#ノート小説部3日執筆 ポトフが食べたいのじゃね/お題『童話』
※:本作には下品な表現が含まれます。
「新宿赤ずきん」
時は令和六年、日本は東京、新宿に10歳の可愛い女の子がいました。
誰でもその子をみると可愛がりましたが、特におばあさんが一番でした。
ある時、おばあさんは孫娘に赤いフードの着いたパーカーを三着あげました。
そのパーカーは彼女に良く似合ったので、彼女は三日ローテでその服を着ました。
三着のパーカーをそれぞれ一日着て、洗濯に一日、乾くのに一日です。
それでいつも同じ服を着ているように見えるので「赤ずきん」と呼ばれていました。
ある日、まだ26歳のおかあさんがアメスピを吸いながら赤ずきんに言いました。
「赤ずきん。渋沢栄一を一枚やるからババアの見舞いにいけ。ババアはコロナだからマスクもつけろよ。酒とケーキじゃよくならないからちゃんとした飯をにしろ。ババアには挨拶して、愛想よくしろ。空気は読め、返事は?」
「ねぇ、ママ。switch持って行っていい? あと途中でコーラ飲んでいい?」
「二本以上飲んだら殺すぞ。さっさと行け」
赤ずきんは、おかあさんに尻が腫れるほど闘魂を注入されながら、朝八時の新宿を歩き始めました。おばあさんは、渋谷の松濤あたりに住んでいて、原作よりも大分家が遠い感じでした。
「てかババアって何喰ったら元気になるんだろ。そもそもコロナなら何喰っても同じじゃね?」
「そうかしら? 赤ずきんが見舞いに行けるってことは、軽症なんじゃない?」
赤ずきんが丁度新宿の二丁目に差し掛かったところ、ウルフカットで洒落たスーツを身に着けたバイでロリもイケるホストのウルフさんにあいました。
赤ずきんは狼さんが危険人物だと知っていたので、静かに両手の中指を立てました。
「おはようございます、赤ずきんちゃん」
「ご親切にありがとう。ウルフさん」
「こんなに早くどこへ行くのかしら、赤ずきんちゃん?」
「言うわけないだろ、殺すぞ」
「何も見舞いはもっていかないのかしら?」
「ママが渋沢一枚で、買ってから行けって言うんだよ」
「赤ずきんちゃん、おばあさんちって渋谷の松濤だっけ?」
「分かってるなら聞くなよ。手術してないチ○コ蹴り上げるぞ?」
――と赤ずきんは答えました。
ウルフさんは、「今日もママ譲りのトゲトゲしい雰囲気が素敵!! 今のうちに好感度を稼いで、この子も松濤の屋敷も両方ゲットよ!!」と考えました。
それでしばらく赤ずきんの傍を歩いて、元アルタ前あたりで、こう言いました。
「赤ずきんちゃん。ちなみにあなた料理はできる? 渋谷の駅地下で出来合いの総菜を買って行っても喜ばれるだろうけど、それじゃダメよ。アタシを連れていけばちゃんとおばあさんが喜ぶ料理を作って、お小遣いを勝ち取ってあげるわ」
赤ずきんはクソだるい煽りに、今ここでウルフさんをボコボコにした方が今後のためになるのではと思いましたが、赤ずきんは、「確かに行ってメシ作るのもダルいから、コイツに労働させてババアの家でswitchをしている方が有意義なのでは?」と考えました。
「何も払わねぇからな?」
「コーラを一本頂ける?」
「そのくらいならいいか」
それで、二人は駅で馬鹿高くなった500mlのコーラを片手に渋谷に行きました。赤ずきんは買い物を駅前のドンキでどうにかしようとしましたが、ウルフさんがごねたので渋谷のマイバスケットで、ちょっと多めに食材を買っておばあさんの家に行きました。
赤ずきんと狼はおばあさんの家につきました。
一軒家の豪邸だったから、インターホンを押しました。
でも、反応がないのに鍵が開いていました。
赤ずきんはダリィなって思いながらも、家の鍵が開いていることに驚き、部屋に入るととても変な気分になったので「なんか、クソだるいことが起きそうな気がする」と言いました。
「あら、もうなってるんじゃないかしら?」
「それもそうか――」と思い、「おばあちゃん、来たよ」と叫びました。
「朝からうるさいね。赤ずきん」
すると、まだ42歳のおばあさんの返事がありました。
それで、赤ずきんが寝室に行きカーテンを開けました。
そこには、全ッ然元気そうなおばあさんと、元猟師のイケおじさんがいました。
「こら、送り狼。お前をここで見つけるとは。この罰当りめ」
「は? 誰このオッサン、登場のタイミングがおかしくね?」
「あっら、いいオトコ!! 赤ずきんちゃん、おばあさまも元気そうでよかったわね。食材を少し多めに買ってきてよかったわ。アタシは昼食を作ってるから――みんなで楽しんでいなさい」
ウルフさんはこう言うか言わないうちにキッチンへ行きました。
仕方ないから、赤ずきんは、おばあさんと元漁師と一緒に持ってきたswitchでスマブラをして遊びました。
しばらく赤ずきんが、おばあさんが操るスティーブに復帰ハメされて顔まで真っ赤にしていると、いい匂いのするキッチンからウルフさんがやってきました。
「美味しいポトフが出来たわよ!! 皆で頂きましょう!!」
そうして、ダイニングを囲んだ四人はウルフさんが作った思ったよりも本格的なポトフをみんなで食べました。お皿ごとに大きな玉ねぎが一個入って、食べやすい大きさにカットされたニンジンとジャガイモ、ごろごろとしたウインナーにベーコンが入ったおいしそうな一皿です。
一口食べれば、野菜の旨味が、しっかりとニンニクが効いたコンソメスープに溶け込み、ニンジンの甘さとほくほくとしたジャガイモの味わいに、シャウエッセンと厚切りベーコンの脂の旨味が口中に広がるポトフです。
ひときわ目を引く、玉ねぎ一玉もほろほろと崩れ、舌の上でしっかりと甘くやわらかな味わいが踊る精が付きそうな代物でした。
「おっ、滋味があっておいしいね」とおばあちゃんが言いました。
「むむっ、こりゃ美味い!!」と、元猟師が太鼓判を押しウルフさんと握手するくらいでした。
このままでは、彼にペースを握られ一家の貞操が危ないと赤ずきんは思いました。
「まぁ。とても具材が大きいわ」と赤ずきんちゃんが言いました。
「それは、おばあさまが思ったよりも元気だったからよ」と狼は返事しました
「だけど、ウルフさん。ニンニクが凄い効いているわ」
「減った体力には、ニンニクが効くからよ」
「だけど、ウルフさん。シャウエッセンにベーコンも入っているわ」
「やっぱりポトフには肉が入ってないといけないからよ」
「だけどウルフさん。やっぱり炭水化物が恋しいわ」
「そういうとおもったわよ」
そうして、丁度ポトフの具が半分くらい減ったところで、ウルフさんがお茶碗にご飯を盛って、一人一個の半熟卵を用意しました。
それで四人は喜びました。
みんなでポトフを洋風おじやにして、半熟卵を割りコンソメスープと混ぜて黒コショウを振って、脳みそが旨味でスパークする感触を味わいましたが、赤ずきんは急に、ウルフさんのアイドルに居てもおかしくない横顔が凛々しく見えて、己の恋心を疑ったところで、それは満腹感が生み出す生理的な幻想であることに気づき(やっぱ、アルタ前で去勢が正解だったか)と思いました。
#ノート小説部3日執筆 お題『童話』 『原理主義者の主張』
私は、何事もその原点を重んじる主義だ。
人間の歴史は変化の歴史であり、だからこそ最初に存在したということの意味を忘れてはならない。故に、時代の変化とはいえ、原点が歪められていく事を、常日頃歯がゆく思っていた。
とりわけ私が眉を顰めるのは、童話の改変だった。童話とは、書いて字の通り『童の為の話』である。幼子に対して寓話の持つ意味とは、即ち『教訓』。ただ大人が説いたところで耳も貸さぬような説教の代わりに、物語を通して人としての在り方を説くというものである。
無論、現代の童話もその意味が失われた訳では無い。しかし、教訓を伝える為に持っていた『牙』を抜かれている。
例えば、日本の童話である『かちかち山』。これは原作では、善良なお婆さんと悪いタヌキという二名もの死者が出るうえ、それぞれ死に様も凄惨という非常に残酷な物語である。ところが現代では、お婆さんもタヌキも死ぬこと無く、タヌキが悔い改めて和解する話に差し替えられている。
他にはイソップ寓話の『アリとキリギリス』。これに関しては特に改編が多く、国によってキリギリスにあたる昆虫が差し替えられるのはともかく――そもそも原典ではキリギリスでなく蝉である――キリギリスの餓死という最後を改編したものが特に多い。
『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』という言葉がある。私が思うに、世の中の九割以上の人間は愚者に位置する。自ら経験しなければ学べない者にその前に学ばせるには、恐怖という劇薬が必要になる。その為に、陰惨な過程と結末が不可欠なのだ。謝罪や後悔があれど悪役に救いがもたらされては、折角の意味が薄れてしまうではないか。『こうすれば幸せになる』という形でなく『こうしないと不幸になる』という形式の寓話で、結末にある痛みを和らげるなど、教訓を薄める行為でしかない。
と、長々と講釈を垂れたが、要するに私が言いたいのは――
*
「R-18Gな童話がもっと日の目を見てほしい、ですよね?」
「人をグロテスク愛好家みたいに言うんじゃない。童話の持つ意味を現代に蘇らせたいんだ」
二人だけの教室に、私と後輩の声だけが響いている。秋頃の教室は、窓を閉め切っていると少しだけ暑い。しかし、今私の体が暑いのは、気温の問題だけではない。
私は手に汗を握りながら、物書きとしての信念を語った。しかし、目の前の後輩はそんな私の熱弁を、その青い髪のイメージに違わぬ冷ややかな態度で流した。
「つってもですよ、先輩。そもそも子供が物語を読むのって、楽しむためであって勉強するためじゃないですし。となれば説教臭くてエンタメ性の薄くてグロい話なんて誰が読むんです? ただでさえ面白い物語がサブスクや漫画アプリでいくらでも見られる時代なのに」
「むう、それはそうだが……。グロテスクだったり救いの無い話だろうと、子供は読むだろう。そうじゃないならなんで呪術○戦があれだけ大ヒットしたんだ」
「今の時代、物語なんてそれこそアホ程世の中に溢れている訳でして。だからまあ、大衆の物語の要素に対する受容性は上がってるかもしれないですね。けど、先輩がやりたいタイプの話って結局、露悪趣味者に消費されるのがオチじゃないでしょうか。実際、童話の原作だって今は『昔の童話グロすぎワロタwww』みたいに面白雑学扱いですし」
『呪術○戦もグロいから売れた訳じゃないでしょうし』と、後輩はトドメとばかりに締めくくった。
後輩にしては生意気に過ぎるが、始末に負えないのは反論出来ない事だった。彼女の目線は、いつもフラットだ。
「そして先輩、原理主義は良いですが、大事なのは改編される『理由』の方では無いでしょうか」
「理由?」
「原典作品に一切非の打ち所がないなら、そもそも改編する必要なんてありませんし。アリとキリギリスのキリギリスポジが変わったのも、国によっては蝉に馴染みがないからでしょ? 先輩だって、『ザトウムシとアメリカシロヒトリ』みたいな物語だったら、読みたいと思わないでしょ」
「ザトウムシはエ○ァの使○のモデルになったヤツだから気になるぞ普通に」
「今時の子供ってエ○ァ見ないでしょ」
「そうなのか……」
少し寂しさを覚えたが、今はそんな事を気にしている場合では無い。
「昔話だってそうです。かちかち山だって、たぬき汁なんて今出しても分からないでしょうし。この飽食の時代にたぬきを食べるなんて、想像出来ない子も多いでしょうね」
「それは確かに……」
「そして何より……現代と昔で圧倒的に違うのが――『時代そのものの残酷さ』でしょう」
「時代……そのもの?」
新しい概念の存在に、私は首を捻った。
「今の時代、日本に生きてたら基本餓死とか殺されるとか無縁でしょう? けど、昔は違った。赤ん坊が原因不明の死を遂げるなんて普通だったし、戦争や野生動物に殺された死体が野に打ち棄てられている事も沢山あったでしょう。そういう時代だからこそ、残酷でも教訓を伝える童話が存在したんじゃないでしょうか。逆に言えば、童話が平和的になったという事は、世の中がそれだけ平和になったって事だと思うんです」
「……成る程な」
考えてみれば、道理だった。時代の違いというのは都合良く話を作り替える為の言い訳に過ぎないと考えていたが、これなら多少は納得出来る。鍵を掛けずに外出しても早々泥棒に入られないような現代と、明日の命すら定かでない時代では、物語に対する向き合い方からしてまるで違うだろう。だから現代では、残酷さによって教訓を残すという事の意味が、既に大きく失われているのかもしれない。
「という訳なんで先輩、早いとこ文化祭の機関誌に出す作品書いてください」
「このタイミングで言うのかお前。お前のせいで次の作品どうしようかとなっていた所なのに」
「良かったじゃないですか。またグロい寓話書いてたら一年生どころか外部のお客さんすらドン引きしますよ。新入部員がろくに入ってこない原因、半分ぐらい先輩じゃないですか?」
「そんな事はない。私が入った頃から部員は二人だったぞ」
「前の部長さんも大概ヤバいモン書いてたでしょうに。あのS○Wみたいなデスゲームもの」
*
そうして、文化祭の日を迎えた。この日は生徒と教職員だけでなく、招待を受けた生徒の保護者や友人。そして、オープンスクールも兼ねて事前応募した受験生の子たちで、広いといえない校舎は埋め尽くされていた。
文芸部の機関誌は、校門前に案内用リーフレットと共に置かれていた。他に置き場が無いとはいえ、部の規模を考えれば破格の待遇と言っていい。
その目立つ場所にある機関誌を、一人の学生が手に取った。そうしてページを開き、適当に眼を通す。
『麗しかった姫の体は、誰にも顧みられず、蛆に食われていった。生来の才にかまけて積み上げを怠った者を布団の上で死なせるほど、世界は優しくない』
学生は、そっと機関誌を元の場所に戻した。
*
「先輩。やっぱりそういう趣味ですよね」
「そんな事はない」
#ノート小説部3日執筆 「研究室の映像記録より」
宛先:弘前研究主任
件名:提供物品の報告
本文
被験体コード「ルルイェ」の提供元、およびその支援者から『遅めの誕生日祝い』として以下の物が届きました。
・大槻出版 『高校受験対策 過去問集』 3冊
・パッセンジャー文具 大学ノート(A4) 10冊
・蛍火文具 カラーマーカー4本セット 1箱
・仁淀重工業 トランジスタ小型ラジオ作成キット 1個
いずれも異常性・危険性が見られないため、許可が降り次第、被験体に提供します。
確認、許可をお願いします。
また、同人物から『職員のみなさまへ』として、以下の物が届きました。
・パティスリー留里 かぼちゃタルト12個入り 10箱
・パティスリー留里 かぼちゃケーキ6ピース 10箱
・ホテル グラン・ファンタスク ハロウィーンフェスタのチラシ 15枚
食品は研究室の冷蔵庫、チラシは担当者のデスク上に保管しています。
悠久良研究所 海洋棟 2級研究員 長谷川
重要なメールを見逃して消すところだった。やはり夜間作業は危ない。検品が終わっているなら、こちらは許可を出すだけだ。
一応軽く見ておくが、変わったところは無い。ただのノート、ただの問題集、ただの筆記具。ただの、学校の授業で使いそうな電子工作キットだ。許可印を押して、あとで被験体の部屋に持っていこう。
私の担当の一つである『ルルイェ』の被験体は非常に勤勉で、なんというか、可愛げの無い少年だ。
誕生日祝いで問題集やノートが贈られてくるのは、なにも教育虐待というわけでなく、単純に彼がそれしか所望しないからだ。
他の被験体たちはゲームやマンガやらを所望するというのに(ちゃんと許可している)、彼はいつまで経っても娯楽の一つも仕入れようとしない。一度、私の独断でゲームを与えたが、見向きもせずに返却された。ここまでくると、情操が心配になってくる。
そして彼の親はというと、息子に贈り物をできない反動からか、我々研究員に大量に贈り物をしてくるようになった。
「……だからって、こんなに沢山はいらないんだよなぁ」
冷蔵庫にぎっちり詰まったスイーツを眺める。海洋棟の職員みんなで食べても余る量だ。
とりあえず、タルトを一ついただく。プロの洋菓子屋というだけあって、感想を述べるまでもなく美味い。夜間のスイーツというのもあって、格段に美味い。
スイーツを食べながら、一緒に送られてきたチラシを読む。
内容としては、季節のディナーショーのお知らせだ。ハロウィンとやらは……、私は研究室に籠もりきりなのでよく知らない。西洋版の百鬼夜行みたいなものだろうか。
来場者プレゼントとして、かぼちゃプリンを配るらしい。行くか、プリンしか興味がないが。
にしても、この時期はよくかぼちゃを食べる気がする。ハロウィンとやらはかぼちゃが大事なのか。時期の早い冬至みたいなものか。
「ンなわけないでしょう」
突然の声に振り返ると、そこには被験体ルルイェがいた。また脱走したか。
「かぼちゃのランタンを作るんですよ。その中身をお菓子にしているから、かぼちゃ味のお菓子があるんです」
どうやら、世間のハロウィンとはそういうものらしい。
「独り言ごちる前に、仕事終わらせたらどうなんですか」
どうやら思考が声として流れていたらしい。うかつだった。
「ウルサいな。私はおやつを食べているのだ。仕事はそのあとにやればいいだろう」
こうは言うものの、仕事はほぼ終わっている。単純に帰りたくないだけだ。家に帰ると、また出勤しなければならないからな。
「食べるか?キミのお母様からいただいたものだ」
たまには配給食以外を食べさせてもいいだろう。責任者(わたし)が見ているから問題ない。
別の棟の子はたまに親が飯作りに来ているようだし、なおさら問題ない。
「結構ですよ。皆さんの分でしょう」
断られてしまった。
「そうは言ってもだな。我々でも限度がある。腐らせる前になんとかしたいから、キミも食べてくれ」
この量を賞味期限内に食べきるには、少なくとも一人5個は食べないといけない。そんなに強い胃袋を持っている人間は、この研究所にはいない。
ニンゲン以外なら居るにはいるが、私の管轄外だ。その子に渡すまでに審査が必要となり、その間に腐ってしまう。
なので彼は適任なのだ。
「そこまで言うなら……」
少年は少し目を泳がせながら、バツが悪そうに言った。やはり彼は、自分への利益を避ける習性がある気がする。
被験体は冷蔵庫からケーキを取り出した。オレンジがかったかぼちゃのケーキは、やはり秋に相応しい色合いだ。
彼はケーキに向かって軽く手を合わせると、丁寧にケーキのフィルムをはがし、キレイに畳んで、皿のフチに乗せた。つくづく育ちが良い子だ。
そのまま、スイーツを食べる少年をひたすら観察する。こういった甘い物を好むという情報だけはあるものの、研究員の前で食べることがなかったからだ。
今までは、気付いたらすでに食べ終わっているパターンか、研究員の目を盗んで食べていたかのどちらかだった。なので、上手いこと誘導して職員の目の前で食べさせようと、あの手この手を使ってきたわけだ。結果は惨敗だが。
そんなことがあったので、今はまたとないチャンスなわけだ。
感情記録デバイスを、彼に気付かれないように向ける。あとは、食べ終わるまで放置していればいい。
彼は感情表現に乏しい子だが、全くの無感情ではないはず。それが証明できれば、少なくとも研究停止にはならないはずだ。
早く成果を出して、優秀な合成半獣(アノマニマルズ)を輩出しないと、この研究所は潰れてしまう。
もし潰れた場合、この子達、被験体たちは路頭に迷うことになる。悠久良の町では、合成半獣を生かしておける方法がない。
ただでさえこの研究所は、資金も人手も足りないのに。
この前、別の棟で被験体が死んでしまって、もう後がないのに。
「……記録取ってるんですか?」
しまった。勘付かれた。他の子なら別に勘付かれようと構わないのだが、彼の場合は支障が出てしまう。
「……好きですよ、かぼちゃ味のお菓子。甘いので」
それだけ言うと、被験体は皿を片付けてどこかへ行ってしまった。逃げられた。いつもこうだ。
顔はよく見えなかった。わざと俯いて、隠そうとしたのだろう。
記録の解析は、いつもより少し長かった。感情ベクトルが動いていた証拠だ。
だが、閾値(スレッショルド)以上の値は出なかったため、どの感情が優位かの断定はできない。
かろうじて、歓喜と恐怖の値が高いと言える程度だ。この二つで構成される感情は……。
「……罪悪感?」
彼にとって、おやつを食べるのは幸福ではないのか?
結局、彼の事はわからず終いだ。
気付けば、もう日付が変わっている。もう諦めて、おやつ食べて床で寝よう。
#ノート小説部3日執筆 カボチャのスープが飲みたいのじゃね/お題「カボチャ」
「カボチャのスープって、あんまりいいイメージがないんですよね。甘いけど、ドロドロしてて――もったりしてて、わたしだけですかね?」
「そうかじゃあ、サイゼリヤでも行くか」
もし、あなたがカボチャのスープが苦手なら、
サイゼリヤで食べてみるのをオススメしたい。
メインと併せて、カボチャのスープを頼む。
そうすればメインの前にスープが運ばれてくる。
スープ皿に入った橙色のスープ。
は白いクリームが掛かった品のいいスープだ。
スプーンでスープを掬うと――
とろみのある、それでいて滑らかなスープがスプーンの上に収まる。
一口、黄金色の液体を飲み込む。
すると、舌の上には滑らかで濃厚な口当たり、
そしてカボチャの自然な甘みが、舌先に広がっていく。
そうして、味わいを楽しんで飲み込むと
暖かいスープの滋味が口いっぱいに広がり、胃を喜ばせる。
ゆっくりと舌の上で感じるのは、
バターとオニオン、かすかにオリーブの風味。
ナツメグとパセリの香り。
カボチャ特有のねっとりとしたほくほく感に繊維質を感じさせない――
雑味のない、しっとりと甘い、カボチャのいいところを突き詰めた味。
しっかり裏ごしされたクリーム感のある味わいが嬉しい。
カボチャのスープに感じるイメージがもし、もったりとした雑味に染まっているならば、一度サイゼリヤで注文してみて欲しいのだが……
「先輩、メニューにカボチャのスープがないですよ」
「おかしい……コストカットの影響か? 世知辛いもんだ」
そう、今年は暖かいカボチャのスープが、まだメニューに載っていない。
果たして、今年はサイゼリヤでカボチャのスープを食べることは叶うのか。
仕方ないから、コーンスープにした。
ちなまずとも、サイゼリヤのコーンスープもまた絶品である。
「あ、美味し」
「企業努力の味がして、これも悪くない」
#ノート小説部3日執筆 お題:かぼちゃ
外からは雨音がさぁさぁと響く。
少し前までの暑さはどこへやら、急に秋雨が続く日々となった。
窓ガラスに目をやると自分の顔に雨粒が点々と模様をつける。外の景色も雨粒でゆがんだ街の灯りだけで変わり映えしない。
かといって。定時を過ぎて人の減ったオフィスで、PCのモニターとにらめっこを続けるのにも飽きてしまった。
集中力の切れた私は、自分のデスクの上に並んだセミの抜け殻を指でつついて過ぎた夏に思いを馳せるが、ただただ暑かった記憶だけしかない。
もうこれはダメだ。と頭を振る。ぼんやりしていても何も浮かんでこない。そういうターンなのだ。
——となれば、ちょっかいをかけるチャンスだ。
そう考えて横の席の後輩をちらりと見ると、そちらも大体似たような様子で、エナジードリンクの細長い缶をちゃぷちゃぷと揺らしながら虚空を見つめていた。
ふ、と笑って自分のデスクを離れると、オフィスの冷蔵庫から少し大きめのタッパーを取り出す。
朝から冷蔵庫で一定の場所を占めていたそれは、付箋で名前を書いておいたおかげでつまみ食いの被害を受けることもなかったようだ。
デスクに戻ると先程と変わらない姿勢で宙を見ている隣の席の後輩にふたを開けたタッパーずい、を差し出す。
中には小さく切り分けられた黄土色のパイ。
「ほれ、さんくすぎびんぐ」
「え?」
私の声で現実に戻ってきたらしく素っ頓狂な声を上げる。
「……なんですかこれ」
「アメリカの感謝祭のデザートではパンプキンパイがメジャーなんだそうだよ」
「また唐突に不思議な事を……」
いただきます、と恐る恐る手を伸ばそうとして、何かに気づいたように手を止めてこちらを見る。
「そのためにわざわざ準備したんですか?」
「いや、親戚からもらったカボチャが余ったから昨日作った。」
なるほど、と私の言葉に納得したように「ありがとうございます」とやっと一切れつまむ。
「理由なく作ったものは信用できないってか?失礼な奴め」
「だって、普段ロクな事しないじゃないですか」
そう言って指折り私の行動を数える。
「この前は仕事終わらないって嘘ついて、定時になったらさっさと終わらせて帰ったし」
「だって残業に巻き込まれたくないじゃないか」
「昼休みに突然蝉を捕まえに行くって出かけるし」
「断念してセミの抜け殻で我慢したじゃないか」
先程までつついていた抜け殻に目をやる。
他の人だって机の上にキャラクターものとか置いているし、それと同じだろうに。
「今日だって、他の先輩が怯えてましたよ『冷蔵庫に怪しいタッパーが入ってる』って」
「怪しいとはひどいな。私の名前が書いてあったろう」
いや、だからじゃないですか。と失礼な事を言われてひと睨みする。
「ま、でも普通そうなもので安心しました」
「小腹が減った時に食べようと思ってね」
じゃあせめて飲み物くらいは、と言うので言葉に甘えてマグカップを差し出す。珈琲でいいです?という言葉に頷くと後輩はそのまま給湯室へ歩いて行った。
——人間ができてるなぁ。とつぶやく。
行動で浮きがちな私にとって話相手として付き合ってくれるだけありがたいのに、懐いてくれている(ような気がする)のは彼くらいだ。
そんなことをぼんやり考えているうちにマグカップを2つもった後輩が帰って来る。
そうして私のマグを差し出しながら口を開く。
「ところで、さっき言ってた感謝祭って何なんです?」
「んー、端的に言えばアメリカのの収穫祭だね。一年元気に過ごせてやったーみたいな意味も込めてお祝いするやつ」
ここまで雑に説明すると怒られそうだが、まぁ本質は間違ってないだろう。
「元々はアメリカ入植者が生活を助けてくれたネイティブ・アメリカンへの感謝も含めて宴をしていたらしいがね」
「じゃあ、友好の証みたいな感じもあるんですね」
ほっこりと和んだ顔をする後輩を見ながら私は続ける。
「——だが、全体で見ればネイティブアメリカンはそれ以上に迫害された。今もノ—サンクス、ノーギビングなんて言われることもあるらしい」
歴史の通りさ。と話を終える。
「……いい話で終わればいいのに。何でわざわざ暗いオチを付け足すんですか」
「個人的に綺麗な面だけを見るのが嫌いだからさ。フェアじゃない」
捻くれてる、と呆れた顔をする後輩に片眉を上げてみせる。
「ハッピーエンドが最良とは限らないだろ」
やっぱり捻くれてる、と今度は顔をしかめられる。
人間も信じない。きれいごとだけで生きてはいけないから。
でも、表裏一体。汚いというのは綺麗ごとが存在するからそう見える。
だからせめて、綺麗な面を見せてくれる人には“ありがとう”を。
「ま、とにかく普段世話になってるからね」
「世話されてる自覚はあるんですね」
憎まれ口とともに「ごちそうさま、美味しかったです」と口の端をティッシュで拭きながら後輩が続ける。
しばしの沈黙。二人とも珈琲を啜ると、なんとなしに壁のカレンダーを見た。
「ってことは今日がその感謝祭の日なんですか?」
「いや、感謝祭は11月の末だよ」
は?と眉間にしわを寄せてパンプキンパイの入ったタッパーを見る。
「じゃあ、これは?」
「さっきも言っただろう?かぼちゃが消費しきれなくて余ってたんだよ」
「最初にサンクスギビングって言ってたのは?」
「いいだろ、別に私はアメリカ人じゃないんだから一ヶ月早くても」
「なんならハロウィンの方が近いじゃないですか」
「細かい事はいいんだよぅ」
そんなやりとりをしながら自分でもパンプキンパイを一切れ齧る。
しっとりとした優しい甘さの奥にシナモンがアクセントになっている。パイ生地もバターが香る。我ながらいい出来だ。
いくつもの味や香りが重なって作られる料理は、人間そのもののような気がする。
決して杓子定規で測る事の出来ない、伝えたい感情の重なりを込めているからかもしれない。
そんなことを考えていると後輩は何かに気づいたように口を開いた。
「……一カ月早くても、ってことは一応感謝はしてくれてるんですよね」
「それはどうかなぁ、唐突に不思議な事をする私だよ?裏があってもおかしくないんだろう?」
ぶつくさと続く文句を聞こえないふりをして、食べかけのパイの残りを口に放り込んだ。
——かぼちゃにかこつけて感謝を伝えたかっただけだ。
ひねくれ者のそんなことはとても言えないけどね。
心の中で呟いて仕事に戻る。省電力で暗くなったパソコンの画面に反射して、私の穏やかな笑顔が映っていた。
了
初めての参加です(遅刻して申し訳ありません💦)【#ノート小説部3日執筆】「私の心の支え」(お題:ヒーロー)
今日も、うまくいかなかった……。
私は、誰かを不機嫌にさせてばかり。
人と上手に関わることが苦手な私は、乗り越えるべき課題が山積みだ。
社会で働く。誰かの役に立つ。
人と関わる。
緊張なんてしないで、誰かと話をする。
大きな笑い声を上げる。
時には誰かと遊びに行く。
交際をする。
結婚する。
お母さんになる。
親孝行をする。
……なんにもできてない。
みんなが当たり前にできていることが、私にはできない。
そんな自分はここにいていいのだろうか……。
もやもやした気持ちを抱えながら、窓の外の夜空を見上げる。
雲の隙間から星が見える。小さく小さく光っている無数の星々。
もし、星に例えるのなら、きっと私は、あの星々のちっぽけな一つに過ぎないのだろう。
消えてしまっても誰にも気づかれないような……そんな小さな星。
あんなにたくさんあるのだから、一つ消えたところで、だあれも悲しまない………
はあ……。
またひどく落ち込みそうになったので、寝そべっていた私は、がばりと起き上がると、さっそく気分を切り替えることにした。
こういうときの私に寄り添ってくれるものがあるのだ。
ぐちゃぐちゃに散らかった部屋をかき分けながら歩いて、CDプレーヤーを持ってくる。コードを電源プラグに差し、プレーヤーの電源入れる。それから、馴染みのCDアルバムを開き、その中のCDをプレーヤーの中にセットした。もう慣れた儀式だ。
YouTubeなどで聞くのも好きだけど、やっぱり音楽は、ラジカセで聴くのが好き。
どうしてかな……。こう、さあ聴こうって意欲的な気持ちになれるからかな。ちなみに、ゲームもPSコントローラー派。
そして、再生のボタンを押す。自然と心臓が高鳴る。
途端に、聴き慣れた旋律が穏やかに響く。私は、目を閉じて、それに耳を傾ける。
There's a hero if you look inside your heart.
“ヒーローっているの。心の中を覗いてみて”
美しい歌声とともに紡がれていく言葉。
この歌は、Mariah Carey(マライア・キャリー)の『Hero』
幼い頃から、ずっと聴き続けてる曲。
落ち込んだときに、いつも勇気を授けてくれる歌。
大好きな曲は、何十年経っても色褪せない。
こんな夜みたいに、ひとりぼっちになって、辛いときは、いつも、この曲を聴くの。
力強くて、それでいて、とても優しいこの歌は、私の背中を押してくれる。
まさに、私を支えてくれるヒーロー。
私は、一緒に口ずさむ。英語の発音が悪いなんてお構いなしよ。今は誰もいないもの。
誰の目も気にしなくていいの。
Lord knows dreams are hard to follow.
“神様は知っているわ。夢を追いかけ続ける難しさを”
But don't let anyone tear them away.
“でも誰かのせいで夢を諦めないで”
Hold on, there will be tomorrow.
“耐えて 明日は必ずやって来るから”
In time, you'll find the way.
“いつか必ず、あなたの道が見つかるから”
……私は、ただ、私らしくありたい。
普通じゃなくても、
みんなと比べて劣っていても。
自分を誇れるような、私になってみたい…。
それを、その夢を、諦めたくないの。
小さな小さなちっぽけな存在でも、
私は、確かに、ここにいるのだから。
And then a hero comes along
“そしてヒーローはやってくるの”
With the strength to carry on.
“前に進むための強さとともに”
And you cast your fears aside.
“そして、あなたは不安を振り払えるの”
And you know you can survive.
“だって、あなたはどんな苦境も乗り越えられるって知っているから”
So when you feel like hope is gone,
“だから希望を失っても”
Look inside you and be strong.
“自分自身を見つめて強く生きてね”
And you'll finally see the truth
“そうすれば最後には真実がわかるわ”
that a hero lies in you.
“ヒーローはあなたの中にいるの”
………そう。
私のヒーローは、私自身なんだ。
だから、私は、私を諦めちゃいけない。
私だけは、あなたの味方だよって……そう言ってあげたい。
苦しくても、どんなこともきっと乗り越えられる。
必ず明日はやってくる。
私は、私を信じてあげたい。
愛してあげたい。
そして、いつか、私を誇らしく思いたい……。
でもね、それって、とても難しいの……。
私は、未だに、自分のことを好きになれないから…。
だからこそ、私は、勇気を振り絞るように、もう一度、口ずさむ。
「”And then a hero comes along……“」
私が、私に負けないために。
#ノート小説部3日執筆 お題『ヒーロー』 『ヒーローと呼ぶには』
辛いとき、悲しいとき。颯爽と現れて全部解決してくれる。それがヒーローというものなら――あまりにも都合が良すぎる。そう、ある少女は考えた。
彼らの生き様を描いた物語は、古今東西多くの人を魅了するし、多くは憧れの対象にもなる。身近にヒーローがいて彼らに救われた者たちは、ヒーローに憧れ、時には恋をする。それが悪いとは思わないが、一つ心配な事があった。
ヒーローもまた、同じ人間だという意識があるのだろうか、と。
とはいえ、少女は生まれた時からこんな事を考えていた訳では無く、むしろ現実に現れたヒーローにまさしく前述のような感情を抱いた側である。
では何故、このような事を考えるようになったか。
それは彼女の『ヒーロー』が、そう呼ぶにはあまりに弱点が多かったからだ。
*
「最近、純がよそよそしい気がする」
山崎愛花は眉を顰めながら、ぼやくように言った。彼女の手元には、男子サイズの弁当箱がある。昼休み開始から十五分も経った今、本来なら残さず平らげられている筈のそれは、まだ半分以上残っていた。
鮮やかな茶色の髪を指を弄ぶ彼女に、正面の女子が目を丸くした。
「よそよそしい? マナちゃんに? あの人に限ってそんな事あるかな?」
「ワタシもそう思うなぁ。マナちゃんの考え過ぎに一票~~」
右隣の女子が便乗する形で、ゆったりとした声と動作で笑った。
事態を軽く受け止めた風の二人に対し、愛花は頬を膨らませた。
「むぅ、ミカちゃんもカエデちゃんも大したことないって思ってるでしょ」
「だってマナちゃん、前に『純の返事が冷たい』って悩んでたけど、『スマホの文字が打ちづらい』ってだけだったでしょ~~」
「ああ~~、あの人ただでさえ不器用なのに手も大きいもんね」
「うぅ、確かに文字打つのがおじいちゃんみたいに遅かったけど……」
手前の少女ミカと右隣の少女カエデが揃って笑うと、愛花はバツの悪さと共に生姜焼きを一口呑み込んだ。
「そういう訳だから、マナちゃんはいつも通りにしてたらいいんじゃない?」
「それでも何かあるなら聞いてみれば? マナちゃんに真剣に聞かれたら、逃げられないと思うし」
「う~~ん……そうかな……」
愛花は釈然としない想いを抱えたまま、白米を口に運んだ。
「それよりマナちゃん。その髪飾りだけど……」
「あっ……うん。ちょっとね……」
*
しかし、その日も翌日も、愛花の悩みは解決しなかった。
そして遂に、愛花は彼を呼び出した。メッセージで呼び出した分には、彼の対応は変化が無い。
そうして放課後。正門前で待つ愛花の前に、長身黒髪の男が現れた。
滝本純。愛花の幼馴染だ。今日の彼は、昨日までより幾分か愛花を見る目が柔らかかった。それを察した瞬間、愛花は質問事項を変えることにした。『どうして自分によそよそしいのか』ではなく。
「純、何か……私に隠してない?」
言い訳を許さないように、真剣な眼差しを向ける愛花。その眼を前に、純も観念したように小さく息を吐いた。
そして鞄に手を入れると、綺麗な花の髪飾りを差し出した。
「これって……私の髪飾り?」
純が取り出したのは、愛花の髪飾りだった。先日の学校帰りに失くしたと思ったものだったが――。
「探してくれたの? でも、それなら何で私を避けるような……先週の事? 何かあったっけ……?」
純が愛花によそよそしかった理由が『先週の失敗』という事だったが、愛花にはまるで覚えが無い。そして彼が言った失敗を聞くと、愛花は思わず大きなため息と共に全身をがっくりと脱力させた。確かにその瞬間こそ少しムッとしたが、言われて初めて思い出したうえに、今考えれば機嫌を損ねる程の事でも無かった。何しろ、その程度の事は数え切れないぐらいあったのだから。
「あのね……純。そんな事で嫌いになるんだったら、私は一体何百回純の事を嫌いにならないといけないの?」
腹の底からため息を出しながら、愛花は極力声の調子を維持しようとした。しかし、あまりにも真相で拍子抜けしたせいで、無駄な抵抗だった。
純は失敗が無くてもどの道髪飾りを探しただろう。だが、失敗の埋め合わせに『髪飾りを見つけないと合わせる顔が無い』などと考え出すのが、純という男なのである。
しかし、きっちり髪飾りを見つけてくれたのも事実。これもまた、純なのである。
「はぁ……もういいや。いや、怒ってるんじゃなくてね。……晩ご飯? うん、今からお母さんに連絡すれば大丈夫だけど……美味しい濃厚豚骨ラーメン!? 行く行く!」
わざわざ愛花が好みそうな店を見つけてきたのだろう。
そう思うと、愛花は途端に可笑しくなってきた。
「……ん? いや、その……やっぱり、純は純だなって」
愛花は、本来家用のシンプルな髪飾りを外し、受け取った髪飾りを着けた。そうして純を見ると、二日ぶりに――いつも通りに、花の咲くような笑顔を見せた。
滝本純は、ヒーローと呼ぶには弱点が多すぎる。だからこそ、山崎愛花は恋をする。
#mud_braver
#ノート小説部3日執筆 「形而上 ヒーロー」※実話に基づくかなり暗い話注意 お題:ヒーロー
あの人が空の向こうへ行ってしまって、もうすぐ1年になる。
自分にとってのスーパーヒーロー。
艷やかな低音で美しい旋律を歌い上げ、男性でありながらルージュとレースのニーハイが誰よりも似合っていた美しい人。
自分が半ば衝動的に火星に移住し、しかしながら年末のコンサートツアーファイナルのためには一旦地球に行こうと思っていたのに、あの人はツアーのコンサート中に倒れ、夜明けさえ待たないでそのまま逝ってしまったのだという。
自分はそのニュースを一月遅れで知り、どうしていいかわからずにただただ涙を流すしかなかった。
もうあの銀河の如き歌声をもう一度生で感じることも、性別などただの飾りだと自分に教えてくれたあの死ぬほど美しい姿を見ることもできないなんて信じられなくて、作業も手につかず、火星の自宅でひとり泣いた。
あの人を知ることができたから、自分は今こうして自分らしく(ノンバイナリーとして)在ることを選べたというのに。
ツアーに行かず、火星に行くことを選んだ自分を恨みもした。バンドもバンドマンも永遠ではないのだから、行ける時に行けるだけ行っておくべきだったのではないかという悔恨が自分の胸にあった。失ってから初めて気づくなんて、あまりに愚かな話だ。
ただ、地球のSNSで医療従事者と思われる人が「多分、その症状なら苦しまずに逝けたと思う」と書き込んでいたこと、現地にいた人が「あの人は明らかな不調の中1曲歌いきって、自らの足でステージを降りた。最期まであの人だった」とレポートしていたことだけがせめてもの救いだった。
年末のコンサートは少し形を変えて、しかしながら予定通りに実施された。
その人がいたところにはマイクスタンドすらなく、ただスポットライトだけが当たっていて、自分はそれを見ながら「あの人は形而上の存在となって今もこのステージに在るのだ」と思った。
姿は見えないけれども、あの光こそが自分のスーパーヒーローの存在を証明していると、そう感じたのだ。
でもあれだけ歌を、バンドを、ファンを愛したあの人がこんなにあっさり姿を消してしまうだなんて今も信じられないでいる。しかもツアーどころかステージを最後まで全うすることすらできずに。
ねぇ、本当は貴方も会いたくてたまらないんじゃない?
会いたくなったらいつでも姿を見せてくれていいんだよ?
多分それは会場にいた全員の願いだったと思う。そう思いながら曲に合わせ、黄泉彷徨う死装束の魂となってしまった人にみんなで手を伸ばす。
そして一時の夢を見た。もう一度あの死ぬほど美しい声を聴く夢を。
そして夢は終わり、自分たちは悲しみにさよならを告げたのだった。
今年の年末もまた、スーパーヒーローなきコンサートが開催される。
自分の胸にぽっかりと空いた穴はまだ埋まっていない。
メンバーがかの人の喪失をどのように埋めてくるか想像もつかない。
けれど自分はきっとまた足を運ぶだろう。
はるばる火星から地球まで、形而上のヒーローに会うために。
たとえ姿が見えなくとも、手を伸ばせば何度だって夢を見られるから。
おわり
featuring BUCK-TICK「形而上、流星」、MUCC「スーパーヒーロー」
我が愛しのヒーロー、櫻井敦司に捧ぐ
「俺とヒーローと金曜日」#ノート小説部3日執筆 流血表現注意:warning_male_x_male:
腹に出来た切り傷から、赤い液体がとめどなく流れていく。
俺は小さな声で悪態を吐きながら、ぐったりと地面に座り込んだ。
一緒にいた女は逃げてしまったらしい。そして、俺を刺した女も。
傷はじわじわと熱を持っており、痛みがどんどん増していた。持っていたスマホで救急車を呼ぼうとしたが、手に力が入らない。
ああ、ここで死ぬんだと思った。顔の良さだけで調子良く生きてきたバチが当たったのだ。
ホストになったのも、やりたかったからではなく、街で偶然声をかけられ、稼げそうだという軽い気持ちからだった。
それがこのザマだ。俺を刺した女は俺が他の客の相手をしていると猛然と嫉妬してくるような女で、厄介な客だったが、うまくあしらえていると勘違いしていた。数分前、道端で他の客と一緒にいたところを見つけられ、持っていたナイフで刺されるまでは。
良いじゃないか、ここで死ぬのがお前にはお似合いなんだと頭の片隅で声がした。その通りかもしれない。
こうやって誰にも顧みられず、死ぬのが俺には相応しいような気がした。
「おい、大丈夫か?」
俺が意識を手放そうとしていた時、傍にスーツ姿のサラリーマンが跪いた。そうしてそっと傷にハンカチを当てる。
「放っといてくれませんか…お兄さんハンカチ汚れちゃいますよ…」
俺は途切れ途切れにそう言ったが、サラリーマンはニコッと笑って「安物だから気にすんなよ」と言った。
「今、救急車と警察を呼んだからな。それまで俺と一緒にいようぜ」
ああ、良い人だ。俺は数年ぶりに他人に対してそう思った。
サラリーマンはよく見るとちょっと不健康な太り方をしていたが、なかなか整った顔立ちのイケメンで、黒縁の眼鏡がよく似合っていた。目の下に黒いクマがあるので、やや寝不足気味なんだろうか。
「お兄さんゴメンね…こんな深夜に迷惑かけて…」
「明日は土曜日だから気にすんなよ。久しぶりの休みだからな、人助けができるんなら気持ちよく休めるさ」
「俺、もうこんな仕事辞めます…」
「そうかそうか、人生いつだっていろんな方向にスタート切れるから大丈夫だぜ。多分」
戦隊モノのヒーローなんて全く憧れない人生を送ってきた。あんな正義感を振り回してバカじゃないかと思っていた。どんな形のヒーローも縁のない人生で、顔の良さと調子の良さだけでなんとかしてきた。
ヒーローなんて、いないと思っていた。あれは空想だ、作り話なんだと。
でも現に、ここにいた。くたびれたスーツのサラリーマンという姿で、俺の人生に登場したのだ。
「お兄さん、ヒーローみたいっすね…」
「そう言われると照れちまうな。お、救急車と警察が来たみたいだな」
「待ってください、名前を…」
俺は聞こうとしたが、彼は警察と救急隊に俺を引き渡し、立ち去っていた。
「と、いうのが俺とヒーローとの出会いの話です」
「それでホストクラブを辞めてウチに?」
そう言って、俺を雇ってくれたコンビニの店長は老眼鏡の奥の目を瞬かせた。
客が来ない間、俺と店長は仕事をしながらおしゃべりしていたのだが、成り行きで俺がホストを辞めたきっかけの話になったのである。
「彼とはそれっきりなのかい?」
「そうですね。あれから結構探したんですけど、再会することはできなくて。でも、いつか会えると信じてます」
そう言って俺は品出しを続けた。あれから一年半が経ち、俺はこうやってバイトをしながら新しい人生について模索している。
色々知り合いもできて、結構楽しいこともあり、収入はだいぶ減ったが悪くないなと思っていた。
「そうかあ、いつか会えるといいね。お、お客さんだ。レジをお願いね」
「はい、いらっしゃいませ…え?」
俺は慌ててレジに入り、そして目を疑った。
そこに、私服だったが紛れもなく彼がいた。あれからだいぶ痩せたようで、ほっそりした体躯がブカブカの服の中で浮いている。
彼はコンビニ弁当とドリンクを無言で差し出し、俺は受け取って次に何を言おうか思いを巡らせたが、今は言うべき時ではないと判断した。
もっと彼と親しくなることができたら色々と伝えるのだ。だから俺はこう言った。
「いらっしゃいませ、お弁当温めますか?」
#ノート小説部3日執筆 お題「ヒーロー」 それはヒーローのように BL 年下×年上
日曜日の朝、子供が見る特撮番組をぼんやりと寝起きの頭で見る。
チープなCGに、意外と凝っている衣装、悪役のおどろどろしかったり、コミカルなデザイン。顔立ちの整った若い俳優のまだ初々しい演技。ヒーローらしいコスチュームを身を纏い、視界が悪いだろうフルフェイスマスクで派手にアクションを決めるヒーローたち。
ぼーっとしながらもその三十分という短い時間の中で描写される意外と濃厚な人間ドラマと、子供向けとは思えない深いテーマ、子供にはきっと繋がりの分からないだろうギミックの数々。それらが織りなすストーリーに内心感服する。
ごそごそと起き上がり、無精髭の生えた顎を軽く掻く。ベッド傍にあるローテーブルの上にある煙草の箱を手に取り、中から一本取り出すとベッドの上、壁にもたれかかった。
そして煙草に火をつけて燻らせながら、その小さなテレビの画面越しにヒーローを見つめる。
子供の頃は自分もいつかこんな風にかっこよく人を助けるヒーローになりたい、なんて、今考えると馬鹿みたいな事を真剣に考えていた。
だけど現実は厳しくて、いつの間にかヒーローに夢を見る時間は終わり、親が望む『普通』になる為、勉強をしていい学校に入っていい会社に……と夢のかけらもない日々を送らなくちゃならなくなった。
そして結局その『普通の人』というレールさえも外れてしまって、今がある。
フーッと天井に向けて紫煙を吐き出す。
その白い煙は最初口から勢いよく出て、その内ゆらゆらと部屋の中に漂い、ベッドの正面にあるテレビ画面を薄い白で煙らせる。
テレビの中ではヒーローがかっこよく名乗りを上げて、異形の怪人に戦いを挑んでいた。
昔から変わらないヒーローたちの名乗り。そして、子供にもわかりやすい勧善懲悪。
最も怪人がする悪事は現実を生きる俺達からすると、ちゃちくて、可愛げのある、取り返しのつくものばかり。なんならあまりのちっちゃさに笑いが込み上げてくる。この怪人がする悪事よりも、悪い事を覚えだした中学生の方が性質の悪い悪事をする現実。
悪意も悪事も現実よりも薄く、薄く、薄められて、毒々しい筈の猛毒が子供にも飲める甘いジュースになっている。
そんな夢の中の世界だからこそ、存在できるヒーロー。
煙草を燻らしながらぼんやりとテレビを見て、その空想の世界に意識のいくらかが吸い込まれていく。
怪人が一度やられ、お決まりの巨大化をし、そして敵に合わせた巨大ロボを操ってチープなジオラマの中で戦っている姿を見ながら、昔はこれを本物だと信じていたのだと思うと自分でも可笑しくてちょっと笑ってしまう。
それでも真剣にそのヒーローたちを応援したくなる熱さがそこにあり、感情移入してしまう善としての魅力がそこにはあった。
壁から背中を離し、ローテーブルの上にある灰皿を手に取ると膝の上に乗せて短くなった煙草の灰をそこへ落とす。そしてまた口に咥えるとゆっくりと燻らせた。
子供受けのいいコミカルな描写の合間に入るシリアスな展開や、ヒーローたちのほの暗い過去などが三十分の間にしっかり描かれていて、恐らく連続して見ていればその明るさの内側にある重い話やそれぞれがヒーローになるべくしてなったと分かるだろうストーリーに、演出と構成のうまさを感じて煙草を燻らしながら小さく唸る。
そしてエンディングまできっちりと見た後、思わず見入ってしまった事に舌打ちをしてかなり短くなってしまった煙草を灰皿に押し付けて揉み消す。
そのまままた背中を壁にもたれかけ、天井を見上げた。
「あ~~……」
喉の奥から声を出す。その呻き声のような、嘆きの様な声に自虐的に笑う。
そんな時、玄関ドアの開く音がして人が入って来た気配がした。
「あ、起きてたんだ。意外と早起きだね」
手にコンビニの袋を下げてキャップを目深にかぶり、マスクをした男がひとり部屋に入ってくると、その袋をテーブルの上に置きジャケットを脱いでクローゼットの中にかけながら俺にそう言葉をかけてくる。
その馴れ馴れしさとまるで自分の家の様にふるまう男に小さく息を吐く。
特に何も答えない俺に、男は微笑んで視線をテレビへと向ける。そして戦隊ヒーロー番組の後に放送しているアニメを見て、あ、という顔をした。
「……このアニメの前にやってる特撮、見た?」
「……別に」
男の言葉に視線を逸らし、また短く答えると男は嬉しそうな表情をして隣に座り、被っている帽子を取り、つけていたマスクを外した。
そこにはさっきまでテレビの中で悪である怪人に対して名乗りを上げ、正義を貫いていた赤いコスチュームを着ていた男と寸分たがわぬ顔立ちがあり、眉根を寄せる。
昨夜、たまたまバーで出会って一晩過ごした相手が戦隊もののヒーローだった、なんてなんの冗談だ、と思う。
お互い名前さえも知らなかったはずなのに、今は一方的にこっちはコイツを知っている。
「玉川|一之《いちの》、くん。なんで帰らなかったんだ?」
先程の番組でオープニングの時に流れていた名前を思い出しながらそう問えば、男はその整った顔ににこりとこれまたとびきりの笑顔を浮かべる。
「あなたと離れ難かったから。――脚本家の佐々部先生」
悪びれる風もなく笑いながらそう言う玉川に俺は思い切り顔を顰めた。
「……俺、自分の素性君に話した?」
「全然。でも僕は知ってる。昔一度、テレビ番組に出てたよね?」
玉川の言葉に俺は驚いて目を瞬かせ、十数年前に一度だけ出演したトーク番組の事を思い出す。脚本家として駆け出しだった俺が師匠と呼んでいた脚本家の先生の強い要望で出演した番組。メインはあくまでも師匠で、俺はただの引き立て役だった。そんな昔の一度だけ出演した事を、何故……。
「凄く印象的で。あなたがキラキラと輝く瞳で、ヒーローの脚本を書くのが夢だって言ってて……。いつかあなたの脚本でヒーローを演じたいって思ったんだ」
その時、その瞬間、あなたが僕の|ヒーロー《憧れ》になったんだ。そう俺の脳内の疑問へ答える様に続けて俺の耳に囁く。彼の吐く息が耳へかかるくすぐったさに首を竦めた後、あぁ、それで昨夜突然バーで声をかけてきたのか、と合点がいった。
「……なら幻滅したろ」
視線を玉川から逸らしながらそう言えば彼はテレビの中と全く変わらない純粋で、真っ直ぐな輝いている笑顔を俺に向ける。それはあまりにも眩しすぎる笑顔。
「まさか。僕と同じだってわかって逆に嬉しかった」
「同じ? 俺は落ちぶれた脚本家。君はこれから輝いていく|俳優《ヒーロー》だろ? 全然違う」
自嘲し、卑屈さに口の端を吊り上げながら言う俺に彼はまた眩しすぎる位の笑みを俺に向ける。
「先生だってまた輝くんでしょ」
そして部屋の端に置いてあるパソコンテーブルをその綺麗な指で指差す。その上には次回コンペに提出用の書きかけの脚本が画面に映し出されたパソコン。
「……輝く、か。そりゃ難しいかもな」
もう一度自嘲気味に笑って見せ、師匠の寵愛と期待を悉く踏みにじってしまった過去を思う。
「大丈夫だよ。僕がついてる」
無精ひげの生えている頬を、まるで愛しい人間に触れる様に玉川は触れ、そう囁いた。
それはまるでテレビ画面の向こうのヒーローのように。
#ノート小説部3日執筆 『次のヒーローは誰だ?』
『次のヒーローは、キミだ!』
最終回の、お決まりのセリフ。お決まりの、次回予告で次のヒーローの話をする流れ。次のモチーフはなんだろ、楽しみだな。
もう高校生なのに、ずっとこういうの見てる。子供っぽいって笑われるんだろうな。でも、好きなんだもの。仕方ない。
あーあ、転校先でも笑われたら嫌だな。
それはそれとして、新しい学生証、メタルなカードでかっこいいな。
……登校初日。もう放課後。
問題は何も無かった。うん、何もなかった。友達になれそうな子も、入れそうな部活も、無さそうだ。
いや、前の学校でもそうだったから。慣れているから大丈夫。やっぱり、オタクの陰キャには難しいんだよ。こういうの。
仕方ないから図書室で暇を潰して、部活動の子たちが帰るタイミングで、紛れて帰ろう。うん、いつものムーブだ。で、図書室はどこだ?
「キミ」
廊下で呼び止められた。周りに誰もいないから、明らかに私に宛てられている。
振り向くと、黒セーラーの女の子が立ってた。そういえばこの学校『“制服でさえあれば”自由』って書いてあったな。そういう子もいるかぁ。
「キミの物だろう」
渡されたのは、……なんだこれ。初めて見たなこれ。デカい腕時計みたいな、やたらメカメカしいもの。それこそ、変身アイテムみたいな。
「えっと、違いま――」
ちょっと手元を見たうちに、黒セーラーの子はいなくなっていた。どうして。何者なんだあの子。
貰ってしまったこの腕時計、どうしたものか。職員室に落とし物として保管してもらおうかな。
と思って、軽く迷子になりながら渡り廊下を歩いていると。
……校庭から爆発音がした。外に面したガラスにヒビが入って、バリバリ音を立てて崩れていく。
とっさに伏せたから、ケガは無い。
一体なにごと?
下を覗くと、なんかよく分からん怪物が暴れている。なんで!?ここテレビの中じゃないのに!?
「そうだ、伝え忘れた」
振り向くと、さっきの黒セーラーの子が立っていた。さっきまで人気(ひとけ)なんてなかったのに。妖怪かなにか?
「ソレの使い方だ。入学時に教えられるのでな。キミはまだ知らないだろう」
「ソレって、この腕時計のこと?」
聞いてるのか聞いてないのか、黒い子は話を続ける。
「学生証だ。読み込ませれば、然るべき武装が構成される。キミはそれを纏い、動けばいい」
それって、つまり。
「変身するのは、キミの夢ではないのか?」
黒い子が指差す先は、私のスマホだ。さっき伏せた時に落としたみたい。
カバーは、ついこの前終わったヒーローの絵だ。ネットのお友達に頼み込んで、作ってもらったやつ。
「次のヒーローは、誰だ?」
黒い子が訊いてきた。答えるべき言葉は分かる。それを言っていいの?私、ホントにやっていいの?
「案ずるな。キミは選ばれた者なのだから」
根拠がなさすぎる。怖いし。あの怪物、校舎と同じくらいデカいんだけど。
でもそれ以上に、好奇心とか、ポジティブな感情が湧いている。夢を叶えられるからとか、そういうのじゃない。もっと重たくて、もっと熱くて、なんかすごいやつ!
「次のヒーローは……、私だ!」
黒い子が微笑むのが見えた。
デカい腕時計を装着して、横のボタンを押す。表記が変わって、電光掲示板みたいな文字が表示される。
『Are YOU Ready?』
時計に学生証をスキャンする。あとは、昔からひっそり考えてた、変身ポーズで。
「変身ッ!」
文字盤を一周回す。時計から赤い閃光が走って、身体に纏わりつく。
あっという間に、それは装甲に、武器に、ヘルメットになって、私を覆い尽くす。
『Protocol:TRANSFORM SUCCESS!』
目を開ければ、ヘルメットでちょっと狭くなった視界。
でも、倒すべき敵は明確に見える!
「スリーカウントで始末する!」
さすがに『何も怖くない』わけじゃないけど、なんかすっごく、楽しい気分!
――
お〜。転校生ちゃん、やっぱ才能あるねぇ。初めてなのにあんなに戦える子は最高だよ。お上さんに無理言ってよかったねぇ。
「うむ。戦友は多いに越したことはない。一般人間どもに紛れこませるには、余りありすぎる能力だ」
ホント、町ナカで見つけたときはびっくりしちゃった。一般人と同じ生き様なんて、もったいないよ。
それで、どーするの百華(ももか)ちゃん?あんなにヒント出しちゃったら、後々怪しまれちゃうよ。
「その時はその時だ。美影(みかげ)も分かるだろう。いずれ会うその期が、かなり早まったというだけだ」
そう?まあ、いいけどね。ボクも、会うの楽しみだな。ネットで見るより元気そうな子だし。あと、思ったよりオタクで安心しちゃった。
あ、そうだそうだ。
読者さんも、よかったら応援してあげてね。ヒーローは応援あってこそなんだから。
大遅刻、申し訳ありません!【#ノート小説部3日執筆 】「鈴虫が、鳴いている」(お題:鈴虫)
***
玄関の薄暗がりに、お前がいた。
「りー、りー、りー」
お前は幼く薄い唇を震わせて、そう言っている。建てられたときからどこか古びていたこの家の、段板のみが渡されたデザインの階段。その前に座って、階段下の空間を見つめて。
お前の視線の向かう先からは、リーンリーンリーンと、虫の音が響いている。この家でいちばん涼しい階段下に、鈴虫を入れた虫かごがあるからだ。
鈴虫は、町外れの定期市で買ったものだ。外から見ると廃工場にしか見えないスレート屋根の下、「7」のつく日には、色鮮やかなトマトやにぶく光る茄子、まだ朝露をつけたきゅうり、ぬか漬けのまま持ち込まれた漬物がところ狭しと並ぶのだ。夏も終わりになると、そこに鈴虫が加わる。プラスチックの虫かごに入れられた鈴虫たちは、市場の暗さを夜と勘違いするのか、「リーンリーン」と鳴き声を響かせる。
リーンリーンリーン。
虫の音が聞こえる。庭か? いや、階段下か。
リーンリーンリーン。
そうだ。わたしはもう階段の前にいる。そして、お前。目の前に、お前がいる。お前はじいっと座って、虫の音に耳を傾けている。
お前は膝をきゅっと抱えて座っている。汗ばむ額に柔らかい髪をはりつかせ、瞳に玄関の常夜灯の光を反射させ、真剣に。やがて薄い唇を開いて、「りー、りー、りー」と言うのだ。鳴き声を真似するでもなく、いっしょに鳴くのでもない、曖昧なそのトーン。
まだ幼いお前。うさぎが描かれたタンクトップを来て、おむつの丸みがわかるズボンを履いて、膝を抱えて。
そうだ。あのとき、わたしは思った。いつか遠い未来、お前が巣立ってふと思い出すのは、こんな光景だろうと。
リーンリーンリーン。
ああ、虫の音がする。切なく、狂おしく、翅をこすりあわせて鳴いている。
階段下か? そう考えて、いや、とわたしは否定する。何十年も前に、あの定期市は廃止されてしまった。鈴虫を買うことは、もうない。
第一、お前はもういない。いつの間にかおむつが取れ、子ども用の自転車に乗るようになり、制服を着て電車に乗るようになり、遠いところへ旅立って行った。お前は歩き続け、もうこの家に戻ることはない。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
だとしたら、この音は、どこから。
わたしは暗がりのなか、手探りで懐中電灯を探す。玄関の常夜灯など、とっくにつかなくなっている。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
音は近く、近く聞こえている。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
そうだ、庭か。わたしは庭へと回る。溢れるがらくたに、足を取られそうになりながら。
リーンリーンリーン。
リーンリーンリーン。
ああ。草が深い。でも、どこからか虫の音がする。どこに、どこにいる。わたしは草をかきわけて進む。どこ、どこ、どこ。
ここにはただ草があるだけで、目印がない。お前が小さい黄色の実をねだったキンカンの木も、花の色が変わることに驚いたあのあじさいも、どこにもない。
ああ。あの虫の音は、もっと遠く、遠く。ここではないどこかから響く。
リーン、リーン、リーン。
「りー、りー、りー」
その虫の音に、お前の声が重なって、わたしの口元には自然と笑みが浮かぶ。
「りー、りー、りー、りー、りー、りー」
わたしもお前の真似をして、口ずさんでみる。草が覆いかぶさり、わたしを吞み込もうとする。
「りー、りー、りー、りー、りー、りー」
わたしは草にあらがい、かきわけて進んでいく。やまない鈴虫の音を追いながら。お前の声を聞きながら、どこまでもどこまでも。
リーン、リーン、リーン。
遠く近く。鈴虫が、どこかで鳴いている。
#ノート小説部3日執筆 『鈴虫、電話と、なんやかんや』
りんりり、りりんり、りんりりり。
電話のベルと、風鈴の音。取るのが億劫で、そのままにしてる。
りんりり、りりんり、りんりりり。
鈴虫が呼んでいる。
そういえば、電気代まだ払ってないや。また空調止まるのかなぁ。最近寒くなってきて嫌なんだよなぁ。
りんりり、りりんり、りんりりり。
そういえば、鈴虫の声は電話じゃ伝わらないって聞いたなぁ。じゃあ、私の声も伝わらないのかな。だったら嫌だな。
寝て起きたら、鈴虫になってたんだ。グレゴール・ザムザかな?
合成半獣とかじゃなく、割とガチの虫になってるんだよね。
しかもなんか、サイズはそのままっぽい。体が重くてしょうがないや。
うーん。動くのはやっぱり難しいや。体重をかけると、またヒビが入っちゃう。
チンケな脚になっちゃったもんだ。つるすべのクセになんか毛深いし、とげとげで不気味。
でも、なんか、悪くないかも。
りんりり、りりんり、りんりりり。
うーん。電話が鳴りっぱなしだ。鈴虫も鳴きっぱなしだ。
私だって泣きたいな。もう喉がイカれてるから、声は出ないけどね。
りんりり、りりんり、りんりりり。
りんりり、りりんり、りんりりり……。
――
外から鈴虫の声が聞こえてくる。
この時期だと、そろそろ鳴くかどうかって具合。ご近所さんが大量に鈴虫を飼ってるから、10月になると必ずリンリン聞こえる。
そうだ。その鈴虫の華厳さん、最近見ないけど元気かな?
「ウチの家族から、おやつ、です。すずむし」
こはくちゃんが持ってきたおやつの包装には、和風の文字で『寿々むし』と書かれている。
びっくりしちゃった。「鈴虫」って言ってるとばかり。
中身は……なんだろ?
私は和菓子をあんまり知らないから分からない。なんかしゃりしゃりでホロホロになるやつ。お兄ちゃんが帰ってきたら聞こうかな。
ちょっと黒いつぶつぶが見える。バニラの豆みたいなやつかな?
「それには、ホンモノの鈴虫が入ってる。です。嘘ですけど」
秒速でネタバラシされたからいいものの、本気で信じそうになった。あぶないあぶない。
「鈴虫寺の和尚さん、持ちネタらしいです。これ」
面白い人なんだろうな。行ったことないから分からないや。
うん、食べると、やんわり甘い。和菓子ってこう、優しい甘さだから好き。
「ん、うま、です」
こはくちゃんも満足っぽい。
「ところで、です。電話の音が聞こえる気がする、です?」
言われてみれば。外の音やらテレビの音で気にならなかったけど、どこかで鳴ってる。
「お家のじゃありません。お兄ちゃんでも、かのんちゃんでもない、です」
だとすると、お外?ずっと鳴ってるなんて、そんなこと、ある?
「む〜、ご近所さん、です?こんなに長く、お電話取らないなんて、あります?」
居留守とか、そういうこともあるんじゃないかな。電話先が面倒くさいとか、よく聞くからね。……書くの難しい内容だな、これ。伝える方法が筆談しかないから、ちょっとツラい。
「むむ。それなら、毎日聞こえる、と思う、です」
それもそうか。
「れなちゃん!探しにいく、です!なんか、ほっとくとマズい気がする、です」
こういうとき、こはくちゃんは強い。
実際、ご近所トラブルがあったら嫌だもんね。
「こはくちゃんは、同じ階を探す、です。れなちゃんは、上から、お願いする、です」
了解の意を敬礼で表す。
上からって言っても、そんなに距離は離れてないはず。
まず真上の部屋に行こうかな。浮遊していけば早いもんね。
ノックしてもしもーし。華厳さーん。いますかー。
……まあ、私は声出せないから、ノックだけなんだけど。
――
りんりり、りりんり……?
ドアを叩く音がする。
やっぱ電話、出れば良かったかな。
この辺、治安悪いし。ギャングがどうとか、よく言われるし。
目をつけられるようなこと、した覚えはないけどなぁ。
うーん。ちょっと頑張って動こうかな。怖いし。
声出ないけど、なんとかなるでしょ。多分ノリで、なんとかなるでしょ。意思疎通は会話だけじゃないし。
あ、でも、なんか投げられるのだけはカンベンしてほしい。このデカさじゃ、避けるのはムリだよ。
グレゴール・ザムザもそれで死んでるわけだし
りんりり、コンコン、りりコンコン。
はーい、はーい。
そんなにノックしないでー。鈴虫がびっくりしちゃうよー。
#ノート小説部3日執筆 キャンプ飯が食べたいのじゃね/お題「鈴虫」
最近、めっきり虫の声を聞かなくなった。
一向に秋が訪れないなと愚痴をこぼしあっていると
ではキャンプにでも行こうや、と話がまとまってしまった。
「町に住む化け狸がキャンプってなぁ、里帰りと変わらないでねぇかい……」
「いやいや、知らない田舎なら観光地よ。現代らしく切り替えていこ!!」
「どうせだから、ドンと行きましょう。どうせ実入りはいいんだし」
なんだか、丸め込まれた気分でしょうがないが、
前日、床に就いたあたりから、どうにも楽しみで眠れない。
当日、狸付き合いだから仕方ないと繰り返しながらも、
めかし込んだ変化をして、集まってみれば、皆々随分と気合が入っている。
「なんだかんだ、やる気出してんじゃん……」
「私は初めから、やる気しかなかったけどね!!」
「あんさんたち、みんなファンデで目のクマ隠しててウケる。今夜は温泉取ってるから、まったり行きましょう」
そうして、変化するのも疲れるからから――と、
上毛の国の山奥まで電車なんかを乗り継いで、たどり着いた温泉は、外を歩くにも長袖が丁度いいくらいの気候で心地がいい。
「これって、螽斯? それとも鈴虫か……」
「なんだっていいじゃん。それより温泉まだ!?」
「公衆の面前で変化溶けてもあれなんで、内湯ですよ内湯」
まぁ、何でもいいか――
と、温泉に浸かり、ほかほかのままその日は変化したままに就寝。
翌日、旅館で朝食を頂いたころには、
変化するのも煩わしいほど気は抜けて、舌はもうキャンプ飯が恋しい舌になっていた。
「イケメンに変化するの飽きた……」
「美少女に変化するの飽きた!!」
「じゃあ、道中まで交代でセダンにでも変わってください。道具レンタルのキャンプ場ですが、飯は買いださないとないんで」
そらそうか、でもイケメンよりはマシということで
交代でトヨタのカローラにでも化けて、更なる山奥へと大移動。
辿り着いたキャンプ場は、湖も近いいい場所で、
シーズンから外した平日を選んだおかげで人もいない好立地。
さっさと天幕を張ったあたりで、変化を解いて
起こした火を囲み、さっそくキャンプ飯などしゃれ込んだ。
「やっぱ狸の姿は安心するぜ……」
「で、結局何買ってきたの?」
「色々買ってきましたぜ。文字通り色々――」
クーラーボックスの中には、本当に大量の食材がぎっしり。
まぁ、腹減った大狸三匹いれば、食べきれることだろう。
そう思いながら、黙々と椅子に腰かけて火の番を続けつつ
前菜にソーセージを頂く。
大きめのソーセージを釜茹でにしてから、グリルで焼いてかじりつく。
すると、プリっと皮がはじけて、肉の旨味がこれでもかと口に広がる。
前日、旅館の上品な飯を食べていたから濃い肉味がうれしい。
途中、マスタードをつけて味変しつつ、ボリボリと齧るとまた美味い。
「野外で食べるソーセージはうまいな……」
「下手に何も捻らない感じ、刺身に似たり!!」
「まぁ、夜も長いです。メインのカレーとアヒージョまで、ぼちぼち行きましょ――って、あらら、やっちまった」
「そんな声出して、どうしたね……」
「買い出し担当、怒らないからお姉さんにみせなさい!!」
「それがカレールー買ったと思ったら、ビーフシチューだったんです。面目ねぇや」
まぁ、そのくらいなら問題ねぇと笑い飛ばし――
ライスは明日の朝食に回す。
ニンジンとジャガイモを大切りしてバターで炒めて
ブロッコリーは、半分切り分けて、軽く洗う。
牛肉はそのままちょっと焼いてから――
みんな合わせて煮込めば善哉な具合になるだろう。
アヒージョの具材に玉ねぎを追加し、
ブロッコリーとニンニクとオイルサーディンとワタを取ったエビ共を、
トウガラシとオリーブオイルを追加して小鍋でじっくり煮込んでいく。
「我ながら悪くない……」
「もう煮えた? 食べていい?」
「なんだかんだ、望んだ形になったみたいでよござんす」
かくして、化け狸一同は、日も落ち月が照る中で、
虫の声の合唱を聞きながら、赤ワインを開けて宴会としゃれ込んだ。
まずは食前にワインを一口。
タンニンの渋さを感じつつ、舌が洋食の舌に変わるを感じる。
そうしたら、目いっぱいバゲットをトーストしながら、
煮えたアヒージョの小鍋と、ビーフシチューの鍋を3人で囲む。
喰い方はこうだ。
まずはビーフシチューを一口。
デミグラスソースに、ニンジンとジャガイモの味わいと肉味が溶け込んだ。
唯一無二の優しいコクとほんのりと苦みのある味わいを、口いっぱい感じる。
牛肉は、カレー用のモモ肉を肉汁を閉じ込めながらしっかりと煮込んだもの。
口に入れた瞬間、繊維が解けて、しっかりと肉の旨味が感じられる逸品。
ジャガイモは、多少ホクホクを残し、口に入れたらほろほろととろけるもの。
ニンジンは、バターで下処理してしっかりと甘いもの。
何よりもビーフシチューはブロッコリーの食感が嬉しい。
デミグラスソースをしっかりと吸った柔らかい食感がたまらない。
「もう飯の事しか考えられん……」
「ハッキリ言ってめっちゃうまい!!」
「こりゃ、美味しいや、キャンプ飯にシチューもよきですね」
「まぁ、これは序の口よ、パンをはさみながらアヒージョも喰いな」
そう、今日のキャンプは煮込み料理は一品ではない。
小鍋に、油にどっしり旨味が移ったアヒージョがある。
こいつをビーフシチューの合間に頂くのが格別なのだ。
遠慮なくオイルサーディンを、バゲットですくいながら一口。
舌に触れた瞬間、旨味で脳がスパークする。
ほんのり辛味の移ったオイルサーディンの味わいがこれほどとは。
しっかりと、煮込まれた柔らかいエビ特有の旨味がそうさせるのか。
いや、油が、それを吸ったバゲットが美味いのか。
ほくほくととろけるニンニクを、人目をはばからず齧った末に――
油をしっかり吸ったブロッコリーを齧ると、ビーフシチューとはまた違う、油の味わいが口いっぱいに広がるのが狂おしくたまらない。
牛肉の甘みとワインのコクと、魚介と玉ねぎの旨味。
また別の味わいが舌に馴染んだ頃に――
次は、またビーフシチューをバゲットと共に頂く。
舌に魚の油の味わいが残っているところに、ほろほろに煮込まれた牛肉を炭水化物と共に頂く瞬間が――本当に、たまらない。
食べるたびに腹が減り、バケットを取る手が手が止まらなくなる。
「それにしても、結局虫の音よりも食い気になってしまった……」
「秋が来ないことを嘆いて、飽きがこないことを喜ぶとは、これいかに!!」
「まぁまぁ、それもよござんす。今日のことを思い出すころには、きっと鈴虫共も鳴くことを思い出すにちがいない」
そうして、結局バケットを食いつくして早々とカップ麺へとお湯を注ぐ。
余ったアヒージョの油を入れたら美味しいだろうなと思いながら、
焚火を囲み、夜が更けていくのを楽しむことが、現代の妖怪の秋の息抜きなのだと我ながら思った。
#ノート小説部3日執筆 「地獄の沙汰もなんとやら サンマ編」
ここは地獄の一角、弐拾伍(25)番街。江戸めいた古風な町並みが広がる、繁華街の一つ。
振り売りの一人七逆(ななさか)誠は、その手に担いだ品ではなく、油を売って回っていた。
今日の誠が担いでいるのは、秋の味覚でおなじみ、サンマだ。脂がよく乗った、ちょうど美味そうなサンマを、ぶら下げるだけぶら下げて、街を歩くだけ歩いている。
「おい、誠っちゃん!そのサンマ売ってくんな!言い値で買うぜ!」
「悪ぃねオッサン!ナンボ積まれても売らねぇぜ!」
そんな感じの会話を何度も繰り返しながら、練り歩くだけ練り歩き回っている。
誠は、街で一番のクソガキである。おおかた、メシに飢えた地獄の衆に、お供えされたサンマを見せびらかしたいだけだろう。
街の者はだいたいみんなそう思った。そして、ついでにサンマが食いたくなった。
そんな感じで、うろつくだけうろつき回った誠は、ある店に立ち寄った。本来は甘味処だが、だいたい誠のせいで甘味以外を売っている店だ。
「おじさーん、遊びに来たぜー」
声を掛けると、奥からいそいそと店主の青年が出てきた。“おじさん”と呼ぶには憚られる見た目だ。享年若いと、だいたいこうなる。
「誠くん?どうしたんだい。まだお昼には早いだろう?」
青年はそう言いながら、内装の手入れを始めた。
昼には早いとはいえ、そろそろ仕事人たちの休憩時間になる頃合いだ。
「早いから言いに来たの。今日は忙しくなるぜ〜」
店の暖簾を勝手に掛けながら、誠はウキウキで言った。
この青年は、このクソガキをまともに相手取れる、数少ない大人の一人だ。生前からの付き合いなだけだが、それで十分の関係性がある。単に、誠が信頼している大人が少ないだけでもある。
「それで、“忙しくなる”というのは?まさか、そのサンマを見せびらかして『ウチに来れば食べれるぞ』と吹聴したんじゃないだろうね?」
「ウェ!?ヤダナー、そんなこと“言ってない”よ!」
「……やれやれ。言ってないが、やってはきたのか」
「うぐぐ……、はい」
朝の活気はどこへやら、あからさまに萎縮している。
「ほら、他の店でもサンマ焼いてたりするでしょ?お客さんも分散するから、大丈夫だって。たぶん……、知らないけど……」
悪ガキながら頭が回る。『一応ちゃんと考えてます』アピールだ。実際はお察しではある。
「それは無いかな。他のめし処は秋サバのシーズンだ。業者さんもほとんどサバ、ちょっと鮭やイナダがあるくらいだ。秋刀魚の扱いが少ないことくらい、調査済だよ」
さすがに大人のほうが上手(うわて)である。食に関わる情報は、しっかり収集しているらしい。
悪ガキの口八丁をいなしながら、青年は調理場の用意を始めた。いつの間にか食材は揃っている。
「まあ、いいさ。今日の日替わりは秋刀魚定食にしようね」
「わーい!サンマすき」
「キミも手伝うんだよ誠くん。さすがに一人じゃ回らないからね」
「はーい!」
誠は、いつもの気だるげな声とは違い、非常に元気良く答えた。本来はそれが年相応(享年7歳)なのだが。
――――
「ランチタイム……、昼の食堂はおしまいです。ごめんなさいね」
「そんなぁ、さんま食べたかったのに〜」
駆け込みでやってきた客をなんとか追い払い、青年は入口の掛け看板をひっくり返して『準備中』にした。
「さて、計算はどうかな?」
青年は、接客と会計を任せていた悪ガキに声をかけた。
「うん、お代のちょろまかしも無銭飲食も無し。収支は上々って感じかな?」
誠がやる気を出してくれたのもあり、昼は平和に大盛況で終わった。
報告を聞き届けた青年は、顔に安堵を浮かべながら、もう一度台所に立った。
「さて、働いてくれたお礼だ。まかないを作ってあげようね」
「やったー!おじさんの料理だいすき」
青年は「最初からそれが目的なのだろう?」と言いたくなったが、口には出さなかった。言うだけ野暮というやつだ。
余ったサンマをまずは三枚におろし、それを半分に切る。
塩コショウと料理酒で下味をつけ、小麦粉をまぶし、卵液に浸す。
あとはそれらをフライパンで焼いて。
「はい、秋刀魚のピッカータ。めしあがれ」
長方形の平皿には似つかわしくない、洋風の料理がそこにはあった。
「いただきまーす!」
誠は目を輝かせ、箸を引っ掴んだ。ナイフやフォークなどの洋風食器は、少なくともこの街には無い。
「お味はどうかな?」
「おいしい!うん、えっと……、なんかすごいおいしい!さすがシェフ留里だ!」
誠の口はよく回るが、こういう時の語彙は少ない。
ただ、口が回らないということは、余計なフィルタを介さず話していることだと、青年は理解している。
「ふふ、ありがとう」
シェフと呼ばれた青年はそれを見ながら、食器の片付けを始めた。
「さて、そろそろパティスリー……、甘味処の準備をしないとね」
食器の片付けを終わらせた青年は、いつの間にか用意した果物を切り始めた。
「お手伝い、してくれるかな?」
「うん!やるやる!」
料理を平らげ、すっかり上機嫌な誠は、手伝いの内容を聞く前からやる気に満ちている。
「じゃあ、外の座席に傘を立ててきてくれるかな」
「はーい!」
返事と威勢と、彼にしては珍しく聞き分けも良く、誠は外に飛び出していった。
――――余談。
「……あれ?にぃに、冷蔵庫のサンマ全部食べたの?」
そんなはずないだろう。チルド室の開閉が困難になるほどの量だったはずだ。
言われて確認すると、たしかに、あれだけあったはずのサンマがごっそり無くなっている。
数日前、買い物帰りに魚屋の前を通り掛かったとき、なぜか大量に押し付けられたものだ。
「う〜ん、別にいいけどね。腐らせるよりはるかにマシでしょ」
肯定する。あの量が腐敗したら、もったいないことこの上ない。
そういえば、少し前に支援者(パトロン)さんの息子くんがこっちまで来ていたことがあった。
おおかた、その時に持っていって、地獄のお友達に分けてあげたのだろう。
「にぃに、心当たりある?」
……妹に説明しても仕方ないか。この子は、死後の世界とか信じていないみたいだから。
黙っておこう。代わりに、支援者さんがもらっていってくれたとでも誤魔化すか。
サンマのために実家から引きずってきた七輪の出番は、もう少し後になりそうだ。お正月になったら、お餅でも焼こうかな。 [参照]
#ノート小説部3日執筆 お題「秋刀魚」 タイトル「秋空の下の儀式」
七輪の上でじゅうじゅうとその身に詰まった脂が焼け、香ばしい匂いが煙と共に辺りに広がっている。パタパタと手にしているうちわで七輪の中に空気を送り火力を強め、その香ばしい煙を更に立ち昇らせた。
「そんな焼いたら焦げるよ」
「おばあちゃん」
背中から少しだけ呆れた様な声がかかり、扇いでいたうちわの手を止め振り返る。
小柄で背中の曲がったおばあちゃんがその手に大きな盆を持ち、眼鏡の向こうにある小さな目を声同様呆れた様に細めていた。
「だってこの匂い好きなんだもん」
「分かるけど、焦げるよ」
おばあちゃんの言葉に軽く唇を尖らせてもう一度うちわで七輪を扇ぎ、香ばしい匂いを空気中に広げひくひくと鼻を動かせてその匂いを嗅ぐ。
秋刀魚の皮が焼けしたたり落ちる脂の甘く焦げる匂いとその内臓へ火が通った少し苦みのある匂い。
秋特有の高い空の下で、庭に七輪を出して秋刀魚を焼く。
そして二人で縁側に並んでそれを山盛りの大根おろしと、しょうゆで食べるのだ。
……わたしはちょっぴり大根おろしとしょうゆ、苦手なんだけど。でもおばあちゃんはそれがおいしいというから、同じようにして食べる。
「ほら、食べ頃よ」
おばあちゃんはそう言うと焼けた秋刀魚を一匹細長いお皿に乗せて、縁側のお盆の上に置いた。これはわたしの分。
そしてもう1枚のお皿にも同じように秋刀魚を乗せる。おばあちゃんの分だ。
さらにもう一匹をもう1枚のお皿の上に乗せて、おばあちゃんはそのお皿を持ったまままた部屋の中へと戻った。
おばあちゃんの小さな足がさすさすと畳の上をすべるように歩く音が聞こえて、次に秋刀魚の乗った皿をどこかにコトリと置く音。そしてチーンと涼やかな鈴の様な、なにか金属を叩く音が聞こえて、ふわりと秋刀魚の煙の臭いにお線香の匂いが混ざって秋の空へと吸い込まれていく。
そのおばあちゃんの儀式にわたしは縁側に大人しく腰掛けて、秋刀魚の香ばしい匂いとお線香の匂いが空気の中に溶け込んでいくのを鼻をひくつかせて待つ。
これはおばあちゃんだけの特別な儀式だから、わたしは参加しない。
ただ終わるのを待つだけだ。
縁側に腰掛けて、美味しそうな秋刀魚を横目にぷらぷらと足を揺らす。
暫くするとまたさすさすと畳の上をすべるように歩く音が背後に聞こえて、隣におばあちゃんが座った。
「おばあちゃん」
さっきまで焚いていた線香の匂いがおばあちゃんの体から強く漂ってくる。
「さぁさぁ待たせたわね。食べましょう」
わたしが笑顔を向けるとおばあちゃんはそう言って箸を取りわたしに渡してくれる。それを受け取って、程よく冷えた秋刀魚が乗っているお皿を膝の上に乗せる。焼きたてあつあつの秋刀魚だとわたしは食べられないから、これくらい冷えている方が嬉しい。
そして箸で秋刀魚の身をほぐして少しずつ口に運ぶ。
わたしは箸を使うのがとても苦手だった。身をほぐせても口に運ぶのが難しい。
それでもなんとか箸に乗せた身を口に運べば、口の中で秋刀魚の脂が溶けて、内臓部分のほろ苦さと脂の甘さに喉を鳴らして目を細める。
そんなわたしをおばあちゃんも目を細めて見てから自分も秋刀魚の乗ったお皿を膝に乗せて、わたしと違ってとてもきれいな仕草で秋刀魚の身をほぐすと口に運んだ。
おばあちゃんは箸の使い方がとても上手だ。
「……おいしいねぇ」
もぐもぐと口を動かして秋刀魚を噛んで飲み込んだ後、おばあちゃんは幸せそうに微笑んでそう呟く。
その言葉に頷きながら、上手く使えない箸に悪戦苦闘しながら美味しい秋刀魚をおばあちゃんとは対照的にぼろぼろと零しながら口に運び続ける。
いっそ両手を使ってがぶりとその身と骨に頭からかぶりつきたかった。
でもこうしないとおばあちゃんが悲しむからわたしは一生懸命箸を使って秋刀魚を食べる。山盛りに乗せられた大根おろしとそこに垂らしたしょうゆがぴりりと舌を刺して、やっぱりちょっと苦手だなと思いつつ、それでもおばあちゃんがおいしそうに食べているのを真似てわたしもおいしいと思ってそれを食べた。
「もうすっかり秋の空ね。いわし雲が出てる」
わたしより先に秋刀魚を食べ終わったおばあちゃんがお皿と一緒に持ってきた急須から湯呑にお茶を入れながらそれを啜り、満足そうな溜息と共に空を見上げる。
その視線につられてわたしも空を見上げ、うろこ状になっている雲を見ていわしもおいしそうだなぁと思う。
「今度はいわしをうめぼしと一緒に煮たのを食べてみる?」
「うめぼし?」
おばあちゃんの言葉に目を瞬き聞き返すと、おばあちゃんは微笑み「ちょっと待っててね」と言って立ち上がり、またさすさすと畳を歩く音が遠ざかり遠くの部屋に行ったみたいだった。
それを待つ間わたしはきょろきょろと辺りを見回し誰もいないことを確認すると、お皿の上でぐちゃぐちゃになっている秋刀魚に顔を近づけふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、その匂いに惹かれてぺろりと散らばっている身と骨を舐めとる。
大根おろしの汁と秋刀魚の脂で薄くなっているしょうゆの味と、秋刀魚の内臓のほろ苦い味が舌先に広がり、ひと舐めだけのつもりだったのに思わず夢中になってお皿を舐める。
「こら、お行儀悪いわよ」
そしておばあちゃんが帰って来たのにも気が付かず、お皿を舐めていれば突然そう呆れた様な声で怒られた。
「にゃっ!」
そのおばあちゃんの声に驚きびくっと体が竦み、慌ててお皿から顔を離すと縁側から飛び降りておばあちゃんの方を向く。その手には透明な器があって、その中に赤くて丸い玉が何個も入っていた。
あれが“うめぼし”なんだろうか。
「あらあらお耳と尻尾が出てるわよ」
驚いたわたしを見ておばあちゃんはくすくすと笑い、縁側へと腰かける。そのおばあちゃんの言葉に思わず頭とお尻に手をやるとぴょんこと耳と尻尾が飛び出ていて、とほほと思う。まだまだわたしは未熟だ。
2つに分かれている尻尾は自由になった事を喜ぶようにふわりふわりと持ち上がって揺れていた。
「ほら隣に座って」
そしておばあちゃんに促されて隣に腰掛けると、また優しく頭を撫でてくれる。わたしはこのしわしわであったかい手が大好きだった。
「あなたが来てくれてそろそろ5年ね。この日をこうして誰かと一緒に過ごせるのは寂しくならなくていいわ」
おばあちゃんに撫でられわたしの喉がごろごろと鳴る。そのまま心地よくてふにゃふにゃになっていき、その膝の上に頭を乗せた。
すりすりと頬をおばあちゃんの着ている着物越しに膝へ擦り付け、わたしは、にゃぁと鳴いた。
自分の体が弛緩した事で縮み、秋刀魚の脂と大根おろしの汁が染みついた手をぺろぺろと舐める。その手はもう人間の形をしていなくて、いつものわたしの黒い毛が生えている手だった。
「来年もまたこうして過ごしましょうね」
おばあちゃんの言葉にわたしはまたにゃあと鳴いて答え、お腹がいっぱいになったことでうとうととし始めた顔を庭とは逆に向ける。
視線の先のその部屋は人間の言葉で仏間、というらしい。
そしてその部屋にある黒と金色で出来た置物に、秋刀魚の乗った皿が置かれ、さっきまでわたしが変化していた子と同じ顔が板に入れられて飾られていた。
#ノート小説部3日執筆
「秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ」
そう嘯く曽祖父が亡くなった。彼はガラクタに埋もれて亡くなった。御歳九十八の大往生だった。
彼は俗に言う健康オタクであり、曾孫の私から見ても偏屈家であった。そのため、独自のルールを作り、それを遵守した。それ故の長寿であったのかもしれない。
曾祖父が私に遺してくれたモノは、冒頭のその文句だけだ。そのせいで、私は秋刀魚を見る度にその言葉を思い出すハメになった。
ある日のことである。会社の同僚が、
「この時期は秋刀魚の内臓を舐めながら日本酒をヤるともーたまらん」
と力説してきた。彼は身振り手振りで秋刀魚への正しい所作、付き合い方、そして感謝を伝えてきた。
「オレ、家訓で秋刀魚の内臓食えんのよ。キノコの茎も食えん。縛りが多いんよ」
同僚が目を丸くする。そして一拍置いて、笑い出した。そんな家訓聞いた事ないと。私もそうだ。というか、今どき家訓だなんて時代錯誤もいいところだ。
「――まぁお前ん家、変わってるもんな。でも秋刀魚の内臓、美味いから食ってみ? 今の時期はな、内臓脂肪がすごいんだ、秋刀魚は。今の時期はもう海水温度が下がってて、その寒〜い海を乗り切るために脂肪をつけまくるんだ。身を捌くと白い脂が包丁にベッタリつくぐらい。その脂肪は、身についてるんだが、当然内臓にも溜まる。フォアグラってあるだろ? アレが秋刀魚の内臓にも起こる。鮟鱇もそうだ、あれは肝が美味い。秋刀魚の内臓は苦いって思い込みがあるだろ。アレはな、子どもの頃の思い出のせいだ。子どもの頃は舌の味蕾が大人よりも発達していて苦みとか渋みに敏感なんだ。その頃のトラウマのせいだ。お前も大人だ、今はもう大人なんだ。絶対に美味い。秋の味覚を楽しめ!」
そう勢いよく背中を叩かれ、同僚は外回りに出かけてしまった。私はモニターに映る自分の顔と向き合い、そして、家訓とも向き合い――ついに家に背く覚悟を決めた。
私は仕事の帰りがけに秋刀魚を買うことにした。白い発泡スチロールに氷と共に浮かぶ彼らは、恨みがましく私を睨んでいる。何十もの目に見つめられている最中、何故か一際目立つ秋刀魚が居た。やけに艶っぽいというか、瞳に熱っぽさを感じた。
惚れられたな、と直感で理解した。私が秋刀魚を選んだんじゃない、彼女が私を選んだのだ。運命する感じる邂逅に、私はいそいそとトングで彼女を救い出した。
アパートに帰りつき、米が炊けるまで時間が掛かるからまず何より先に炊飯器をセットし、その後身支度を整えて余った時間をSNSのチェックに費やした。
そして、米が炊き上がる時間を逆算して秋刀魚を焼き始める。
ものの数分も経つとじくじく、と。焼ける身と吹き出る脂の匂いが部屋に充満した。これから起こる素晴らしい時間を約束するような、食前酒の役割すら担う素晴らしい薫りだった。
ついに米が炊き上がり、秋刀魚も焼けた。食卓にはそれに合わせ、赤だしの味噌汁と漬物も用意した。私は大根の絞り汁で味が薄まるのでそのまま醤油か塩で秋刀魚は食べたいので、今回は用意しなかった。
私は震える箸で秋刀魚の身を破る。頭から尾までを正中線に箸を突き立て走らせ、身を捌く。身がほぐれていくにつれて、異様な高揚感に包まれていく。
ただ内臓を食べるだけ。しかし人は、禁止されていた事を破ること、公序良俗に反する事を行う時、言いようのないスリルを感じるのだ。それが、私にとっては秋刀魚の内臓を食べることだった。それだけの事だ。
身を開き、現れた骨の頭部側を断ち切る。そして尾に向かってゆっくりと釣り上げていくと内臓が――
「――あれ?」
現れると思っていた内臓。しかし私の目に飛び込ん来たのは――レゴブロックだった。
何を言っているのか分からないが、レゴブロックとしか言いようがない。本来、内臓があるべき場所に、黄色い2×1の薄いレゴブロックが現れたのだ。
「え、飲み込んだ…?」
すぐに否定した。本来、黒い内臓があるべき場所が全て綺麗になくなっているのだ。誤飲とは思えないし、それなら胃か腸かのどこかに入っていて然るべきだ。
「イタズラ? そんな事わざわざする? 今のご時世に?」
些細な事で現代はネットで燃える。こんなバイトテロ案件な事、起きるだろうか。それも有り得ない。それよりも今はこの、レゴブロックの方が重要だ。
――秋刀魚のはらわたは魄の毒ぞ。
ふと、曾祖父の言葉を思い出した。
「――!?」
急に、ケータイが鳴る。異常な事態に直面していたせいか、身体が飛び上がってしまった。
弾む心臓を抑え、ケータイに出る。母からだった。
「もしもし?」
「どしたの? 何か声が震えてるけど。大丈夫?」
「いや、何も無いけど」
「そう……あのね、何か私、変な夢を見てね。あなたが秋刀魚の内臓を食べる夢を見たの。まぁあなたはおじいちゃんの言うことちゃんと聞く子だから大丈夫だろうと思うけど」
そんな内容であった。見透かされているような薄ら寒さ、後ろめたさから早々に電話を切った。
「………………」
再度、秋刀魚と向き合う。もはや湯気も立たず、ただ腹を裂かれた秋刀魚は異様な存在感を放っていた。
私は意を決してレゴブロックを箸で摘まむ。取り去ろうと力を込める――が。
「動かない……!?」
箸の力ではピクリとも動かない。上下左右、どちらにズラそうとしても微動だにしない。箸を置き、手掴みでレゴブロックを動かそうとする。万力を込め、上に引っ張る。ほどなくして、身体を仰け反るほどの勢いでレゴブロックが抜けた。
「――は?」
レゴブロックが抜けた跡には、何故か一円玉大の穴が開いた。虚空だ。明らかにレゴブロックとのサイズが合わない。何故穴と分かったかと言うと、その黒い丸から僅かに風と反響音が聴こえてくるからだ。
私は咄嗟に秋刀魚の頭を箸で擡げさせる。無論、皿には穴など開いていない。そうすると秋刀魚からは穴が消え、薄い身と皮が見えた。それを確認して皿に置き直すと、また穴が現れる。数度繰り返し、私は秋刀魚を皿へ戻した。
「……何が起きてる?」
私はただ、同僚の勧めのまま秋刀魚の内臓を食べようとしただけだ。いや、それ自体が問題だったのか。祖父の忠告を守らなかった事が、今の不可思議な事態を引き起こしているのか。
「……ぞ…………ず、そだ……して…………」
どこからか誰かが話している声が聞こえた。それは、秋刀魚の穴からだった。私は、耳を穴に近づけた。すると――
「――葷酒ば避け在家にある三帰五戒を遵守し優婆塞、優婆夷の守護したるふかみるのかみたる群れ、陀羅尼を授け我が能化にて一切の衆生を救わん。冥加にし甘んじる東岸に在りし者どもはいさなのおろしとなるらむ」
耳を離し。私は秋刀魚を見た。すると、彼女の目が動き、私を見つめた。私は目を反らし、皿を持って立ち上がる。
私は、二度と秋刀魚のはらわたを食べようとは思わない。秋刀魚のはらわたは魄の毒なのだ。私は窓を開け、庭先に秋刀魚を投げ捨てた。即座にキジトラが現れ、それを咥える。そしてキジトラは口を三日月のように歪ませ、私にこう言った。
「この庭は我らだけでいっぱいだ。コイツを置くには狭すぎる」
と。
#ノート小説部3日執筆 秋刀魚の塩焼きが食べたいのじゃね/お題「秋刀魚」
◎
深夜にグリルで秋刀魚を塩焼きにして食べる。
秋刀魚なんていつ以来だろう。
最近はめっきり手に取れるものではなくなってしまった。
帰宅が遅れて、こんな時間になってしまったが――
今日はもう秋刀魚を食べれないと眠れない。
まずは、米を早炊きしておく。
その間に、刀魚の表面に包丁を入れる。
丁寧に数本の切れ込みを入れて、塩をまぶしてしばらく置く。
待っている時間は、シャワーでも浴びてつぶすのが良い。
米が焚きあがるのに合わせて、風呂から上がる。
蒸らす時間で、秋刀魚をグリルに乗せる。
数分してひっくり返すとき、焼けた皮の香ばしい匂いが一層強く鼻腔を刺激する。
焼き上がりを待つ間、大根おろしを作る。
みずみずしい大根をおろし金でゆっくりとすり下ろす。
水を切って、小鉢に山盛りにしたところで秋刀魚が焼きあがる。
炊き立ての米をお茶碗に乗せて、秋刀魚を皿に上げる。
深夜に焼いた秋刀魚は、銀色の皮は焦げ目がついて黒ずみ所々に黄金色の油が滲み出ているもの。魚の形は少し反り返り、腹の部分が割れて中の白い身が顔を覗かせる姿にもう涎が止まらない。
箸を手に取り、まずは秋刀魚の頭の部分に近づける。
皮に箸が触れると、かすかに音を立てて、パリッとした食感が伝わってくる。
そっと持ち上げて、皮ごと身がほぐれそうなほどに柔らかく焼けているところを一口。
舌の上に広がるのは、よく焦げた皮の外側のパリパリとした食感。
次に訪れるのは、身の味わい――鯵のような旨味とも、鰊のような癖のある味わいでも、鯛のような脂とも違う、塩味が際立つ秋刀魚の味を楽しむ。
そうして、口の中を洗うように米をかき込む。
少し芯が残った米が、魚の脂と味わうとこれ以上ない滋味となる。
腹の部分に近づくにつれ、脂の甘みがより濃厚になっていく。
中骨の周りの身は特に味が濃く、一粒一粒の身を丁寧にほぐして味わう喜びがある。
味変に醤油をかけ、おろしを摘まむ。
さっぱりとした大根の風味が口の中をさっと洗い流し、醤油と脂の旨味に舌が喜ぶ。
最後に、カリカリに焼けた尾まで齧る。
歯ごたえがある香ばしい風味が口いっぱいに広がる。
茶碗に残った白いご飯をかき込み、米の甘さをいっぱいに味わう。
これでビールでもあれば最高だったのに――
明日もまた仕事に向かう事実にため息をつきながら、洗わなければならないグリルの存在を思い出す。
#ノート小説部3日執筆 お題『秋刀魚』
昭和レトロの雰囲気漂う大衆食堂。しかも、昨今のレトロブームに便乗した見せかけではない、創業八十年近くになる本物だ。齢八十近いお婆さんと、娘夫婦と思しき中年の男女が営むその食堂に、俺は昔からの友人と来ていた。
「……これで何日目だ?」
「五日目。あと二日、頑張ってくれ」
「お前が頑張りに来てるんだろ」
俺たちは配膳された焼き秋刀魚定食を前に、手を合わせた。流石に五日目ともなれば、目の前の定食にも奇妙な情というものが芽生えてくる。
湯気立ちこめる熱々の白飯と、鰹が香るわかめと豆腐の味噌汁。小鉢にはひじきと人参の煮物、そして旬を迎えた秋の味覚、秋刀魚。
友人は早速秋刀魚に手を伸ばし、解体の儀式に入っていた。
まずは上から箸で身を軽く押し、骨と身を離れやすくする。次に、頭から尾に掛けて、背骨に沿って一本切れ込みを入れる。そして背中側の身を、少しずつ取り外して食べていく。
俺もまた、一度味噌汁を啜ってから、友人と同じ動作で秋刀魚を口にする。
うん、やはり程良く脂が乗っていて旨い。
魚特有の脂の甘みを感じながら、ふわふわの米を掻き込む。思わずため息が漏れた。日本人に生まれて良かったと思う瞬間ベスト100には入る、至福の時だ。
「あっ、クソッ……」
俺と同じように秋刀魚を味わっていた友人は、悪態と共に、口内から小骨を何本も取り出していた。どうやら、また失敗したらしい。
個人的な見解だが、秋刀魚は蟹と並んで『食べるのが面倒だが、美味さで全てを許されている』食材だと思う。
その原因が、その身にびっしりと走る、無数の小骨たち。よく噛めば砕けるが、鰯や鰻より太く長いので、一口二口ならともかく、何度もやると面倒になる。となれば取り除く他無いのだが、取れやすい小骨を完璧に避けて身を食べきるとなると、必然身が散らばったり、除去している内に冷めて味が損なわれてしまう。骨を避けつつ、かつ美しく食べるには、普通の焼き魚以上に訓練が必要になる。
「クソッ……昨日はだいぶ完璧だったのに……」
「まぐれだったんだな」
俺はここ数日、まさにその『訓練』に付き合わされていた。
発端は、一週間前。友人がマッチングアプリで知り合った女性と食事の約束を取り付けた事だった。そこまでは良かったのだが、問題は、友人がその女性が育ちの良い人だと認識し、行き先に和食レストランを提案した事だった。そのうえそこは、焼き魚が美味いことで知られている店だ。
何しろ彼は、基本的に手先が不器用だ。当然箸の扱いも得意でなく、秋刀魚を綺麗に食べるなど到底望むべくもない。『魚の食べ方が汚いと次が無い』と思い、俺に特訓の申し出をしてきた。自分で言うのも何だが、俺は彼ほど不器用ではなく、魚が好きで日常的に食べているので、食べ方は綺麗な方だと思う。事実、表面の身を食べ尽くした秋刀魚の皿は、殆ど身が散っていない。
とはいえ、彼もこの五日間で慣れてはきているようだった。最初などカラスに食べ散らかされたような無残な姿だった秋刀魚だが、今日は身の欠片を端に纏めれば、辛うじて目立たずにいられる程度に収まっている。昨日はかなり上手くいったのだが、やはり簡単にはいかないようだ。
だが、彼の変化は食べ方だけにとどまらなかった。
「あれ、お前ワタ食えたっけ?」
「いや、食ってたらいけるようになった。というかここの秋刀魚、あんまり苦くない」
一日目に食べて苦い顔をし、端に避けたワタを涼しい顔で口にする友人。一応マナー上、ワタは残しても問題ないらしいが、やはり残さず食べた方が綺麗に見える。俺も大根おろしをお供に、ワタに手を伸ばす。もちろん、数滴醤油を垂らすのを忘れない。新鮮な秋刀魚のワタは苦みが抑えめで、内臓特有の風味がよりハッキリ感じられる。少しばかり残る臭みを大根おろしで打ち消せば、最早弱点などない。
「それにしても、お前さ」
「……ん?」
文字通り骨抜きとなった秋刀魚を完食したところで、友人が口を開いた。彼は残り半分といった調子の茶碗を置き、手を止めていた。
「俺が秋刀魚ばっか食ってるのは、練習のためだ。ぶっちゃけそろそろ味にも飽きてきたけど、練習だと思ってるから食えるわけで。けど、お前はあくまで俺に付き合ってるだけだ。指導にしたって、三日目からは各々一人で食ってるわけだから……お前まで秋刀魚ばっか食うことないだろ。なんでだ?」
この店は何も焼き魚しか置いていない訳ではない。普通の定食屋なので、当然生姜焼きなどの肉や野菜炒めの定食、カツ丼など各種どんぶりも提供している。一週間どころか二週間毎日通っても、メニューを制覇するには最低昼と夜の二食必要になる。
しかし、俺は友人と共に、五日間連続で焼き秋刀魚定食を頂いていた。
とはいえ、それはただ何を食べるか考えるのが面倒だからではない。俺には俺で、この友人に付き合うだけの理由があるのだ。
「あ~~実はさ、俺もお見合いするんだよね」
「えっ、マジで!?」
「あんまり乗り気はしないけど、下手を打ったらうちの親戚筋に迷惑が掛かるからな」
「……そういえばお前、実家太めだったわ……」
「本当に乗り気はしないんだけどな。結婚するつもりないし。孫の顔は兄貴の分で我慢してくれって感じだ」
「ええ~~俺は結婚したいけど」
「そうじゃなきゃマッチングアプリなんて入れないだろ」
「まあな。ともかく、お前も俺と同じって訳か」
俺は味噌汁の残りを飲み干した。友人もそれから、すぐに完食した。彼の皿に残った秋刀魚は、骨と幾分かの身の破片のみだった。どうやら、最初のあれ以降は綺麗に食べられたらしい。
「あと二日だ、頼むぜ」
「ああ、ここの秋刀魚なら飽きないしな」
なお、後日例の女性と会った友人だが――彼女の気が変わり、結局イタリアンになったらしい。どうにかナイフを極力使わない料理に手を付けることで事なきを得るのだが――それはまた別の話だ。
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