいつも悩む。なんかこういうときに、オシャレな文を書きたい欲はある。しかしカッコつけすぎるのも、それはそれでこっ恥ずかしい。おかしいな。ここには僕以外いないのに。
結局、青インクを挿した時にいつも書いてるヤツを書くことにした。
『瑠伊古の龍は海を見つめ、悠久良の龍は大空を仰ぐ。』
僕の地元に伝わるお話の一節だ。個人的に好きで、ずっと覚えている。
龍の子供に憧れて、海に飛び出して怒られたのも、懐かしい記憶だ。
そんなわけで、デスクの万年筆がまた増えてきた。特別な贈り物でなくとも、普通に自分が買っているのもある。誕生日にもらったものも、そうでないものも、全部丁寧に使っている。
新しくお迎えした万年筆は、しばらく仕事で使うことにしよう。その代わり、ずっと使っていた子を洗ってあげようかな。色インクを入れている子も、そろそろローテーションしてあげなきゃね。
洗浄用の大きな瓶に水を注ぎながら、そんなことを考えている。
ふと窓を見ると、この水域に住む子だろうか、龍が優雅に泳いでいた。
#ノート小説部3日執筆 お題「万年筆」 タイトル「綴られる想い」
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彼女の白い手に握られている黒い武骨な万年筆を不思議な面持ちで見つめる。
それは彼女のお父さんが愛用していた物だったそうだ。
正直私には万年筆の良し悪しや値段というのは良く分からないのだけど、使い古されたそれが彼女にとってはとても大切で、きっと価値のある者だろう。
スマホやパソコンからトークアプリなど使い簡単に素早くメッセージや通話ができるこの現代に、彼女はわざわざその父親から譲り受けた万年筆で美しく丁寧な字を便せんにしたためていた。
古風だな、と思う。
放課後の静かな教室の中で、カリカリと彼女が万年筆で便せんに文字を走らせる音だけが響く。
それを前の席の椅子に逆向きで座り、その手元を頬杖をついて見つめる。
走らせる万年筆の音は時々止まり、便せんの上に現れてくる黒く美しい文字が途切れた。
「……綺麗だね」
「なにが?」
窓から差し込む夕日のオレンジ色が便せんの上に落ちて、そこに魔法の様に現れる彼女の文字と、その白い手に握られている武骨な万年筆のアンバランスさ全てが綺麗だなと思った事をそのまま口にしてしまった。
その言葉に彼女が便せんの上に落としていた視線を私に向け、小首を傾げる。
「えっ? あー、や、インクとか、字とか……」
自分が無意識で口にしてしまった事を手紙に集中している彼女が聞きとめ、聞き返されるとも思っていなかった為にしどろもどろにそう答える。
そんな私に彼女はくすりと笑うと「そう?」と言いながら長い黒髪を万年筆を持っていた手で優しく自身の耳へとかけた後、視線を便せんへと戻す。
「……それ、誰に書いてるの?」
今までは特に誰に宛てて書いているのかは聞いてなかったのを、思い切って聞いてみる。
「んー?」
だけど返って来た言葉はまるではぐらかすようなもので。
その事に軽く肩を竦め、視線を彼女の手元へと落とす。そこに綴られているのは、逆側から見ても彼女の淡くて、だけど熱い想いを綴ったものだ。
「好きな人?」
「さぁ、どうだろ?」
思い切って直球で聞いてみても、またはぐらかされる。
「なんで手紙なの?」
私の質問にちゃんと答える気がないと分かり、質問を変えてみる。
するとちらりと私の顔を見た後、また手紙へと視線を落とす。
そして便せんの上を走っていた万年筆が、ぴたりと思案するように止まった。
そのまま無言の時が流れ、私と彼女の間に開け放たれている窓からさわさわと心地よい風が吹き抜けて、彼女の手の下で便せんがその風に煽られてひらひらとめくれる。
「……出さなくてもいいから、かな」
短くて長い時間が過ぎてから、ぼそりと彼女が独り言のように呟く。
「え?」
一瞬何を言ったのか理解できなくて、目を瞬きながら彼女に聞き返すと、白い肌に浮き立つような赤い唇が緩く弧を描いていた。
その笑顔は寂しそうにも、楽しそうにも見える不思議な笑みで。
「……出さないの?」
「出さないよ」
「なんで?」
「必要ないから」
頭の中で彼女が口にした言葉を何度か反芻し、改めて聞き返すと彼女は視線を窓の外のオレンジへと向けて事も無げにそう答えた。
また私の頭の中に疑問符が大量に浮かぶ。
こうして毎日放課後になると机に向かって、わざわざ持ってきた便せんに古風な万年筆でその想いをしたためて、便せん同様綺麗な封筒に丁寧に入れ、封をして鞄の中に収めているのを知っているだけに彼女の言葉は意味が分からなかった。
また目を瞬き彼女に重ねて質問しようとすると、彼女は使っていた万年筆にキャップを丁寧につけると、くしゃくしゃと便せんを丸める。
「あっ! もったいない!!」
途中まで綺麗な字で彼女の大切な想いを綴っていた手紙を、誤字をした訳でもないのに雑に丸めたのを見て思わずそう声を上げてしまう。
すると彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、教室の後ろを振り返った同時にぽいっとそこに置いてあるゴミ箱へと投げ入れた。
その事に慌てて席から立ち、その手紙を拾おうと机と机の間に出ると彼女の手が私の手首を握ってそれを止める。
「今日の分はもうおしまい。帰ろ」
「でも、」
「いいんだって。お茶して帰ろ」
私がちらちらとゴミ箱を見ているのを遮り、いつも帰りに寄っているカフェへと誘う。
その言葉に私は諦めの溜息を吐くと、降参するように両手を上げる。
そして彼女の前の席の机の上に置いていた自分のスクールバックを手に取った。
私が自分のバックを肩にかけるのを満足そうに見届けて、彼女は私の手首を掴んでいた手をそっと離すと万年筆を丁寧に筆箱の中へと入れる。そして筆箱と便せん、封筒を鞄の中へと収め、肩へとかけた。
「ほらほら、早く行こ。お腹すいちゃった」
そう言いながら彼女はいつものように私の腕を取り、その細い腕を絡ませ引っ張る。
「今、栗のフェアやってるから私モンブラン食べたいな」
「あー、モンブランいいね」
ぴったりと寄り添う様にくっついてくる彼女に小さく苦笑をし、その言葉に頷く。
万年筆で手紙を書くのは毎日だけど、帰りのお茶は週に一回程度でお互いの小遣いの範囲内で寄り道して帰る。
彼女が手紙を書いている姿を見ているのも好きだけど、こうして彼女とカフェでお茶をする時間もとても好きだった。
「そっちは別のにして」
「えー、なんで?」
「だっておんなじだったらシェアできないじゃん」
彼女とそんないつもの会話をしながら教室を後にする。
ゴミ箱に入れられた、誰に宛てたか分からない彼女の想いが綴られた手紙に未練を残し、思わず一度だけそちらを見る。
いつか誰に宛てた手紙か彼女は教えてくれるだろうか。
だけどその答えは知らない方がいいのかもしれない。
知ったら彼女の白く細い指があの武骨な万年筆を握って紡いでいる言葉を、逆側から見る事は出来なくなるような気がしていた。そして、あの静かな教室に彼女の万年筆が奏でるカリカリとした心地よい音も聞くことが出来なくなるかもしれない。
それはどうした訳か、自分の知らない人か、知っている人かは分からないが誰かに想いを綴っているという事実よりもなんだか嫌だった。
「明日も付き合ってね」
隣で私の腕に腕を絡め、別れ際彼女がそういつものように言う。
それに私は頷き、明日はどんな彼女の気持ちがあの万年筆で手紙に綴られるのだろうかと、楽しみな気持ちになり家へと駆けだしていく彼女に手を振った。
万年筆 #ノート小説部3日執筆
秋の始まりの万年筆
万年筆を買ったのは、就職してしばらく経ったある夏のことだった。昔から漠然と万年筆に憧れがあった。「なんかかっこいい」くらいの気持ちだ。今まで鉛筆やボールペンにこだわったことはない。だけど、万年筆というのは特別感があり、一度は使ってみたいアイテムのひとつだった。
どうせならいい万年筆がほしい。近くの文具店に行けば、十万を超えるものから千円で買えるものまでがある。予算は二万円。見てもよくわからなくて、インクもきれいな色のが欲しいと思って、一度家に帰って調べることにした。
すると県庁の通りに万年筆専門店があるという。インクもたくさん揃っているという。私は次の休みにバスに乗り、その専門店へと向かった。
「あの、万年筆が欲しいんですけど……」
それなりの広さのフロアに、紙と文具が並んでいた。万年筆のインクもある。万年筆本体は、レジの横のガラスケースに並べられていた。わたしは店員さん――わたしと同じくらいの若い女性だった――におずおずと声をかける。
「はい、お決まりですか?」
「いえ、あの、初めてで……」
店員さんは「ああ」という顔をした。
「どういったものをご希望でしょうか」
「ええと、インクが色々入れられるやつがいいです」
「コンバータですか、吸入式ですか」
わたしは万年筆について何もわかっていないのだと、このときはっきりと感じた。
「万年筆にコンバータをつけると、お好きなインクを使えます。吸入式というのはインクを入れる機構が一体化しているものですね」
「どっちがいいんですか?」
「コンバータはインクが入る量が少ないですね。でもカートリッジという取り替えできるインクが使えますよ」
「……うーん」
「お悩みでしたら実際に手にとって書いてみますか?」
「いいんですか?」
「はい。ご予算はどのくらいですか?」
「インクと合わせて二万くらいで……」
「では、これなんかどうでしょう」
店員さんが出してきたのは、銀色のペン先で軸が透明な万年筆だった。説明によると吸入式らしい。
「書きごこちをためしてみてください。万年筆は力を入れなくても書けますからね」
真っ白なメモ帳に震えるペン先を落とす。力を入れなくても、触れた瞬間、ぬるりとと黒い色がついた。はっとしてペン先を離す。もう一度、ペン先をつけ、そっと手前に引く。さり、という感触と共に、なめらかな線が引かれた。
「わ……」
「どうです?」
「すごい……」
そうしてわたしはその万年筆を買った。もう少しお金を出せばこういうのもありますよ、と出してもらった金のペン先の万年筆もあったが、もともとのわたしの筆圧が強いせいかいまいちしっくりこなかった。それに、透明の軸にインクが溜まっているのがキレイだと思った。その万年筆に似合うような深緑のインクも買った。
それがもう三年前。万年筆はずっと筆箱の中だ。なんといっても、書く習慣がない。書くものがない。それにインクの入れ替えが結構面倒で、手にインクがついて色が取れなくなってしまう。そんなこともあって手が遠のいていた。
「……ん、手紙?」
そんなある夏の終わり、一通の手紙が届いた。大学時代の友人からだ。何年ぶりだろうか、LINEもメールも通じなくなってしばらくがたつというのに。
かわいい切手の封筒を開けると、少しにじんだ文字が書かれていた。
「ガラスペン買っちゃったから、手紙を書きます」
そうか、それはいいな。手紙には「まだ暑いね」というようなあたりさわりのない言葉が並んでいる。爽やかな水色のインクで。便箋はところどころインクの溜まりがある。それがまるで打ち水のようで。手紙は「ありがとう。また書いていい?」で終わっていた。
思わずあの筆箱を開け、万年筆を取り出した。便箋あったっけ、封筒は。いま郵便っていくらだっけ。
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