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#ノート小説部3日執筆 海鮮バーベキューがたべたいのじゃね/お題「海岸」 

古い友人との付き合いで、夕暮れの海でバーベキューをすることになった。
友人の車で乗り付けた海岸に吹き込む風は、潮の香りと共に自然の風が吹き込んできていた。

砂浜のない港の外れでは、石垣の上にバーベキューセットがしっかりと組み立てられ、
すでに香ばしい煙が立ち昇り、隣に広がるテーブルには、今日の主役たちが並んでいた。

透き通るような白さのエビ、ふっくらとしたホタテ。
なめらかな表面のイカ、そしてごつごつとした殻に守られたサザエ。
野菜も添えられていて、パプリカやズッキーニなど鮮やかな色彩が目を引く。

ビールを開けて、グラスに注ぐ音の中、炭火コンロに金網を置いて、炭をくべれば赤い炎が灯る。
ぱちっと小さな爆ぜる音を鳴らしながら揺らぐその熱が心地よくて、思わず目を細める。

今日はひたすら、バーベキューを食べるだけの日にしたい。
そう願うほど、今、脳内が空腹で支配されている。

火起こしを終えたグリルの上にエビを並べと、
白い殻が見る見るうちに赤くなり、プリプリとした身が、ぷっくりと丸いシルエットに膨らむ。

焼きあがったことを、皆に伝えて一口。
炭火で焼かれた香ばしい香りと共にぷりぷりした弾力が口に広がる。

塩気によって、エビ本来のしっかり甘みと旨味が際立ち、
肉汁がじわりと溶け出して包むシンプルな旨味が嬉しい。

次はホタテがいい。
大きな貝殻の中で控えているホタテを焼く。

じっくりと蓋を押し上げて、中にある貝柱にバターと醤油を投入する。
じゅわぁという音を立てつつ、貝殻の中からオレンジ色に輝く帆立が現れる。

焼き目がついた黄金色の表面を口に運ぶ。
溢れる芳ばしいバターの香りと醤油の香ばしさと、ジューシーなエキスの豊潤さ。

外側のカリッとした食感と、ぷりっとして食感。
口の中に残る繊維質の歯ごたえを感じつつしっとりとした食感のコントラストを楽しむ。

透明感があり、身が引き締まったイカはゲソと身に分けてグリルに並べて焼く。
わずかに音を立てて、すぐに身が縮み、ふたんわずかに赤みを帯びた色に変わっていく。

タレを塗り、こんがりと焼く。
軽く焦げ目を纏ったその姿からは、濃厚な焦がし醤油とみりんの匂いが立ち上っていく。

イカの身にほど良く焦げ目がついた頃、手で裂いて一口噛む。
しっかりと味の着いたイカからは、淡泊だが特有の旨味が感じられる。

何よりも部位によって、味が変わるのがいい。
ゲソの部分はコリコリとした歯ごたえが楽しい。

身はイカの甘みが凝縮され、噛めば噛むほど旨味が広がるもっちりとした食感。
力を入れるとプツンと心地よい弾力と旨味が感じられる。

念願のサザエは殻付きのまま網に乗せる。
焼けるにつれ、殻の中からグツグツと音が鳴る。

仕上げに醤油を入れると、鼻孔をくすぐる醤油の匂いが溜まらない。
軍手で手に取り爪楊枝でぐるっと手首を回すと。

とぐろを巻いたサザエの身がぐるんと出てくるから一口。
苦みの少ないオスのサザエはコリコリとした歯ごたえに苦みが少なく、甘く美味しく――

ああ、ビールが欲しいと思えるもの。
しかし、今日は帰りの運転をする約束なので、我慢しなければならない。

流石に、法律は守らねば――
背を引かれる思いで、焼きあがった野菜へと手を付ける。

まずは焼きナスから口に運ぶ。
炭火で火入れされた茄子は、パリッとした表面と内側のとろけるような味わいの対比がたまらない。
熱によって引き立てられた柔らかい茄子の旨味を味わったら、次はピーマンがいい。

熱が入ってなお、しゃきしゃきした食感。
そして、ピーマン特有の青々しい香りと味わいには、ほんのり苦みが効いている。

重厚な旨味と苦みの対比を味わったら、次は焼き玉葱が食べたい。
玉葱の甘さと、香ばしさと旨味を堪能できる焼き玉葱は外せない。

焼いた玉葱の特有の甘みは焦げの苦みすら押し流すもの。
咀嚼するたびに甘さがあふれ出し、辛味のアクセントが味を整える。

ならば、ズッキーニも欠かせない一品だ。
厚めの輪切りにしたズッキーニを網の上に置く。

次第にオリーブ色の皮が焦げだし、香ばしい匂いが立ち上り――
醤油を縫って焼き上げると、苦みもなく歯ごたえもあり焼き野菜にうってつけの味わいとなる。

それにしても、随分いろんなものを食べた気がする。
誰かが持ち込んだ線香花火を見ながら、最後にしいたけを焼いていく。

傘の部分に醤油を垂らし、火を入れる。
すると傘の部分がじわじわと縮んで、醤油を吸っていく。
それを見ているだけで、美味しさが伝わってくるよう。

焼きあがったしいたけを最後に頂く。
肉厚な見た目通り歯ごたえがあってで、茸特有の香りが食欲を誘る。

噛むと旨味がジュワッとあふれ出す。
炭火の香りも相まって、シイタケの味わいをより引き立てる。

それにしても、随分と食事に熱中してしまったようだ。
沈みかけた太陽は、すでに水平線の下に沈み、微かな橙色だけが空に残されていた。

ある未明の海岸で(死体、死体損壊描写あり) #ノート小説部3日執筆 

そうそう、わたしですよ。指を切ったの。
え? いや、殺してはいませんよ。
死体の指を切ったんです。
なんで? なんででしょうねえ……。

愛し合う二人を引き裂くなんてって?
うーん。刑事さんも調べてわかってるでしょう?
わたしも見てるからわかってますよ。
あれは無理心中ですよね。
男が女の手を握って、逃げられないようにした。
むしろ引き離してあげてよかったんじゃないですか。
死んだ後も離れられないとかかわいそうですよ。

わたし、もう自分がやったって言ってますから。
現場にいないとわからないことなんていくらでもありますよ。
そう、あのリング。
あれ、銀のペアリングに見えますけど、デザインが違うんですよね。
だから不倫カップルなんですよ、あの死体。
だから……そうですねえ……。
配偶者との縁を切ってあげようかって思ったんですね。きっと。
もちろん、不倫相手ともこんな死に方しちゃってかわいそうなんですが。
だからといって配偶者のところには戻れないでしょう。
だったらいっそのこと思い切りよくね。

で、そのリング、見つかったんですか?
刑事さん? 刑事さーん。

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『悪い人魚』:seibun_hyouji:不穏 #ノート小説部3日執筆 お題:海岸 #ある夭逝した天才の記憶 スピンオフ 

【ドリームコントロールを開始します】
 あんまりな悪夢を見ていた僕は、突然アナウンスを受けて黄昏時の海に転送された。誰もいない波打ち際。波の音と、ヒーリングを意図したのだと思われるインストゥルメンタルが聴こえる。本物の海では絶対にしないような、甘い南国の果実の香りが漂う。冷たすぎない波が、何度も裸足を洗っていく。
 なかなか強引な機能だ。ボディメンテモジュールのオプションとして売っていたから試しに入れてみたんだった。まさか直前までの夢をシャットダウンされるとは思っていなかった。さっきまでどんな悪夢を見ていたかさえ思い出させてくれない。
 まあ、どうせ、いつものだ。僕の昏い欲望がそのまま表出したような夢。一番大切な人をこの手で壊す、もしくは、僕があいつに壊される夢。
 ……夢の中でこんなにマトモに思考ができるなんてね。ちゃんと休めてるのかなぁ、これ。

 僕は考えるのを控えめにして、海岸を歩き始めた。太陽は沈んだんだろうか、どこにも見えない。でも、空は七色のパステルカラーで彩られていた。雲は薄紫、海は濃紺。落ち着かせるより、ちょっとウキウキするような景色が選ばれてるんだろうか。それとも、僕がしょせん、こんな景色に心躍らせてしまうただの十七歳の子供だということなんだろうか。
 クリスが、いてくれたら良いのになぁ。
 あいつがいれば、きっと僕以上にこの海にはしゃいで、全身浸かって僕に水を掛けてきて、僕はそれを浴びて「このバカ犬が」なんて言って舌打ちでもするんだろう。
 独りだと、楽しさの上限が見えてしまう。
 普段の夢なら、僕があいつのことを願って出てこなかったことは一度もなかった。でも、これは見せられている夢だ。僕の思い通りにはならない。
 機能をオフにしてみようか。
 そしたら、悪夢に様変わりするかもしれないけれど、きっとあいつが来てくれる。酷い状態になったら、また機能をオンにすればいい。意識してそう願えばオンオフは操作できると思う。

「リノ、呼んだー?」
「……遅い」
「えぇ、仕方なくない!? なんかログインに時間かかってさー。まだ日付変更前だからかなー?」
「どんな世界観だよ」
 僕の夢の中のクリスが変な発言するもんだから、思わずフフッと笑ってしまった。
「ま、いーや。ほらクリス、海だよ」
「海だねー」
「冷たくて、気持ちいいよ」
「そーなんだー」
「……クリス?」
 思ったより食いつきが悪い。振り向くと、クリスは困った顔をしていた。
「……リノに言わなかったっけ? 俺、泳げない」
「えっ? 泳法モジュール入れてないの?」
「入れてるけど、沈むんだよ。比重的に」
「あー。そういやお前かなり金属仕込んでたな」
 面白いな。そんなの夢の中ならどうとでもなるだろうに、僕のクリスは大真面目に現実をやっているらしい。
「別に腰までくらい浸かっても溺れないって。ほら、おいで。これは僕の夢なんだから、沈んでも大丈夫、本当に死にやしない」
 僕はそう誘いながら、ざぶざぶと海の中に入っていく。服が濡れて肌に貼り付き、金色の髪が海面に広がる。海に揺蕩う花のように。あるいは、流されゆくゴミのように。色合いはパステルの世界に馴染みそうで、でもそれは僕に他ならず、そのために絶望的に異物だった。
 足元が海に浮き、とぷん、と頭の先まで水中に入った。
「おい、リノ!」
 クリスが慌てて近づいてくる。僕が溺れるとでも思ったのだろうか。あんまり勢いがいいものだから、僕が沖に押し流されてゆく。
 おいで、クリス。一緒にいこう。
 お前はやっぱりそうやって、どこまでも僕を追いかけてくるんだ。
 僕らしかいない世界で。
 僕らだけが異物な世界で。

 クリスの頭が海に完全に沈んでしまった。あいつの背でも届かない深さまで来てしまったらしい。僕は少し高揚している自分を認識した。ああ、クリスが死んじゃう。このままじゃ、僕のせいで。
 僕も海中に潜った。息を吐き、わざと沈ませる。クリスを迎えに行かなきゃ。あいつと、最期まで一緒にいたい。
 夢の中で人魚のようになった僕は、自由に泳ぐこの体を羨ましそうに海の底から見つめる黄金の像を見つけた。ああもう、バカ犬、そんな体になっちゃって。それじゃ、絶対に泳げっこないじゃないか。
 ふふ、でも金色は僕とお揃いになったね。もしかしてこれは僕の呪いってことなのかな。
 悪い人魚に金塊に変えられてしまった不運な男。
 いつもの血なまぐさい夢とは違うけど、これも静かな狂気だった。
 その輝く体に手を伸ばして、そっと抱きしめる。
 夢の中では、僕のものだ。
 夢だから許される、我儘。
 僕はお前のものだけど、お前は僕のものにしちゃいけないから。
 こんな不幸な終わり方を、現実にしちゃいけないから。
 お前はそうやって僕の夢で何度も殺され続けるんだ。
 可哀想な、僕の英雄……。

「大好き……」

 声が、出た、気がした。

 ばち、と目が醒める。

 喉の奥だけで、震えるように笑った。
 声なんか、出るわけないじゃないか。
 この喉は、僕が昔自殺しようと切って潰したんだ。
 クリスが助けてくれたから、死ねなかったけど。

 人魚姫の声が戻ったら、大好きな人に愛を伝えることができたのだろうか。
 大好きな人の幸せな幻想を破壊することになっても?
 多分そうはならないのだろう。だってそれって、悪役の所業じゃないか。
 姫と呼ばれ愛される女の子のやることじゃない。
 ……この喉は、治そうと思えばいつでも治せる。
 あいつと僕との絆の証だから、そのままにしているだけだ。
 僕なら……純粋な悪い人魚である僕なら……。

「……リノ? どした……?」
 僕が起き上がった気配で起こしてしまったのだろうか。クリスが向かいのベッドで眠そうに呟く。
 僕は会話モジュールの音量を絞って、なるべくクリスの目を覚まさせないように優しく囁いた。
「夢見て起きただけ。大丈夫。おやすみ、クリス」
「んー? 悪い夢? おいで、抱っこしたげるー」
「暑いから嫌。いいから寝ろ」
「素直じゃないなー、もー……」
 クリスはそう不満を漏らしながらも、すぐにまた心地よさそうな寝息を立てはじめた。
 僕らはこの雲の上の街から実際に出ていくことは滅多にない。でも、仮想空間の海には、いつでも遊びに行ける。
 明日起きたら誘ってみてもいいな。夢じゃない本当のクリスなら、喜んでノッてくれるだろう。
 何となく眠気が来るまで仮想空間で動かすアバターの服を海仕様に変えようとして、思いとどまる。準備万端で誘ったら、熱でもあるのかと心配されかねない。明日になったら僕の気分も変わってるかもしれないし。
 時刻はまだ深夜一時だ。もう一眠りしたら、今度は雪山に案内される可能性もある。僕はどこでも行ける。何でもできる。本物の体はモルガンの店から出られないとしても、不自由だと思ったことはない。
 あいつの笑顔を見届けられる場所なら、どこでも良かった。
 できればずっと、一緒にいたい。
 でも僕はあいつを縛りたくない。
 あいつが幸せを掴んだら、泡と消えよう。
 お前の一番大切なものは僕だったんだぞ、と呪いを掛けて。

 僕はその悪巧みに満足して、また夢の波間に身を任せた。

#ノート小説部3日執筆 お題:海岸 『ボクたちの夏』 

『続いてのナンバーは湘南ボーイズキッズチルドレンでUMI MECCA HIROIYANです』
 カーラジオから有名五人組ロックバンドの楽曲が流れる。つい物まねをしたくなるような男性ボーカルに合わせて、ミッツが一緒に歌っている。
 いつだったか、TEAM CLOCKのメンバーで江の島に一泊二日のプチ旅行をする、という話になっていた。スケジュールもある程度決まってはいたのだが、ボクたちはデビューして間もないということもあり、急に挟まれる仕事によってそれが先延ばしになっていた。
 そして今回、やっと全員が二日続けてオフを取ることができたので、こうしてイギーさんの運転で江の島までやってきた。宿は彼の知り合いが経営をしている民泊を利用する運びとなった。
 ミッツとベッキーは先ほどからご機嫌な様子で歌をうたっている。
「いやぁ、晴れてよかったなぁ」
 江の島の海岸線を横目に、イギーさんはそう漏らした。前日まで少し天気がぐずついていたこともあり、少し心配をしていたのだが、それは杞憂だったようだ。
「みんな、日焼け止めは塗ったか?」
「はーい!」
 後部座席のミッツとベッキーが声を揃えて元気よく返事をした。
「セタケルは?」
「ボクも大丈夫ですよ」
「お、そしたら元気よくお返事しないと」
 ははとイギーさんは笑って窓を開ける。潮風が車内に入り込み歓声が上がった。
「あぁ、はよう泳ぎたいわ」
「水族館行きたいっちゃ」
「先に、荷物預けてからな」
 もう待ちきれないとばかりに目を輝かせるベッキーとミッツ。ボクもみんなでするバーベキューがひそかに楽しみだ。でも、ボクはリーダーなのではしゃぎたいのをグッと我慢する。暴走しがちな二人を止めるのはボクの役割なのだから。
「……丈瑠も楽しもうな」
 イギーさんが手を伸ばして頭を撫でてきた。どうやら彼にはバレていたようだ。ごまかすのも変な話なので、素直にうなずいておいた。
「海だー!」
 民泊に荷物を置いて、近くの海岸に降り立つなり水着に着替えたミッツが走り出す。その後を大きな浮き輪を片手にベッキーが追いかけた。
「おー、若い奴らは元気だなぁ」
「いや、イギーさんもボクらとそんなに歳変わらんじゃあらせんか」
「バカ言え、俺もうアラサーよ?」
 いつでも休憩できるように簡易のテントを立てて外にレジャーシートも敷いておく。クーラーボックスのなかには冷えたドリンクもあるし、塩分補給用のタブレットも用意してある。あの元気が取り柄の二人がバテたとしても大丈夫だ。
「よし、行くか。セタケル」
 イギーさんに腕を引かれて彼らの元へ向かう。準備運動をして海に入ると、すきっとした冷たさに気分が晴れた。
「なぁ、イギーさん。あれって江の島なん?」
 浮き輪を起用に操りながらベッキーが寄ってくる。
「そうだな」
「こっからどれぐらい距離あるん?」
「だいたい十キロぐらいかな」
「へぇ」
 ベッキーは頷いて、ミッツを呼び寄せてごにょごにょと話をしている。
「まさか、泳いで渡るなんて言わんわな?」
 ボクがそう問えば、二人は何を言うんだといった表情を浮かべた。
「大丈夫、遠泳は得意やけ」
「そや。ウチも高校卒業して日本一周したさかい、体力はあんで」
 自信満々に頷く二人。得意とか体力はあるとかそういう問題ではない。ボクたちはアイドルだ。なにかあってからでは遅い。リーダーとして彼らを諫めなくては。
「ぜってゃーあかん! そんなことは危険すぎる」
 そう言ってはみるものの、二人のなかでは決定事項になっているらしい。どうやって泳いていこうか算段中だ。
「ほら、二人とも。我らがリーダーを困らせるな。だいたい、遠泳なんて体力も気力もいんだし、船出してフォローしないと疲れたときに溺れるんだべ」
 ボクの言葉に重ねるようにイギーさんがそう付け足す。
「それに、それでケガしたら社長に叱られんべ」
 社長の名前を出した途端に、二人は急に大人しくなりイギーさんとボクに素直に謝った。なるほど初めから社長の名前を出せばよかったのか。イギーさんはこういった事態に慣れているのか、怒ってこそいないが口調は少し厳しめだ。
 社会人経験のあるイギーさんは、こんなときにボクをフォローしてくれてたよりになる。
 少しだけしゅんとした二人にそれ以上言うことはせず、イギーさんは表情を和らげて、ばしゃりと水をかけた。
「よし。そんじゃ、気持ち切り替えて遊びますか!」
 イギーさんの元気な声に、ボクたちは全力で海を満喫した。もぐったり泳いだりビーチバレーをしたり。『海と言えばこれ』を夕方になるまで遊び尽くしたのだ。
「やっぱ、夕陽の海岸線ってのはいいもんだな」
 遊び疲れて眠っているミッツとベッキーを横目に、イギーさんが呟く。
 砂浜ではカップルがイチャイチャしたり、家族連れが帰り支度をしながらぐずる子どもたちを宥めたりしている。
「ボク、こうやって海でがっつり遊んだことにゃーんですよね」
「愛知にも海あるべ?」
「ありゃーすけど、ボクの住んどったところは田舎だったで」
 学生時代もそこまで海やプールで泳いだ記憶はない。もともと根っからインドア派だったので、どちらかというと家でお菓子を作っていることが多かった。だからこうして、仲間と夏を満喫することは、今回が初めてだったのだ。
「楽しかった?」
 イギーさんがそう問うてくる。どこか心配したような顔だ。きっとボクがミッツやベッキーにばかり気を配っていて、楽しめていなかったように思ったのだろう。
「楽しかったですよ」
 ボクは迷うことなく返答する。遠泳すると言われたときは戸惑いこそしたが、少しだけ『楽しそう』と思ってしまったのだ。立場上、危ないと咄嗟に口にしてしまったが、これで何からなにまで万全の態勢だったとしたら、いいよと言ってしまっていたかもしれない。
「みんながいるんだから楽しくないわけがない」
「そっか……そりゃよかった」
 イギーさんは嬉しそうに笑って、爆睡するミッツとベッキーを叩き起こした。
「お前ら、宿戻るぞ。バーベキューの時間だ!」
 夕陽が完全に沈んで暗くなる前に宿に戻らなくては。
 今夜は肉と海鮮がもりもりのバーベキュー、そしてそのあとは手持ち花火を用いての花火大会がある。
 ボクたちのプチ旅行は始まったばかりだ。
 海岸には、ボクたちの笑い声が響いた。

#ノート小説部3日執筆 お題「海岸」 「夜の海の恐怖」※自殺に関する言及あり 

日の沈み切った海岸に、一人の男が座っていた。白い胴着を身に纏い、伸びに伸びた不精ひげという特徴的な中年の男。彼は打ち寄せる波の音を聞きながら、目を閉じ、静かに胡坐をかいている。いわゆる瞑想の最中だ。周囲の時間が止まっていると錯覚しそうなほど静謐に、彼の意識は『無』と化していた。
果たしてそれがどれ程続いたか――男は静かに目を見開くと、立ち上がって『よし』と呟いた。そうして、海に向かって一歩踏み出した瞬間――

「駄目ですよ!」

背後から、若い男の声が聞こえた。慌てたような声に、男はゆっくりと振り向く。灯りの少ない砂浜だが、何故か男の姿はよく見えた。
そこにいたのは、二十代半ば程の青年。胴着の男とは違い、ラフな格好をしていた。青年は焦りを顔に貼り付けて、男に向かって駆け寄る。

「こんなところで自殺なんていけませんって!」
「……む?」

青年の言葉に、男は思わず眉を顰めた。どうも、盛大に誤解されているようだ。

「俺に自殺の予定は無いぞ……ここに来たのは、修行のためだ」
「へ? 修行? あれ、その恰好は……」
「死装束かと思うか? 胴着だ」

男の説明にしかし、青年はただ目を見開いていた。
さてはこの男、胴着を知らないのだろうか。
しかし、己を鍛える際に着用する胴着をまさか死装束と間違えられるとは、数十年生きていて初めての体験であった。

「そうでしたか。いやぁ、それは申し訳ない。実はこの辺、結構自殺する人が多くて――」
「……そうなのか」
「ええ。例えば一番多いのが……あそこから飛び降りるとか」
「ああ。あそこか」

男の指差した方を見ると、灯台の立つ断崖絶壁があった。
その下には氷山のように海面から立つ無数の岩がそびえたち、今日のような穏やかな日でも、叩きつけるような勢いの波は収まる事がない。数十メートルはあろう、そこから下に落ちれば、どう足掻いても助からないだろう。後は魚の餌か、腐敗した水死体かの違いでしかない。

「それにしてもおじさん、修行にしても、どうしてここで?」
「どうして、だと?」
「ええ。だって、普通外で修行するにしても、山の中とかだと思うんです。だからなんでわざわざ海岸なのかな、と……」
「まあ、確かにそうだな。俺が海岸に来たのは……」

男は少しだけ言い淀んだが、遂にはそれまでと同じ調子で口を開いた。
「つまらん話だ。もう随分昔だが……溺れた事があった。それから海が恐ろしくて、近寄る事すら難しくなった」
「あれ、でも今目の前にいるじゃないですか」
「恐怖心の克服。それこそ、修行の目的だったからな」
「ああ、なるほど」

 青年は大げさな程、大きく頷いた。

「その歳でも上を目指す事を忘れないなんて、素晴らしいです。僕はとうとう、恐怖からは逃げることしか出来ませんでしたから……」
「何を言う。君は見たところ若い。まだまだこれからだろう」
「あはは……まあ、そうですけどね」

 青年は苦笑すると、右手を上げて小さく小刻みに振った。

「では、僕はこれで。頑張ってくださいね、おじさん」
「ああ。君こそ達者でな」

 男が別れの言葉と共に再び海に向かうと――その横を、青年が通り過ぎて行った。

「……なに?」

 しかし、青年の姿はもう見えなかった。男は周囲を見渡したが、一面の暗闇で、人影一つよく見えない。

 「待て……」

 何故自分は、彼の姿をはっきりと見る事が出来たのだろうか。それに今、彼はどう見ても『海に向かって』走って行った。
『僕はとうとう、恐怖からは逃げることしか出来ませんでしたから……』

「やはりまだ……未熟……」

 男はそう呟くと、真っ黒な穴のような海から去って行った。

#ノート小説部3日執筆  お題「海岸」三途 

「わ〜砂浜結構暑いね〜」
「そりゃ、毎日真夏日だからね」
「砂浜暑いの昼だけだと思ってたよ」
「夜でもこんな暑いのに、冷えるわけないじゃん」
「それもそっか〜」
 そういうと友達は黙って海を見た。私は友達を横目で見た。
 友達は中学卒業以来会ってなかった友達だ。卒業のときには、スマホみんな持ってたから、連絡先を交換してたけど、いくら同じ仲良しグループだといえども、高校が違えば、何も話さない。
 友達も私もそれなりの偏差値の進学高に行ったので連絡取ることすら躊躇ったし、出来なかった。
 私は、勉強勉強部活の毎日で、出来たのは部活の友達ぐらいで、部活の友達ともスマホでは連絡だけだった。だから、高校の友達も連絡先を知ってるだけで、どうなってるのか知らない。近況はインスタ見れば分かるけど、空気が違いすぎて私はアンインストールしてそのまま、だった。
 今日は休日だったので、一人暮らしでも昼間もずっと冷房の下にいた。絶対外出ないぞと思いながら、つまらなくなったXを見ていると、ぽこんと鳴った。家族ぐらいしか連絡しないから、ため息をつきながら、何を要求されるんだと思って全然メッセージを見ずにタップしたら、この友達からの誘いが、空白の多いメッセージ欄に出てきたのだ。「ねえ、海に行こうよ!」って、中学時代のあだ名と共に中学の時と変わらないメッセージに、その子らしいかわいいスタンプを送ってきた。私は外に出たくないので、断ったら、「じゃあ夜行こうよ」って言われて、多分私が諦めるまで今日に絶対行きたいのだなという気持ちが伝わってきたので、「じゃあ夜なら、いいよ」と返したのだ。彼女は実家住みで車を持ってないというので、私が車でわざわざその子の家ではなく、その子の指定したコンビニに行った。そうしたら、真っ白なワンピースに暑いのにロングで毛先を巻いている彼女がいた。こちらのことがわかったときに満面の笑顔を見た。そういえば、この子ってこうやって笑ってたな、と思い出して、助手席に乗せて、海まで車できたというところだが、夜の海なんて、あまり見えないし、面白くない。それに波の音が大きくて怖く感じる。私が、スマホで足元を照らしてるのに対して、そのこは何もせず、砂浜に出た。
 私は彼女のやりたいことにとりあえず付き合おうと、砂浜に出たが、スニーカー越しにもわかる熱気になんでこんなところにいるんだろと後悔するところであった。
「よいしょっと」
 そう言って友達がかがんだので、何をするのかと思ったらサンダルを脱いでた。
 サンダルまで白いんだなと思っているうちに友達は私を置いて、どこかに行ってしまった。砂浜のど真ん中に靴を置いてるので、日除けの建物の壁に沿わせるように置いてから、友人をスマホのライトで探した。友人波打つ際のところに立っていた。足先を濡らしてる。表情はニコニコ笑っているので、楽しいのだろう。子供か?と思うが、タオルもないのに靴を脱いで、靴下も脱いでる私も子供だ。
 砂浜は昼間よりはマシだが、暑い。熱い砂が足の裏をジリジリと焼いてるようで、気持ち悪い。
「あっつ」
「あっきたんだ!こっちおいでよ!冷たいよ〜」
「わかったわかったちょっと待って」
 友達がどこにいるのかをライトで確認してから、防水カバーにスマホを入れる。スマホも防水だが、落としたら、この暗闇の中探せる自信はない。
 しっかり留め具をして、紐を肩にかけて、友達の元へ駆け寄る。
 暗闇で見えなかったがよく目を凝らせば、黒い海が見える。そこに足先をつけると冷たさが全身を駆け巡った。
「つめた」
「気持ちいいじゃん、ねえ、もっと深く行っちゃおうよ」
「えぇ〜大丈夫なの?」
「誰も見てないし、見えてないから大丈夫!」
「それってダメなときに言うやつじゃん」
 暗闇でも白い服を着た友達はぼんやりと見える。
「スカート持ち上げなくて大丈夫?」
 ズボンをたくし上げながらそう聞いた。行くと言っても膝下だろうと思ってそこまで上げなかった。
 数秒後にこのことを後悔するのだが。
「いいのいいの、ほらほら、こっち」
 腕を掴まれて、やっと友達の顔が見えた。満面の笑みで本当に嬉しそうだ。
 それを見て、気を緩んでたら、太ももまで浸かるところに連れてこられてしまった。
「ゲェ〜濡れた。あんた、どうしてくれんのこれ」
「さあ?冷たいからいいじゃん」
「帰りに私の車乗るの忘れてない?」
「忘れてないって!」
 そう言いながら、友達はずんずん進んでいく。私を置いて、振り返りもせず。私は太ももまで海に浸かっているが波が来ただけで体が揺れそうなのをなんとか耐えているのに、友達は、腰? もしかしたらお腹ぐらいまで、海に浸かっていた。
「そこまで行って溺れても助けてあげないからね!」
 大声で叫んだ。だから、戻ってこいと含めながら。
「溺れないって」
「嘘つけ、中学の時あんまり泳げなくて、息継ぎも出来なかったじゃんか」
「それは中学までなんだよな、高校では水泳部に入ってるから大丈夫。ピース」
 ピースは全然見えないが、友達が高校で水泳部に入ったのは意外でそっちに気を取られた。
「水泳部だったんだ意外」
「うん、あまりの息継ぎの出来なさに水泳部の顧問のせんせが気合い入っちゃったみたいで、そのまま入部させられた」
「断れたんじゃないの?」
「う〜ん、断れたけど、水は嫌いじゃなかったからね。泳げるようになったらいいなで入った」
「気楽だなぁ」
「それで、全国まで行ったんだからすごくない?」
「えっそこまで行ったのすごい!」
「まあ、結局は7位だったんだけど」
「そっか」
 それを笑えるほど、私はこの子のそばにいない。黙ってると、バシャンと何かが落ちた音がした。
「サチ!?」
「そう呼んでくれるのミサだけだったよね」
「そりゃあんたが否定しなかったからで、その前にあんた今どうなってんの?!」
「浮いてるよ〜」
「全身びちゃびちゃじゃん」
「でも気持ちいいもん」
「あ〜私の車が〜」
 足元が濡れるのはわかっていたが、まさかサチが全身濡らしてくるとは思わなかった。
「ミサも浮こうよ」
「やだ、私最近太ったから、溺れる」
「その時は私が助けてあげるから」
 咄嗟に返事が出来なかった。サチのように濡れる覚悟がなかった。そう、私は未だ太ももを濡らしたままだ。だめだ、会話を切らしたら、サチがどっか行っちゃうと焦ったが、何も言葉が出てこない。なんで、海に誘ったのかってそもそものことを聞きたいのに喉奥に詰まったように出てこない。
「ねえ、ミサ、私と一緒に死んでくれる?」
「なんで」
「ミサだけが、サチって呼んでくれたから」
「それだけ?」
「それだけ。うん。私にはそれで十分」
「なら、私は一生あんたのことユキって呼ぶよこれから」
 バシャリと音が鳴る。白い靄が縦に広がったように見えるから、立ったんだろう。
「それだけはやめて」
「なら私にあんたを看取らせないで、あんたに私の死に顔を見させないで」
「……それってプロポーズ?」
「違うわボケ、生きなきゃ恨むってこと」
「恨んでくれてもいいのになぁ」
 サチの手を持ち上げて砂浜まで上がる。熱い砂浜はそのままだ。
「あはは生きちゃった私」
「それでいいんだよサチは」

#ノート小説部3日執筆 また、夢になる/お題「海岸」(一次, 全年齢) 

目を凝らすと宇宙のこちら側に光が流れるような。そうかこれが流れ星、流星群?とまでは豪華じゃなくてもそういうやつだ、それくらいは知ってる。これまでに何かしらのキッカケで知ったものの覚えられず興味も持てず、けれど俯きながら飲みたくはなかった。

静かに水をかき混ぜるように、波の音だけが聞こえる。

堤防を挟んで緩いカーブが続く県道。僕とその子はその慣れ親しんだ景色の中でペダルを漕ぎ続ける。退屈に変化しながら通り過ぎていく白線を見ながらの僕と、前を行くあの子は対向車を気にしながらお手本のように。張った背筋と揺れる服から見え隠れするホクロ。ジッと見ていたらバレそうな気がするからカーブの向きが変わった時だけ。誰もが知ってるアニメの曲とか歌いながらも自分は変じゃないよって事だけを気にしていた。競争したりはしゃいだりは別に無い、そう、横に並んで走ってたら車とか危ないし。それにそうなる前に眉を潜めて怒られるせい。

その子は僕が4年生の時に同じクラスに転校してきた。落ち着いた雰囲気で女子たちとは卒なく仲良くなり、学校のちょっとした役とかも手伝ったりしていて。僕が知ってる男子連中がどういう風に思っていたかとかは想像するまでもなく。
どうやって接点を持てたんだろう思い出せない。偶然を装って兎小屋の世話を手伝ったんだっけか、いやそれだと不自然過ぎて違うか。
「えっ塾?急に何?まず宿題をしなさいよ。」夏休みの間だけでも良いからって、どうにか頼み込んだような気がする、確か。
兎も角、今僕らは個人商店の日陰に座ってガラス張りの冷蔵庫から取り出したジュースを飲んでいる。炭酸は苦手だからってオレンジジュースを僕も、一人だったら迷わずコーラなのにな。そして他愛もなく、最近読んだ本とか兎は可愛いとかお父さんにこう言われたとか、僕は母親とはそこまで仲が良くない体を装ったエピソードで返して、じゃあ来年の母の日に何かプレゼントしたらどうとか。親が心配するからと夕日を背にして家路に着く。汗だくのシャツと親父の作業着を洗濯機に放り込んでスイッチを押す。

静かに水をかき混ぜるように、波の音だけが聞こえる。

後部座席で窓の外を見ていた。照り返しで曖昧な地平線が眩しいだけじゃなく、開けた窓からの風で目もヒリヒリとするのでジッとは見ていられない。けれどバックミラー越しの視線とは向き合いたくないから、エアコンのスイッチやドリンクホルダーの辺りを何となく眺めてを繰り返す。どうしてこんな事になって、今こうして車に乗っているんだろう。良かれと思ってという気持ちだけが重くのしかかっていた。親戚の人から聞いてあの子にも見せたいと思った、あの場所は何処だったか。後で家の事をするとか何とかで前借りした小遣い、電車好きな兄に相談して決めた完璧なプラン。完璧な?完璧な?お願いだから昨日に時間を戻して。昨日でいいから『嘘吐き』突如耳元に降りかかった声に叫ぼうと喉が絞まり、気を失った。

静かに水をかき混ぜるように、波の音だけが聞こえる。

ぼやけた記憶に血の巡りを覚える。気付けば足の大半は冷たさに溶け込んでいて。聞く人が聞けば労働を終えて広い湯船に浸かったような溜息を一つ。ここに知り合いでも居れば、あまり長湯するなよとか労わってくれただろうか。目頭から湯船のように溢れた今では天の川も流星も見つからず、ありふれた光の粒は冷静さと真実を振りまく。どこまでが本当だった?もう何も分からないまま全部妄想にしたい。けどきっとあの子が居た事だけは確かで、じゃなきゃあんな葉書が届くはずなくて。そういう所も含めて礼儀正しい性格だったのか知る由もないが、久しぶりに帰省した時に母親が「ほら見てごらんよ夏■ちゃんから、見なさいよホラこんなに綺」絞るように呻いて精一杯目を閉じ縋れそうな記憶を探し続ける。
どうしてか昔観たあの映画のシーンを思い出した。いつ観たんだっけ。チケットは自分で買った気がする、確か。あの主人公の、最初に訪れた挫折をただただ引き摺って、しっかり努力してるのに無軌道なまま生き続けて、かといってあの納得したような顔。その当時の世間の評価を思い出したり目まぐるしく、脳内に映る青年に不平不満をたらたらと浮かべ続け、あの時ああすれば幸せだったのにと嫉妬するほど震えは止まらなくなる。何処にも届かなかった自分に…いや、そんな訳はない。さっきからずっと身体が冷えるのは、寝そべっているのか背を預けているのか分からないのは、額の辺りに乗せた腕の感覚がハッキリとしないのは。どうりで、やっぱりそうか、船外活動の寂しさから意識が持っていかれて昔を思い出して、あの二人が目を奪われたその先に俺は居るじゃないか。
「そろそろ船に戻らないと。色々と限界だから。何だっけ、そう、酸素とか」何処にも響かない声はただ、銀河にも似た潮騒に沁みて。

#ノート小説部3日執筆 お題:海岸 

これは夢の話だ。だから、何かつらい現実を示唆しているわけじゃなくてもいい。

 病院にいる。かなり古い個人病院で、しかし古い個人病院というのはどこもかしこもなんだか黄ばんでいる気がする。待合室の壁には数十センチおきに「健康診断を受けましょう」とか「8020運動」とかいう啓蒙ポスターが貼ってあり、それもくたびれていて、ところどころ破れた四隅にテープの跡が残っていた。狭いというわけではないが広くもないそこで、新聞を読んでいた。正確には新聞は広げているだけで、そこに書いてあるどんな文字も頭の中に入ってこない。古ぼけたレザーカバーのソファには、一様に押し黙った老若男女が等間隔に座っている。その表情は見えない。
 私はこれが夢であることを知っていた。こんな病院には一度も来たことがない。何科なのかも見当がつかない。まるで小道具みたいな新聞をめくりながら、何かの撮影のエキストラ役というのは、こんな気分かもしれないと思う。ここにいる全員が芝居を演じているような気がする。新聞の日付でも確認しようとしたが、そこは空欄で、何も書かれていなかった。
 ごった返すというほどではないが、満席に近い待合室は、ある種切実な、何とも言えない雰囲気がある。それにしても、待合室という存在は奇妙さを思う。待つための部屋。誰かが、何かを待つための部屋。何かを待つ時間にはいつも少しの焦りがある。最後まで呼ばれないのではないか。自分の順番が正当に数えられているのかどうか。不安。
 自分にだけ状況が知らされていない、という不安に駆られる夢はよく見る方だ。他にも、車を運転しているけれどブレーキが利かなくなるとか、走って逃げているはずなのに足がもつれて前に進まないとか、潜在的な不安の発露なのだろう。不安を感じて見る夢のどれもが、たぶん心の底では恐れているものだ。そういう意味でいうと、悪夢の定番とも言える幽霊とか超常現象の夢はほとんど見ない。夢として出てくるほど普段気にしていないらしい。
 不意に名前を呼ばれ、新聞を畳んで診察室へ向かう。初めて聞く名前だが、それが自分の名前だということはすぐに分かった。こんな古ぼけた病院で、診察室はすぐそこにありそうなものだが、看護師がついてくるよう促し、一度外へつながるドアを開けたら、海の見える回廊に出る。

 オレンジ色に影を落とす回廊の柱が、ずいぶん遠くまで連なっていた。
 そこで初めて自分が病院を出たことを知る。そして自分は今、先ほどまでとはまったく別の次元に来てしまったと理屈でなく理解する。南国によくあるようなモンステラやヤシの葉が回廊の端から浸食してきて、波の音と海のにおいがした。ともかく、回廊を渡ることにする。
 海を眺めるのは好きだ。電車の車窓からちらりと見えるだけでも嬉しい気持ちになる。海上はもちろん、浜辺もたいてい風が強いのは、陸との温度差らしい。より気圧の低い方に風が流れてくるから、海からの風になるのだ。海辺というとなんとなく波の音で心穏やかになるイメージが強いが、実際はいつも結構強い風が吹いているし、波の音は思っている以上にうるさい。何かをかき消そうとするように、執拗に繰り返される。
「あなたも漂着物を拾いに来たんですか?」
 ふと話しかけられたことに気づいてあたりを見渡すと、若い男が私の横に立っていた。
「はあ、ええ」
「いいですねえ、このあたりは穴場ですよ。私はもう、アオイガイをふたつ見つけましたからね」
 満足げに自らの収穫を見せびらかして、男が会釈する。私は浜辺にいた。裸足の指先に、波が寄せては返し、砂が流されて指の間をすり抜けていくのがくすぐったく感じた。空は青灰色にうっすら染まっていて、気温は少し低かった。夕焼けか黄昏のどちらかには違いない。私も拾わなければならないと感じた。それは使命にも似ていた。
 探し物が見つからないという夢もよく見る。特に、急いで家を出なければならないときに、鍵が見つからないとか鞄が消えてしまうとかそういう夢だ。

 海が帰るべき場所だとしたら、浜は墓だ。海水浴場の浜は手入れの行き届いた集団墓地に似ているし、無人島の浜は無縁仏の墓に似ている。何度も寄せては返し、埋もれ、あるいは打ちあがって、乾いて砕けて、砂と同じになる。大抵のものをそういう存在になるまで磨り潰す大きな力というのは、救済みたいなものかもしれない。誰かが豪華客船から落としたコカ・コーラの瓶も、津波に押し流されていった船も家も、海中で生きてきた貝や魚も、いずれたどり着く。そうやって死んだものたちが混ざり合う。人間の魂にも、そうした終着点があるのだろうか。

 回廊の終わりにまた扉があり、入ると、象の頭をして白衣を着た医者が座っていた。そうしてようやく病院に来ていたことを思い出した。
「こちらへどうぞ」
 存外穏やかな声音で象の医者が言う。促されるまま座ると、彼は人間の指でパソコンのキーボードをたたき、私の電子カルテを探した。それまで静かだった診察室の中が、途端に雑踏の真ん中にいるようにざわざわし始めて、私は象の医者の言葉が聞き取れなくなる。
「それでは、あなたの作った絵本のあらすじをきかせてください」
「なんですって?」
「あなたの作った絵本のあらすじを聞かせてください」
 私はがやがやした人混みの騒音の中で、懸命に絵本のあらすじを思い出そうとする。子供が……数珠を持って歩いている。葬式に行くのだ。その数珠というのは、水晶でできていて、立派な房飾りがついている。「亡くなったおじいさんは入院していたの?」彼は言う。彼の母親が答える。「ええ、でもずっと目を覚まさなかった」「もう長いこと」「最後まで目を閉じたまま」「お父さん、今まで、いったいどんな夢を見ていたの?」
 騒音が鼓膜を覆いつくし、私は意識をなくす。ごうごうと、波と風の音がする。執拗に、塗りつぶすように、波が押し寄せてくる。
 お父さん。
 あなたは浜で何を拾っていたのだろう、
 透き通ったシーグラス、陶器のかけら、コカ・コーラの瓶、貝殻、ウニの外郭、誰かの魂の抜け殻。
 海岸を歩いて、拾いに行こう。あなたのかけらを。

 足を洗う波の感触が涙に似ていた。
 そうして泣きながら目が覚めた。

#ノート小説部3日執筆 『潮風、ときどき、里帰り』 

今はお盆休み――にはちょっと早い頃。合成半獣の男留里(るり)洋平(ようへい)は久方ぶりに、ここ追江(おいえ)港に帰ってきた。といっても、住んでいたのは小学一年の夏までで、それ以後はもっと内陸に越してしまったのだが。

十数年も経っているからさすがに景色は違うし、記憶はおぼろげだが、地図を見ずに目的地に行くことはできる。駅を出て、路地を抜けて、少し歩けば目的地だ。

浜へ突き出た小さな岩場。その上には草木が茂り、その緑の隙間から、ほんの僅かにくすんだ朱色が見える。奥には小さなお社が、ひっそりと佇んでいる。
「久しぶり。遊びに来たよ」
洋平はしゃがんで、鱗とヒレがついた尻尾を引き寄せて、それから手を合わせる。
幼い頃から、街に来たら必ずその地のお社に手を合わせるようにと言われている。その頃はまだ、神様とか心霊といったものに関心は無かったが、自分が人外になって以降は身近に感じるようになった。書類上の留里洋平はすでに死亡扱いで、これが第二の人生とも言える状況だから、なおのこと。

「よっ久しぶり」
背後から声が聞こえた。こういう時は、まず声を掛けるべきと学習している。慌てて振り返ると、悪意ある妖怪に連れ去られたりするからだ。
「もしもし、誰だ。名を名乗りな」
模倣だけの怪物の場合、二回繰り返す言葉を発せない。また、名前を名乗ることができない場合もある。
「はいはい、オレだよ。
七逆(ななさか)誠(まこと)。お前の友達だ」
繰り返しヨシ、名乗りヨシ、ついでに関係者確認もヨシ。洋平はおもむろに振り返る。
小学時代の友人が、昔と変わらぬ背丈でそこに立っていた。和服と首枷。枷に繋がれた天秤棒には、なんだかよく分からない物が乗っている。死後の世界の働き者の、一般的な装いだ。
地獄(こっち)の有給取るの、楽じゃねぇんだぞ。盆近くは休みが集中すっからなぁ」
誠は悪態をついた。小学時代から全く変わらない。
「お盆はみんな休みじゃねぇのか?地獄の釜の蓋って言うだろ」
「それは一般人だけさ。お前らだって、コンビニは年中無休だろ?休みズラしてでも、誰かが働かないといけないのさ」
死後の世界も世知辛いらしい。

洋平が引っ越してすぐ、誠はいろいろあって自害した。本来は賽の河原で石積みをする年齢だ。だが担当になった鬼を詰めてしこたま泣かせたので、別の仕事をさせられているらしい。

「ま、せっかく来たんだ。海にでも行こうぜ」
誠の提案で、二人は近くの砂浜に歩き出した。洋平は尻尾を振りながら、誠は天秤棒を担ぎながら。

夏真っ盛りということで、砂浜は賑わっている。泳ぐ者もいれば、浅瀬ではしゃぐ者もいる。波間の向こうには、巡回警備をしている軍艦武装の少女も見える。
「うん、平和だ」
「だな。いいことだ」
浜の熱気や夏の暑さとは裏腹に、この男たちは極端に冷めている。自身が楽しむより、そういう奴を眺めるのが好き。彼らはそういう奴らだ。

軽い協議の結果、腹ごしらえに屋台へ向かうことにした。メニューに迷ったら焼きそば、もしあったらモダン焼きにするということも決まった。
「ところで誠、お前現世のメシ食えるの?」
「まあ大丈夫でしょ。明日から
罪荷(つみに)が増えるだけだし」
誠は、担いでいるよく分からん物を指しながら答えた。罪の重さによって、増えたり減ったりする物らしい。
「おン前さぁ……」
洋平は軽く呆れた。自ら刑期を伸ばす必要ないだろ、と喉まで出かかった。あえてやってそうなのでやめた。誠の腹の中が判るのは、本人だけだ。

――
「ほい、モダン焼き。あとラムネ」
「さんきゅ。……って、お前は昼からビールかよ。贅沢じゃん」
「いいだろ。休みの時くらい」
砂浜から少し離れた波止場。人々を眺めるのにちょうどいい場所だ。潮風が程よく吹き付け、ほんのり涼しい。

「変わんねぇよな、この景色も」
ラムネ瓶のビー玉を落としながら、誠はぼんやり呟いた。パック容器を乗せた膝は、地面が見えるくらい透けている。
「オレたちが変わりすぎただけ。お互いに」
ビールのプルタブを引きながら、洋平が答えた。大きな尻尾が邪魔にならないよう、とぐろを巻くように引き寄せている。

たった数十年のうちに、片方は死んで地獄で働き、もう片方は実験で合成半獣になった。変化の度合いはたしかに、街よりこちらの方がうんと大きい。

共通の話題はあらかた話してしまったので、二人の話題は近況報告になった。
「地獄の職場ってどう?ブラック?」
「そうでも無ぇぞ。それなりに福利厚生はあるし、メシは美味いし。合成半獣の監獄よりマシだろ」
「それがな、監獄はめちゃくちゃ快適になったんだよ。今の監視長が死ぬほど頑張ってくれてさ。でもメシはまずい」
「だめじゃん」
「だめだわ」
「「ハハハ」」

「あっそうだ洋平、紅しょうがいる?」
「ちゃんと食え」
「チッ」
何年経っても、誠はクソガキだ。洋平は確信した。地獄で生きているなら、もう少し成長しているものじゃないのか。
そういう根の部分が変わっていないのは、ある意味安心を覚える。

浜の人々の歓声、どれかの屋台が鳴らしているスピーカー、波の音と、ウミネコたちの鳴き声は、会話が思い付かない時の空白を程よく埋めてくれる。そんな中にモダン焼きのソースの香りと、潮風が混ざって、冷めた男たちに暑い夏を提供している。

「……お前はさ、長生きしろよ」
突然そんな事を言われて、洋平は軽くむせた。
「ンだよ急に。言われずとも生きるよ」
少なくともまだ死ねない。洋平のやるべき事はまだたくさんある。例を挙げるとキリがないくらいには。
「ならいいんだ」
それだけ言って、誠はまた他愛もない話を繰り出した。
「洋平さ、オレん家の墓分かる?」
「言われずとも、
七逆(ななさか)なんて名字お前らしかいないだろ」
「お盆のお供えリクエストしていい?」
「いいぜ。金額によるがな」
「お前の母ちゃんところのプリンがいいな。供え物、あんこのお菓子ばっかで飽きてきた」
「また刑期増えるぞ」
「ケーキもいいな。フルーツいっぱいのやつ」
「ボケるな」

洋平には、時々思うことがある。もし引っ越していなかったら、誠は自害せずに済んだだろうか。もし実験に参加していなかったら、普通の人間として生きていたのだろうか。
分からない。分かるはずがない。
可能性の話をしたとして、それは可能性にすぎない。自力で掴んで、結果として具現化したものだけが真実だ。誠は死んだし、洋平は人間ではなくなった。それだけだ。

何気ない会話を最後に、今生の別れになることもある。洋平は何度も繰り返してきた。だが毎回の会話を大切にできるほど、人生に暇がないのも理解している。

「お前はさ、死んで後悔してないのか?」
「ない。悔やんだところで変わらねぇしな。お前は?人外として生きてて後悔してる?」
「してないさ。今はまだ」
ならいいか。と元人間たちは笑った。
まだまだ日は高くなり、夏は暑くなる。冷めきった彼らでも、熱くなることはあるだろうか。それは、お天道様と閻魔様だけが知っている。

#ノート小説部3日執筆 お題「海岸」 

うっすらと白んできた空の下、防波堤を乗り越えて砂浜に足を降ろした。その場でサンダルを脱いで裸足になって若干熱を帯びた砂の上を歩けば、その後ろには私の足跡が規則的な間隔でついていく。

 夜の闇から朝焼けに変わる僅かで短い時間。少しずつ表情を変えていく空に合わせ、深い藍色からゆっくりと変わっていく海の色。
 
 波打ち際、寄せては返す波が素足を撫で、離れるのを繰り返す。
 聞こえるのは波の音だけ。
 静かなこの世界に私はひとり。
 目の前に大きく広がる空と海をぼんやり眺めながら、私は波の音に聴き入った。

 静かな空と静かな海が目の前で大きく広がり、ちっぽけな私を包んでいる。優しいような、無慈悲なような、何ともいえない感覚で。

 段々と海の向こうが赤く色付き、夜明けが近い事を知らせてくる。防波堤の向こうからはジョギングか犬の散歩かをしているであろう人が動く気配がする。

 静かな、たったひとりの世界の時間の終わり。
 私は海に背を向け歩き出す。
 
  ……そうして防波堤の上、振り返ってもう一度海を見る。 
 日はすでに姿を見せており、水面はその光を受けてきらめいている。その光を受けて淡い橙色に染められた白い砂浜には私が残した足跡。それも風に吹かれて少しずつその跡を消していく。
 ……そこにあったものはいずれ見えなくなってしまうけど、覚えているひとがいる限りは決してなくならない。
 
 何も言わず、ただそこに広がる空と海を眺めてから。
 私は再び海に背を向け、ひとのいる世界へ歩いて行った。

ある未明の海岸で(死体、死体損壊描写あり) #ノート小説部3日執筆 

誰もいない、真っ暗な砂浜を歩いていた。
サンダルがずずっと砂に沈む感覚。
山からの涼しい風が吹き、思ったよりベタつきは少ない。
このごろ汀に落ちるもの。流木、プラごみ、二世の縁……。

自分より先に死んでるやつがいるとびびる。
死体がうち上がっていた。
砂やらゴミやら海藻やらにまみれているが、それは人の死体だった。
男と女。絡みあった白い手。きらりと光った銀色のリング。

これは警察に連絡しなくてはならないのだろうか。わたしが。
と考えるより先に、わたしはまじまじとその死体を見ていた。
青白くふやけた皮膚に服がまとわりついている。
全体的に体が膨らんでいるようにも見える。
ふむふむ、海で死ぬとこうなるのか。
濡れた髪をもち上げて、血の気のない顔に懐中電灯をあてる。
他に持ち物は……なさそう。
金目のものを期待したわけじゃないけれど。

だいたいなにさ。心中? 恋人なの? 夫婦なの?
こんな固く手なんてつないじゃって。
わたしは力ずくでその手を引き離した。死体の爪がとれたが文句も言うまい。
蹴るようにして男女を引きはがす。ざまあみろ。
そうなると、左手の薬指にあるリングも気に入らない。
女のほうの手をつかんで抜こうとしてみたが、どうにも抜けそうになかった。
しかたなく、わたしは持っていた包丁で薬指を落とす。
皮膚がたるんで切りにくい。力ずくで関節にいれるとちぎれるように指が切れた。
男のほうも同じようにしてリングを抜く。
その2つを黒い海に投げ捨てた。まったく別の方向に向かって。
落ちたはずの水音は聞こえなかった。

それからわたしは包丁を波で洗い、水草でつかんで女の右手に握らせた。
これでよし。なんだかぜんぶがバカらしくなり、帰って寝ようという気になった。
そのうち誰かが通報してニュースになるのだろう。
警察が探したらあのリングは見つかるだろうか。

それもまあ、寝た後の話だ。

#ノート小説部3日執筆 お題【海岸】 ジークヴァルト、特別な男になる(ふんわりBL風味) 

「ちょっとそこまで行こうか」

 俺は馬を指さして言った。魔界の扉を封印する戦いは、周辺にいる魔獣を減らしていくところから始まる。
 それらを減らしていき、魔獣の発生源である扉の封印に取り掛かるのだ。
 ということで、聖女である俺と最近一緒に行動することが増えてきた騎士で移動しながら魔獣を退治しているところだった。

 そんな中、俺たちは久しぶりに内陸から出ていた。潮風を感じるくらいに海が近い。かねてより考えていたことを実行する時が来た。そう思った俺は行動に移したというわけだ。
 ちなみに、突然聖女が消えると大変な騒ぎになるから手回し済みだ。
 万が一、俺たちが戻る前に魔獣が活発化したら、代わりの聖女が頑張ることになっている。

 俺に誘われた騎士――ジークヴァルトという若い男――は、こくりと頷くと馬に跨った。「どこへ」とも「何をしに」とも聞かずに行動を移すあたり、本当に俺のことを疑わない人間だ。
 そこまで信頼されるとなんだかむず痒い。それに、ちょっと特別な感じが優越感に繋がって、俺たちの間に何か特別なものがあるような気さえしてくる。
 まあ、これから俺がジークヴァルトを特別な男にしてやるんだが。

「じゃあ、ついてきて」
「分かった」

 本当に何も聞かないんだな。何か聞かれたらヒントくらいあげようかと思っていたから拍子抜けだ。この男が俺の目的を知ったらどんな顔をするのだろうか。今から楽しみだった。



 俺が案内したのは、馬を全力で走らせて三十分ほどで辿り着く海岸だった。秋口に入ろうというこの季節、わざわざ海岸に行く人間は少ない。そもそも、ここは魔獣が現れる可能性のある地域になっているから、ここに来たいと思う人はほとんどいない――はずだ。
 少なくとも、俺みたいに目的のある人間以外は。

 目的地についた俺は馬から降りた。ざり、と砂が靴底とすれる独特な音がした。夏を過ぎたから、雲も多くて少々どんよりして見える。
 もしかしなくとも、天気が微妙だったか。せっかくだから、こう、記念になるような感じに晴れ晴れとした空が背景だったりしたら完璧だったのな、と心の中で愚痴るが、そんなことは大自然様には関係のないことだ。
 風が強く、波も大荒れ、雨まで降ってきた――なんて状況じゃないだけ感謝するべきだ。って言ったら失礼かな。

「ラウル」
「あ、ごめんね」

 出かけよう、と声をかけてきたくせに物思いに耽ってしまった。三十過ぎると、やっぱりおじさんになるのかな。思考が自由に動き回ってしまう。
 ここに着くなり黙ってしまった俺に、ジークヴァルトが話をするように促してくる。

「話があったのだろう?」
「察しが良いね。大当たりだよ」

 二人きりで、何を言われるのか。きっと彼は緊張しているだろう。ちゃんと確認したことがないから分からないが、ジークヴァルトは二十かそこらの若者だ。
 若輩者、と言われがちな年齢の騎士でありながら、他の騎士よりも俺の思考をうまくくみ取って動いてくれる貴重な存在だ。
 戦場では、いちいち指示を飛ばしていられない。咄嗟の判断だって必要になる。俺が聖女としての役割に集中できるようにする為に必要な動きを、彼はやってくれるのだ。

「本音が聞きたくってさ」
「本音」

 ジークヴァルトの視線に険しいものが混ざる。きゅ、と眉間にしわが寄った。ああ、まだ若いんだからそんな皺作らないように気をつけた方が良いんじゃないかな。
 ああ……若いから、気にならないのか。
 俺の目から逸らしてはならぬとでも思っているのだろうか。ブルーグレーの目が俺をじっと見つめ返してくる。

「きみさ、俺の騎士になりたい?」
「聖女ラウルの筆頭騎士……ということならば、もちろんだ」

 そうだと思った。専属の騎士ではないのだから、他の聖女のサポートに回ったりしても良いのにも関わらず、ジークヴァルトはずっと俺のそばをうろちょろしている。
 だから、俺の問いには頷くと思っていた。
 俺は勝算のある戦いしかやらない主義なんでね。そう心の中で茶化しているが、本当はとても緊張していた。

「ヴァルトに俺の筆頭騎士になってほしいなと思って」
「良いのか?」
「うん。きみが良いんだ」

 仁王立ちになったまま動きを止めてしまったジークヴァルトに近づいて、俺はそっとその手を取った。重装備のままついてきた彼の金属鎧が擦れる音がする。休憩時間だったにも関わらず、脱がなかったらしい。
 さざ波の音に紛れてほとんど聞こえないそれを振動で感じ、思わず小さく笑ってしまう。

 若くて素直で、俺に対して真摯。俺の思考をうまく探り、邪魔にならないどころか動きやすくなるようにサポートしてくれる気の利く騎士。
 俺に誘われたからって、のこのことこんな場所に連れてこられてしまう可愛い若者。
 緊張はあったが、彼のそういった人間的な愛らしさを前にしたら、そんなことはどうでも良くなってしまった。

「ジークヴァルト」
「はっ」

 俺が名前を呼んだだけで、俺に預けた手をそのままに砂浜の上に跪く。
 ほら、俺がどうしようとしているのか一言で理解した。こんな貴重な存在、手放せるわけがない。
 だから、さっさと俺のものにしてしまおうと思ったんだ。

「女神の代行者ラウルの騎士になりなさい」
「喜んでこの命、使わせていただく。聖女ラウルを守る盾であり、支える手となろう。そして、聖女の意思を剣に宿らせ戦い抜くことを誓う」

 騎士の誓いではなく、彼の言葉が返ってきた。彼らしい、と思う。俺はジークヴァルトの手の甲に軽く口づける。ひんやりとした金属が俺の体温でぬるくなるのを確認してから、ゆっくりと顔をジークヴァルトへ向ける。
 ぎゅ、と口を一文字にしている。時々この顔をするの、何なんだろうな。最初はおっさんに絡まれて嫌がってるのかと思ったが、その顔をした後に俺たちの距離感が遠くなった、とかそういうのを感じたことがないから、悪い意味ではないのだろう。
 一緒にいる時間が長くなれば、きっとその表情がどんな意味を持つものなのか、分かるようになるだろう。
 今はまだ、嫌われていないことしか分からなくても。

「正式な叙任式は、盛大にやろうな。で、みんなに祝ってもらえ」
「……俺は、これくらいで良いんだが」
「駄目だって。今日は連れ出して口説いてくるって宣言して堂々と抜け出してきたんだからさあ。
 結果報告も兼ねて、ちゃんとやらないと」
「く、くど……?」

 目を見開いて動揺する男に、今の会話に動揺するような要素があったのかと思い返すが心当たりがなかった。
 けれど、気分が良い。

「海に行く余裕、なくなるから見納めしといてね」
「分かった」
「海で遊んでいってもいいけど」
「するわけないだろう」
「ははっ、そっか海で遊ぶような歳じゃないか!」

 俺がふざけると、ジークヴァルトが元の真面目な騎士に戻り、潮騒の音が俺たちを包み込む。
 沈黙は心地よかったが、頃合を見て俺は再び声をかけた。

「さあ、俺のベルン。帰ろうか」
「………ああ、長く不在ではいられないしな」

 俺と同時に馬に跨った彼に、笑みがこぼれる。これからまた戦場へ戻るのだというのに、俺の心は穏やかだった。

#ノート小説部3日執筆 お題【海岸】#Noトラブル!Noライフ!番外編  

「身から出た錆」



 せっかくの休暇だし、夏らしい事をしたい。

 トーマスの唐突な提案で彼らは海水浴場に集まっていた。
 イテツとタロウが手際よくパラソルを立ててレジャーシートを敷き、暑さと日射しで既に体力を失いつつあるオリヴェールの休める場所を作った。イグナシオとサミュエルに両脇を支えられ、オリヴェールは倒れ込むようにその下へ転がる。
「…オーリ、大丈夫か?」
「……日陰にいれば、それなりに……」
 トーマスに声をかけられ、オリヴェールは呻くように応えた。その横に、日焼け対策完全防備のアヤメが座る。上下UVカット加工の長袖、長ズボンにつばの大きな帽子にサングラスもしっかり着用している。
「…日光に弱いならしっかり防がなくちゃダメよ」
 ただでさえ体力を奪われちゃうんだから、と忠告する彼女に一分の隙も感じられない。
 パラソルの下にいるのはアヤメ、オリヴェール、そしてイグナシオの3人で、他の4人は泳ぎに出たりビーチスポーツに飛び入り参加しに行っている。特にビーチバレー大会は盛り上がっているようで、歓声が3人の元まで届いていた。
 その賑やかな声を聞き、イグナシオは興味が沸いているらしい。気にはなるが、やったことがないので参加までは踏み切れずいるようだ。その様子にアヤメが声を掛ける。
「……イギー、気になるなら行ってみましょうか」
「……え、デモ。ワタシ、やったこと全然ナイですし」
「イギーの運動神経ならいいところまで行けるんじゃない? 大丈夫よ、私がサポートするわ」
 楽しみましょう、と微笑みかけられ、イグナシオは決心がつく。アヤメも完全防備の衣類を脱ぎ捨て、水着姿になると日焼け止めを改めて肌に塗り重ねた。
 2人がビーチバレー大会に参戦しようとしている会話を聞きつけたらしい男2人が、彼らのいるパラソルの方へ向かってくる。
「……ビーチバレー大会に参加する? ねぇ、オネーサンたち勝負しようよ」
「……勝った方が負けた方に今日一日、なんでも言うこと聞いてもらうっていう条件付きでさ」
「それにオネーサンと坊やなら俺たちも楽しめそうだし」
「俺たちが勝ったら何してもらおうかな」
 ニヤニヤと品のない笑みを浮かべながら男たちは絡んできた。彼らは自分たちが必ず勝てると思っているらしい。そして特にイグナシオの姿―十分丈の上下インナーを着用していること―を揶揄してくる。
「ビーチバレーで大事なのは布面積だよ?? 砂が入って重くならないようにな」
「オネーサンの方はともかく、坊やはそんなに着てちゃ、すぐ動けなくなるんじゃないか?」
「……あら、やってみなければわからないじゃない」
「……負けマセん」
 そりゃあいい、と彼らは満足そうに笑う。一足先にエントリーへ向かう男たちを見送ったあと、振り返れば座ったまま心配そうに見上げるオリヴェールと目が合った。何かを言いたそうに口を開いた彼だったが、それが言葉になる前に、肩にはイグナシオの手が置かれる。見上げると彼は穏やかに微笑んだ。
「大丈夫ですよ、ノシてきますから」
 その後ろにはアヤメの笑みも見える。変なのに絡まれたが、この2人なら大丈夫だろうとオリヴェールも思う。試合を観に行こうか、でも熱気に当てられてこっちが無事じゃ済まなそうだ、と思い直し、2人が戻ってくるのを大人しく待つことにした。



(めんどくさいのに絡まれたわね……)
 ただ単にイグナシオとビーチバレーで遊びたかっただけなのだが。
 アヤメは例の二人組を観察しながらため息をついた。恐らくああやってナンパして、勝てる勝負をしかけては負けた相手の身体もいただいてしまおう、という魂胆がよく見える。そしてビーチバレーに興ずる動きはどう見ても経験者のソレだ。
 もしかしたらビーチバレー勝負そのものは分が悪いかもしれない。
 
(……まぁ、ビーチバレーに負けても、最終的にケンカで勝てばいいのよ)

 最後には物理で勝つ。

 その様子を海の方から見ていたイテツとタロウだったが、特に加勢することなく傍観することにしたようだ。アヤメがついているから大丈夫だろう。



 実際に試合が始まると、男たちはイグナシオを集中的狙ってくる。彼はレシーブが苦手であることに加え、先に潰してしまおうという作戦らしい。そしてその判断は的を得ていた。
 ボールの動きが目で追えて、身体が反応してもそのボールをうまくコントロールしてアヤメの方へあげることができない。腕にあたって思わぬ方向へ飛んでいく。
 その様子を見て、男たちは完全に勝った、と確信したようだ。下品な笑みを浮かべて挑発してくる。そして足手まといになっている事実が余計に彼を苦しめた。
 しかしアヤメはそんなイグナシオにそっと耳打ちをする。その内容に驚いた彼は、いいんデスか? とアヤメの顔を見た。いいのよ、と彼女は笑った。そしてイグナシオの肩を軽く叩き、ネットの方へ向き直る。
 再び自分の元へ飛んできたサーブを、イグナシオはアヤメのアドバイス通り足で受けた。サッカーが得意な彼は足でのボールコントロール方法を熟知している。その絶妙なコントロールでふわりと浮いたボールに合わせて飛んだアヤメの強烈なスパイクが砂地に突き刺さる。完全に油断していた男たちは一歩も動けずにいた。
「……さて、我慢の時間は終わりよ。こっちのペースにさせてもらうわ」
 サーブ権を得たアヤメがそれはそれは楽しそうに笑った。


 相手は元プロだったとしても、引退してから素人相手に勝てる試合しかしてこなかったようで、体力は人並みだった。そんな2人が体力という面で、現役で諜報機関にてバリバリ働くアヤメと標高3000m級で生活してきたため根本的に運動能力の高いイグナシオに敵うわけがない。ラリーが続けば続くほど、不利になるのは彼らで疲れた隙を狙われる。
 点差はじわじわと詰められ、逆転され、次のセットは積み上げられた疲労が彼らの動きを鈍らせ、最終的にストレート負けになったのは男たちの方だった。
 息を切らし、がっくりと膝を付く彼らの元へアヤメとイグナシオが歩み寄った。男たちは自分たちの負けが信じられない、といった様子で、こちらを見上げてくる表情はかなり動揺していた。
(…別に、勝ったからといって、こいつらに何かしてもらうつもりはさらさら無いし……どうしようかしら)
 チラリ、とイグナシオの方を見ると、イグナシオはじゃあ1ついいデスか、と口を開いた。
「……負けた方が、1日ナンデモいうこと聞くんデスよね」
 男たちは無言で俯いている。
「ソレなら残りの試合は全部、全裸で出場してクダサイ」
「!?」
 思いがけない言葉に驚き、男たちはイグナシオを見上げた。彼は終始笑顔だったが、目は全く笑っていないと、ここで気が付く。
「布面積が少なければ少ないほどいいんデショ? これで負けナシですネ」
 ただし、出られればのハナシですが、と笑顔のままではあったが冷たい目で見下され、その視線に耐えきれず彼らは再び俯いてしまった。

(服の事についてバカにしたの、根に持ってやがったかぁー……)

 その一部始終を観ていた観客たちのテンションも相まって、周囲からの脱げコールを全身に浴びながら後悔したところで、あとの祭りだった。

#ノート小説部3日執筆 お題:海岸。海岸?海岸ってどこまでだっけ? 

真夏の雲一つない晴天。平日の昼間でガラガラの電車に青年は少女と一緒に乗っていた。遅くに起きた青年は窓の外を見ている少女に「おはよう」と言ったら、ぽつりと「……海……」と呟かれた。滅多にどこかに行きたいとは言わない彼女の気紛れか、あまりの天気の良さのせいかはわからないが、それで青年は少女と一緒に電車に乗っている。海まで。
 海を眺めるだけならばもっと近くでもいいのだが、少女がビルの立ち並ぶ街でふと呟いた声には懐かしさが含まれているような気がして青年は少し遠くを目指していた。砂浜を踏める海岸。
 車窓から見える景色に時々、海の青が混ざるようになってきて、都心部から離れたことを知る。電車などに乗らなくとも、青年も少女も距離を超越できるけれどそういうことをほとんどしない。人間には備わっていない力の存在を知っているけれど、なるべく使わない。人間の作ったものを使う時は提示された使用料金を払う。それが少女のやり方で、青年は自然とそれに慣れてしまった。
 次の駅のアナウンスで青年はふと顔を上げた。随分と長い間、電車に揺られていてどこにいても窓の外を見詰めている少女の横顔を見ながらほんの少し夢を見ていた。目的の駅を聞いてひとつ伸びをするとすっきりした。
「お嬢。次で降りるよ」
「うん」
 普段は無表情でいることがほとんどなのに、少女はのんのりと嬉しそうな顔で頷いた。ふと、青年は少女のそんな顔にどきりとする。
 がたん、と電車が止まって停車のアナウンスが流れて青年は慌てて少女の手を取ってホームに降りた。少ない人の流れに流されて改札を出るともうほんのりと潮が香った。
「あー……ええと、どっちだっけかな」
 もう遥か昔に来たきりの海岸の町で、青年は駅を出た道を眺める。当然、道も景色も変わっていて海岸へと向かう方向に迷う。
「こっち」
 手を繋いだままの少女が立ち止まった青年の手を引いて先に歩き出した。青年は少女に手を引かれるまま「うん」と言って後に続く。
 ゆっくりと歩いて、道路の途中に海岸へ降りる簡素な階段を見つけてそこから浜辺に降りた。階段から降りてすぐはまだ砂が固いけれど、歩くにしたがって足元が柔くなっていく。
 ふらりと出かけて、着るものなど構ってもいないから砂浜に近付くごとに靴に砂が入ってくる。けれど少女はそんなこと気にならないのか、歩く速度が普段よりも早くなって、青年の手を離して走り出すとその先で砂に足を取られたのか、ぺしゃりと転んだ。
「ちょ……!? お嬢、なにやってんの! 大丈夫?」
 ありえないものを見たような気分で青年は驚き、少女に駆け寄った。
「お嬢、立てる?」
 転んだ場所で起き上がって、少女自身も驚いた顔をしてぼんやりとしていて青年は本気で心配した。転んだくらいでどうにかなるような存在ではない。怪我もしない。けれど、少女の様子がいつもと違う方が青年には心配だ。
「砂浜、久しぶりね」
 ふと、少女は青年が見たことのない綻ぼような顔を見せた。その顔に青年はまたどきりとする。
「そうだねえ。前に来たのっていつだっけ」
「忘れちゃった」
 青年には雁字搦めのように見える少女が全部投げ捨てるように返事して、笑う。真偽のほどは定かではないが、普段の少女ならいつなのかちゃんと答える。今日の少女はどこか普段と違う。青年が戸惑っていると、少女は靴と靴下を投げ出して立ち上がると波打ち際に駆けていく。走る少女の結い上げた長い髪が潮風に靡いて、揺れる。
 どうして海などと言ったのだろうかと考えながら、青年は少女が転んだ場所に座り込んで波打ち際に遊ぶ後姿を眺めていた。
 白い制服姿の少女が素足で波打ち際で遊んでいるのは無邪気で可愛らしい。その光景だけならば。
 けれど、青年はどうしてだか寂しいと思う。世界から雁字搦めにされて自分も雁字搦めになっている少女が無邪気に遊んでいると置いて行かれたような気分になる。自分もまた、少女を縛っている一部なのだと気付く。形式上は眷属で、実際にもそのように作用しているのだから事実なのだが、少女は気持ちひとつできっと青年を手放すことも簡単なのだ。
「雨! ねえ、あーめ!」
 大きく呼ぶ声に青年はぼんやりとしていた視線の焦点に少女を戻した。白くて細い手を振って青年を呼んでいる。彼女が青年に与えた名で。
「おいで」
 そんな簡単な一言が青年に動く理由を与える。
「お嬢さあ、また転ばないでよね」
 青年も靴と靴下を放って少女の方へと走った。青年が波打ち際に足を踏み込もうとしたときに、いきなり少女はこちらに向かって手を伸ばして水を蹴った。
「あ! 待ってお嬢!」
 咄嗟に青年は叫ぶけれど、それより先に小さな躰の重みを受け止めてなんとかバランスを保った。
「あのさあ、お嬢。転ばないでよって言ったよね? なに? 俺、巻き込みなの?」
 青年より背の低い少女にジャンプして抱き付かれると、少女の足は地面につかない。それがわかっているならまだしも、不意打ちではいくら青年でももろとも倒れてしまうところだった。
「受け止めてくれたじゃない」
 くすりと少女は楽しそうに笑う。
「そりゃ、お嬢のことは受け止めるよ。でも、俺が転んだらお嬢だって道連れなんだからさ」
「いいの。雨と一緒ならどっちでもいいの」
「今日はさ、楽しそうだね」
 青年が抱いた少女を下ろして、そんなことを言う。いつもより随分とよく笑う。人形のように整った美貌なのに、人形のように表情を変えない少女が、見た目通りの年頃の子のように笑う。
「天気が良くて、夏で、久しぶりの海で、雨と一緒だから」
「あのね、お嬢。そんなの、海以外だいたいいつもと変わんなくない?」
「いいの。もう。雨なんてこうしちゃうのよ」
 不機嫌を表したかと思うと、少女はまだ距離の近い青年を両手で突き飛ばした。思わず不機嫌顔にも見惚れていた青年には不意打ちで、軽い衝撃なのに足元の砂が滑って波打ち際に倒れた。盛大な水音がして、海水が跳ねて口に入ってきて塩辛い。
「お嬢ー。ねえ、お嬢? これなんの仕打ち?」
 波打ち際に倒れたまま青年は青い空を見上げたまま大の字になった。もうここまで濡れてしまったら諦めもつく。
「雨が楽しそうじゃないから。説教臭いこと言うから」
 ばしゃんと水音が鳴って、青年の隣に躊躇いなく少女は倒れ込む。本当は海水に濡れようと着替えがなかろうと困る存在ではない。人間に紛れ込もうとして、それらしい仕草が身についてしまっただけで着るものさえ必要ない存在だ。形式上、便宜上、ただその真似をしているだけ。本来はそうで、転ぼうと濡れようとなんら支障もないことを思い出して青年は笑った。
「あー……、うん。ごめんね、お嬢」
 ひとしきり笑った後、青年は波に揺れる砂に埋もれかけた少女の手を繋いだ。
「ねえ、お嬢さあ……こんな天気いい夏の海でずっとぼんやりしてたらこのまま一緒に溶けないかなあ」
「それもいいわね」
 握った手の先で少女は笑った。

#ノート小説部3日執筆 「ライフル射撃競技ダイマ物語」 お題:オリンピック・パラリンピック 

ふぅ、と息を吐き、狙いを定めて引鉄を引く。
それを寸分違わず60発。ただそれだけの競技がライフル射撃だ。
僅かでも力めば弾は容易く逸れる。そのミリ単位の逸れが失点になり、その1点が勝敗を分ける。
撃ってる本人にとっては神経を磨り減らす過酷な時間だが、外から見る分にはすごく地味だ。近年は電子標的が導入されたため、射撃結果は即時モニターに映し出されるようになったが、オリンピックレベルともなればみな満点に限りなく近いのが当たり前で、つまりは映像映えしない。
なので中継映像はあっても専ら決勝戦、予選では1発10点が最高点なところを10点の中でもどれだけ中心に近いところを撃てるか小数点以下まで算出して競い合う10発競技の部分のみである。
この決勝戦はたった1発撃ち損じただけでトップからメダル圏外に転がり落ちることもある非常に手に汗握る競技で私は好きなのだが、同居人のミカに言わせるとそれでも地味らしい。
「ねぇ、それ何が面白いの? 画面全然動いてなくない?」
「今いいとこなの! ……あっ、今の絶対ブレた! ほら、10.1とかこれは逆転の目も出てきたわよ……!」
白熱する私とは対照的に、ミカは冷ややかだ。
「いやわからんて……全部同じだって……ていうか日本人選手いなくね?」
「うっ……そ、それはねぇ……その……みんな、予選落ちしたからで……」
……なかなか痛いところをついてくる。
銃を所持するハードルが高い日本は、ライフル射撃の競技人口が少ない。そして練習や試合ができる場所もかなり限られているので、大学の部活動で競技を嗜んでいた人たちもよほどの物好きかそういう技能を必要とする職に就いた人を除いて卒業と同時に競技人生を終えてしまう。
故に選手層が薄く、国際試合で好成績を残せるような選手がなかなか育たないのだった。
……まぁ、かく言う私も卒業と同時にドロップアウトしたクチなのだけど。
だから私がこうして今も射撃競技を観戦しているのは単に「もし私が今も競技を続けられていたら、あそこに立っているのは私だったかもしれない」という夢を見たいだけなのかもしれない。あまりにも未練がましいので認めたくはないが。
しかし彼女のような競技の楽しさを知らない人間に刺さるのは結局そういう情念の部分くらいなのである。
故に私は不承不承ながら彼女にはそのように説明することにした。
「えっ、きょんちライフル撃ってたの? すげー! じゃあゴルゴみたいにビルの上から狙った通行人をスパーンッと撃てちゃったり?」
するとまぁ案の定そういう勘違いめいた反応が返ってきた。
「標的射撃のライフルは前方に絶対人がいないことを確認してからじゃないと撃ったらダメなの! 標的射撃に限らず猟銃もそうだけど! そのへんをちゃんと守らない猟銃持ちとかが事故起こすから年々規制が厳しくなるのよぉぉぉ!」
「やべ、地雷踏んだ……で、でもさ! そういう風に思うってことはやってた頃は結構いいところまで行ってた、ってコト?」
「……一度だけ、全国大会の決勝には出たことがあるよ」
「すっげー! 全国?! えっ何、もしかしてきょんちって小さい頃から銃習ってたりしてたん?」
そう水を向けられて、話を逸らされているのだと頭ではわかっていてもちょっと浮かれた気持ちになってしまう私は正直チョロい。
「いやまぁ、射撃は競技人口あんま多くないからさ、大学から始めても結構サクッと全国大会までいけたりすんのよ」
そう、実は全国大会出場自体はそんなに難しくないのである。決勝に残るとなると話は別だけれど。
「それでもすげーもんはすげーって! じゃあ今この中継でやってるみたいに『No.1 Kyoko Kiyose, ten-point-nine』とか実況されながら撃ってたってコト?」
「まぁ、一応ね……緊張して外しまくったから10.9なんて一度も出せなかったけど」
だから余計にオリンピックなどという大舞台で当たり前のように10.9とか撃ってくる彼らに対してつい熱狂してしまうのだ。
ともあれ今の話で同居人はわからないなりに納得してくれたらしく、そこからは二人でなんやかや言い合いながら画面の向こうで行われている決勝戦の行方を見守ることになった。
10.8、10.5、10.7……と10点台が続く中で1人だけ9.8とコールされた選手がいて、その時ミカは「えっ、この競技9点とかあるんだ?!」と何とも初々しい反応をした。
「普通に0〜10まであるよ。学生レベルだと普通に8点とか9点とか撃っちゃうし。決勝、しかもオリンピックでやっちゃったら負け確って感じだけど」
ちなみにその9.8を撃ってしまった選手は先ほど10.1だった選手で、彼はこれによりメダル圏外が確定的となった。
「あー、だからこの人試合終了なの?」
「それもあるけど厳密にはこの後全部10.9出してももうメダルには届かないから終わりって感じ」
「ひえー、きびしー」
競技のことを1ミリも知らない彼女と見る決勝戦は、自分の中では既に当たり前となっていたことを改めて気付かされることとなり、それはそれで新たな楽しさがあった。
私とミカ。生い立ちも性格も正反対だけど理由あって同居することになった二人。
その生活が案外長く続いているのはお互いにこういう新たな面白さを分け合えるからなのだろう。
願わくばこれからもこうして楽しさを分け合えますようにと私は密やかに願ったのだった。
おわり

#ノート小説部3日執筆 の第21回を8月5日(月)~8月8日(木)の間で開催します!お題を決める投票をこのノートの投票機能で行います。Misskey.ioノート小説部のDiscordサーバーの参加者に募ったお題と前回から繰り越されたお題あわせて10個のなかから一番人気のものを第21回のお題とします。今回は8月8日(木)の24時間の間に公開する運びにしましょう。順位はつけません。一次創作・二次創作問いません。R18作品は冒頭に注記をお願いします。よその子を出したい場合の先方への意思確認とトラブル解決はご自身でお願いします。皆さんの既に作っているシリーズの作品として書いても構いません。ノートに書き込むことを原則としつつ、テキスト画像付きも挿絵つきも可です。.ioサーバーに限らず他鯖からの参加者さまも歓迎いたします。それでは投票よろしくお願いします!

#ノート小説部3日執筆 鰻丼が食べたいのじゃねえ/お題「オリンピック」 

「何食べるか迷うくらいなら、作ってあげるって言ってるの」

 やる気のある彼女に押し切られて、暗がりのソファに座る。

 さっきまで、窓の外を揺らしていた雷が通り過ぎ、
 晴れた星空には雲が流れていた。

 珍しく民放が流れたテレビからは、
 オリンピック会場の歓声がリビングの空気を満たしている。

 夢中になって盛り上がるというほどではないが、
 気が付くと視線はテレビにくぎ付けになっていた。

 どうして、普段興味のない競技に
 こうも熱中してしまうものなのだろうか――
 
 そんな下らない疑問に頭を巡らせるも、
 ふと、いい香りが漂ってきたキッチンに目を向ける。
 
 甘い醤油とみりんを煮詰めるような匂いは――
 脂っこいものが食べたかったので、本当に嬉しい。

 彼女は鼻歌交じりでフライパンに向き合っていた。
 随分と楽しそうな笑顔、時より踊るような立ち振る舞い。

 実況の音が遠ざかるなか、彼女が振り向く。

「まぁまぁ、期待してなって」
 そうか、テレビより彼女に夢中になっていたのか。

 せめて、バレた恥ずかしさから視線を逸らし――
 遠い世界での熱狂に耳を傾けることにする。

◆◇◆
 
 再び、テレビへの熱中が最大になったころ――

 彼女の「はい、どうぞ」という声と共に、
 ことりと丼が置かれた。

 ふわりと湯気とともに香るのは甘い蒲焼の匂い。
 その瞬間、胃が “待ってました” と言わんばかりに喜びの声を上げた。

「鰻丼だ」
「丑の日も近いからね」

 そういえば丑の日は一度じゃないんだっけ――
 兎も角オリンピック、僕らは鰻丼を食べる。

 鰻丼は、椒がかけられた分厚い鰻の身が、
 器一杯、細かい切れ込みとともに乗っていた。

 食べやすいように――と、気を使ってくれているのだろう。
 そのまま丼を手に持ち、遠慮なく一口をほおばる。

 すると、茶色いタレをじっくり吸った米に合わせて――
 鰻特有のふっくらとした食感が口いっぱいに広り、溶けていく。

 醤油と砂糖、みりんを煮詰めて、
 魚の出汁が入った甘しょっぱいタレの味わいは、
 より、鰻の旨味を引き出す深みのあるもの。


 これが、鰻に絡まると、夏の滋味の頂点となる。
 いや、本当いこれ以上の美味さは表現できないほど――

 癖はないが、特有の鰻の味は説明が難しい。
 関東風のかば焼きの濃厚な味わいは、同種の魚以外では味わうことが叶わない。
 
 一切れ、口の中に入れて広がるのは、腹の脂がのった旨味。
 そして、背の少し歯ごたえのある皮目の味わい。

 焦げたタレの甘じょっぱさと共に、、山椒の香りが鼻腔を抜け 鼻に抜ける爽やかな香りと、舌の上でピリリとした刺激が広がる。

 飲み込んだ直後に、鰻の旨味が喉に心地よく残る。
 そして、脂っこい味わいは、次の一口を求めて止まらない。

 即座に箸でがつがつと――乱暴に白米を咥内に送り込む。
 米の優しい甘さで、濃い味わいを中和する。

 そして、もう一口、鰻を口にほうばる。
 甘じょっぱい味わいが、再び口に広がる。

 そして、米だ。
 鰻一切れで、多量のタレで茶碗半分くらいは優に掻き込める。

 だが、上段の鰻を、もくもくと。
 ショートケーキのいちごを遺すように食べていると――

 鰻がもう一枚、米の間に贅沢に挟まっている。
 そういえば、鰻丼とはこういうものだったのだ――と、自分の中で納得しつつ感謝する。
 
 口直しの錦糸卵を齧りつつ、再び鰻へと箸を動かす。
 テレビの中では、引き続きオリンピックのどこか遠い喧騒がテレビ越しに伝わってくる。オリンピックが始まってから、随分と日が過ぎた気がする。

 そうか、もう八月か。
 
「おいしかったでしょ」
 と、わらう姿に「美味しかった」と、一言返し、「食器洗うから」と告げて立ち上がる。
 
 じゃあお願い、と帰ってきた言葉と共に洗い物の山と向き直る。
  
 ふと、スポンジから視線を逸らすと、あんまりオリンピックに興味がないと言っていた彼女もテレビの中継に熱中していた。
 だれもがこうなるのだから、この熱狂に理由は要らないのだろう。

 そう考えているうちに、夏は過ぎていく。

#ノート小説部3日執筆 お題【オリンピック・パラリンピック】 

「深海の攻防」



 四年に一度の祭典は、世界が熱狂する。この日のために皆、ありとあらゆる準備を進めているのだ。

 無論、それは妨害工作も含まれる。



「……あーあー、聞こえるか? TR、TRです、T2、AYどうぞ」
『…T2問題なし、どうぞ』
『……AY問題なし、どうぞ』
「TR問題発生、地下鉄で爆破あり、負傷者多数、援軍要請、以上」

 無線で端的に現状を報告したタロウは、改めて周りを見渡した。電気の落ちかけた地下鉄の駅で、崩れるコンクリートにより巻き上がる土埃、人々の悲鳴、怒号、パニックに叫び、泣く声。どこから手をつければいいのか皆目見当もつかないが、怪我人の救助を最優先にする。
 救助部隊の到着はもしかしたら厳しいかもしれない、そう仮定して動いた。無線からは他の場所の状況についての報告も飛び交っている。どこに人員を割くか、上層部の連中も頭を抱えているだろうな、とため息をついた。
(……よりにもよって、オリンピックという平和の祭典の最中にクソでけぇやつを起こすんじゃねぇ!)
 しかし国際的な思惑も大いに蠢いているのだから、裏側は常に大荒れするものだ。
 国際的な諜報機関に属する者たちは、常々、何かが起きる前に止めるため、水面下で働き続けていた。それでも彼らの手をすり抜けて浮上していくものはどうしても存在する。そして工作員たちもそこまでに到達するまでには多大なる犠牲を払っているのだ。譲れないもの同士が水面のもっと下で―まるで深海の如く暗く静かに―大いに衝突しあっていることなど、祭典に華々しく登場する主役たちには知られなくていいのだ。そしその活躍を見守る世界の人々には主役たちの奮闘する感動的な姿が届けばいい。
 しかし昨今の情報社会では、事件事故がいち早く大々的に報道されてしまう。何度も何度も、速報と言っては横入りのように不躾に飛び込んでくるからだ。それは主役たちの輝かしい姿を映す時間を奪っていく。そしてわかっていながら防げなかったタロウは腹の底から怒りに震えた。
 祭典の規模が大きければ大きいほど、どれだけ警戒しようと手薄な箇所は生まれてしまう。他は防げても、小さな隙間をついて一つでも大事を起こされてしまえば、すなわちこちらの負けである。主犯格を抑えようとも、起きてしまえば無意味だった。
(……死者は、まだ出てないが……はやく地上に出なけりゃ、状況が悪化していく一方だぜ……)
 すぐ近くで瓦礫の下敷きになり、呻いている男性の元に駆けつけ、その下から出るのを助けた。幸い、大きなケガにはなっていなさそうだ。彼は自分の手足が異常なく動くことを確認すると、タロウに礼を述べ、別の負傷者の元へ駆けつける。その背中を見送ると、タロウの無線機がまた騒がしくなった。その中で、聞き覚えのある懐かしい声がタロウを呼ぶ。
『……TR、聞こえてますかどうぞ』
「……聞こえてます、どうぞ」
『……こちらBGです、BG他、救急隊員4名、地下鉄の救援に向かいます、どうぞ』
「……それはありがたい、ただ地上へ続く最短経路が崩落、そこを開通させる必要あり、どうぞ」
『……了解、以上』
「……」
 声の主は、タロウが今の国際的な諜報機関に入る前、傭兵時代に同じ隊に所属していたインド人だった。彼もまた、タロウと同じ様に傭兵を辞めたあとは機関の東南アジア支部に所属を変えている。それは知っていたが、まさかこの状況下で再会することになるとは思っていなかったので、内心はかなり動揺していた。傭兵時代に関わる記憶は良いことも悪いことも含めた、複雑な感情を呼び起こしてくる。
 これで救急隊員が到着して、地上への道が開通する希望は持てた。時間の経過と共に人々も冷静さを取り戻し、動ける人間は、負傷者を助けている。混乱が大規模にならなくて良かった、とタロウが胸を撫で下ろした時、地下では大きな振動が生じ、天井のコンクリート片がバラバラと降ってくる。これはまずいのでは、と誰しもが顔を見合わせ空間には不安が漂う。
 だが、それは救急隊員の到着を知らせるものだった。彼らが塞がれた地下への通り道を開通させたからである。先頭の小柄な男は、タロウ見つけると急ぎ足で近寄ってくる。
「……遅れまして申し訳ありません、只今到着いたしました」
「……謝ってくれるな、来てくれて本当に助かった」
「……シュ……じゃなかった、サトーさんの対応あってこの規模に抑えられたわけですね、さすがです」
 傭兵時代の偽名を言いかけ、彼は慌ててそれを言い直し、タロウに敬礼するとすぐ共に来た隊員の元へ戻ると彼らに指示を出している。タロウもそこに合流し、現場の指揮権を改めて彼に渡した。

 彼の的確な指示により、地下鉄の一角で起きた件は大事に至らずに済んだ。しかしそれはあくまで氷山の一角であり、彼らが終了の報告を上げると直ぐ様、次の現場が指示される。
 大使館への襲撃予告があり、それの真偽を確かめなければならない。

「さて、次もきっちり抑えてしまいましょうね」
「おうよ、お前もいるから秒で終わるわ」
#Noトラブル!Noライフ!

※現実に起きた戦争についての言及あり【#ノート小説部3日執筆】『記念碑』(お題:オリンピック) 

2021年。サラエボ。

 お客さん、どこ行くの? ああ、イグマン山ね。それでこんな山ん中のホテルに宿を取ったってわけ。イグマン山は涼しくていいよ。この国も、夏は暑いからさ。外国から来る人は、たいてい涼しいんじゃないかって思い込んでるけどね。お客さん、どこから? ドイツ。訛りがあるからそうかなと思っていた。

まあ、8月に行くなら、ああいう山の上がいいよね。とはいえ、あそこにあんの、小さなレストランとオリンピックで使われたジャンプ台ぐらいよ。

 お客さん、脚悪そうだけど大丈夫? あ、失礼だったら悪いね。タクシー降りたら、そっからリフトで登って、ちょっとばかり歩くから、気になっちゃって。リフトっつってもスキー用だから、囲いもなんもないのよ。

 スキーのジャンプ台、見るだろ? あんなところへ行って、ひとりで他にやることもないだろうし……。あ、片足、義足なんだ。ちょっとした手助け? いいよ、心配だからついてくよ。そのかわり、リフト代はお客さん持ちでいいかな。あれ、けっこう高いのよ。

***

 ああ……ああ……信じられねえ……恐ろしかった……。震えが止まんねえ。俺、ほんとうは高いところ、怖いのよ。

 すまんね、手助けどころか、俺が助けられちまった。ふう、コーヒーはいいねえ、落ち着いた。もう大丈夫だよ。しかし、お客さん、ほんとに上手いこと歩くね。義足、十八から使ってるって? それだけじゃ、そうはならんでしょ。いい装具士に恵まれたのかね。もちろんあんたの頑張りもあったんだろうさ。はは、あんたなんて言っちまった。俺にも息子がいたからさ。

 ジャンプ台? だいじょうぶだよ。ここまで来たんだから付き合うさ。ただ……ちょっとばかし、目をつぶって歩くかもしれないけれど。

***

 ヒィ、ヒィ、息が切れるね。この階段……まだあるの? お客さんも下を向いちゃって、実は高いところ、怖いクチ? 俺は振り向かなけりゃ……。………………お客さん……。
………………
………………
ちょっと休もうか。だいじょうぶかい? ちょっ、人がかしたハンカチで鼻までかむんじゃないよ!

……帰るかい? そうか、まだ登るか。いいさ、気がすむまで見ていきなよ。俺も付き合うから。

ほら、審判員が詰めた建物はすぐそこだ。懐かしいよね。スキージャンプは、東ドイツが強かったな。ここをシューッと……心躍ったものさ。それがいまではこんなに苔まで生えてすっかり廃墟に……

 何、廃墟じゃない? ああ。すまない。そうか、これは親父さんが……。そりゃ誇らしかったろうな。俺の知り合いにもたくさんいたよ。土木に建築……親父さんと同じく、みんな一作業員さ。でも、揃って顔を輝かせていた。あの「平和の祭典」を支えられるんだって。

それはムカつくよな。ネットで「放置された廃墟」なんて書かれていたらさ。それで、このわけのわからん疫病が流行るなか、わざわざドイツから見に来たってわけか。うんうん、わかってたさ。訛ってたって、あんたこの国の生まれだろ。

 そうだな。これは記念碑だな。たったひとつのさ。あんた、てっぺんまで行ったら写真撮ってやるよ。それとも降りてからのほうがいいか。持ってるだろ? スマホ。遠慮すんなよ。賭けてもいい。あんた、昔の写真なんて、何ひとつ持っちゃいないだろ。着の身着のまま、みんなそうさ。せっかくここまで来たんだ。ひとつぐらい、残るものがあってもいいだろ?

 さ、手ぇかしな。降りるほうがめんどうだろう。ここはさ、いいところだよな。緑に囲まれて、静かで、涼しい。リフトだってちゃんと動いてる。地雷だってもうないし。ハイキングを楽しむヤツらも多い。そりゃあいろんなことがあったさ。でも今日が来て明日が来て、そのまた明日が来て……今は今だよ。スキー台はたしかに朽ちちゃいる。それはあんたも認めざるを得ないだろ? でも、こうして公園になってんだ。案内板にも、ちゃんとスキー台って書いてあったろ。外のヤツらがなんと言おうと、立派な遺産だよな。

***

 さて、お客さん、この後、時間あるかい? 俺もクタクタだけど、もう一か所連れて行ってやる。ここから車で50分ぐらいのとこ。サービスだよ。何も追いはぎしようってんじゃないから、安心しな。今度も山だが、ちゃんと座席のあるロープウェーがある。んで、サービスしといて言うのもなんだけど、街へ帰ったら、ハンカチ弁償してくれよな。

***

 ほら、あと少しだ。やっとわかってきたか、そう、ボブスレーの試合をやってたところだ。今日ならきっといると思うんだよな。何がって? 会えばわかるさ。いたいた! おーい、あんたら! いや、別に咎め立てしようってんじゃないんだ。若ぇのがマウンテンバイク乗り回して頑張ってんなと思ってさ。ええ? パリ五輪目指してるって? そりゃ楽しみだ。パリっていつだ? 2024年か。女子の水泳選手にもすげえのいるだろ? この間のローマのジュニア大会で金を取りまくってた。その子も、その頃はジュニアじゃないだろうしな。うん、こりゃあ楽しみだな。

***

 ここのロープウェイが再開したのは、4、5年前かな。街がよく見えるだろ。すっかり観光地ってわけだ。

 なあ、あんた。俺はずっとこの国にとどまって生きてきたよ。あんたが国を出たのが、いつなのかは知らない。俺には俺の、あんたにはあんたの地獄があったんだろうな。でも、まあ、あんたにこの景色を見せられるなら、俺はここにいてよかったと思ってるよ。

もう泣くな、泣くな。そうだな。あんたの親父も俺ぐらいだったろうな。俺の息子も生きてりゃ、あんたみたいに頭の上が薄くなってたろうさ。どうでもいいけどあんた、ハンカチ買って返せよ。洗うんじゃダメだ。今じゃ街にゃ、ハンカチぐらいいくらでも売っているんだから。

#ノート小説部3日執筆 お題【オリンピック】 筋肉賛歌(BLGLカップル有) 

「筋肉を讃える日」

 ――オリンピック。それは、四年に一度の世界的イベントだ。普段はスポーツにあまり興味のない
祥順(よしゆき)ですら、この熱狂に巻き込まれる。
 コミュニケーションの為にある程度は把握しておかないといけないという義務感が半分。残りは、なかなか観戦する機会のない競技が見られるからという好奇心である。

 一応、見たい競技はある。それは馬術だ。
 ルールを覚えるだけでも大変だったり、普段からあちこちで試合をやっていたり、あまつさえ放送されるから希少感がない競技も多い。
 それに比べて馬術は軽やかに駆ける馬を観ているだけでも良い。騎手と馬が一体となって動くさまは、気持ちが良い。そういえば、祥順はドッグスポーツを観るのも好きだ。犬を飼ったりはしていないから、こちらも観る専門である。
 もしかしたら、ルールなどを細かく確認することがなくても何も考えずに観る事ができる競技が好きなのかもしれない。

 その一方で、浩和は体操競技が好きらしい。確かに、祥順も嫌いではない。これもあまりルールを調べずとも何となく良し悪しが分かるからだ。
 馬術は日本時間で夕方から夜がほとんどで、体操は夕方もあるが、深夜帯がほとんどだ。そして奇跡的に、時間が被っていない。素晴らしい。
 最悪それぞれ観戦すれば良いと思っていたが、せっかくなのだ。一緒に恋人と楽しみたいと思うのは、祥順の中では当然の流れだった。

 ――しかし、である。祥順の目の前には、恋人である浩和の他に、千誠と寛茂だけではなく紗彩と明寧までいる。それぞれ思い思いに酒のグラスまで持って、観戦の準備万端だ。

「全員集合、だな……」
「あ。カジくんはタキくんと二人きりで観戦したかった……と」

 
千誠(ちあき)がにやにやと意地悪い笑みを浮かべてハイボールを飲んでいる。彼は酒のつまみを大量に持参――それを全部寛茂に持たせていたが、彼は千誠にこき使われて幸せそうだった――して、さも訪問する予定があったかのように振る舞っていた。
 もちろん突然の訪問だ。

「当たり前だろう?」
「ありがとう」
「夏で暑いんだから、暑苦しい真似すんなよなぁ」

 祥順がむっとした表情を作って当然だと言えば、すぐ横にいた浩和の唇が頬に軽く触れる。さらっといちゃついた二人を見て、千誠がけっと悪態を吐く。

「まあまあ、良いじゃない。邪魔してるのは私たちなんだもの」
「紗彩……そう言うなら、来なきゃ良かっただろ」
「え? だって、この方がおもし、楽しそうだもん」

 紗彩は「もうすぐそっちに行くね」と浩和に連絡を寄越した数十分後に白ワインを手に現れた。その隣にはもちろん
明寧(あかね)が。
 ドアを開けた祥順は、中途半端な笑みを浮かべながらワイン――わざわざ冷やしてから持参したらしい――を受け取った。
 明寧の方はと言えば、きっと甘い系のつまみがないだろうからと言ってチョコレートなどを持ってきていた。
 大きな保冷バッグの中にはチョコレートとボックスサイズのアイスクリームが入っていた。やりすぎだろ、と思ったが白ワインを持っていない方の手でその荷物を受け取ったのだった。

 本当は浩和と二人きりで、のんびりと観戦したかったのに。せっかくの土曜日がだいなしだ。
 にぎやかな雰囲気の部屋に、ため息を吐いてしまいそうになる。

「ねえ、もう馬術始まっちゃうよ!」
「あ! 観る!」

 紗彩の声に我に返った祥順は、慌てて画面へと視線を向けるのだった。



 周囲の状況など気にならないくらい馬術に集中していた祥順は、いつの間にか千誠がキッチンを借りて早めの夕食を作り始めていたのにも気付かなかった。
 千誠は馬術にはまったく興味がなかったらしい。観終わる頃には、テーブルにたくさんの料理が並んでいた。冷蔵庫の中身がすっからかんになっていないだろうか、と祥順はちょっとだけ気を遠くしたくらい、食材が使われている。
 浩和がそのあたりは監視していただろうし、きっと大丈夫なはずだ。そう思う事で気を取り直す。

「今日はフランス料理だぞ!」
「……何でも作れるなぁ」

 突然乱入してきたのは困ったが、彼の調理技術はすごい。和菓子屋の息子で、修行もしていた時期があったらしいのだから、元々の能力は高いのだろう。いわゆる素養がある、という事だ。

「あっ! これ、この前俺が試食させてもらったやつ!」
「おい、それは言うなって」

 祥順が感心していると、寛茂が自慢げな声を上げた。焦る千誠の様子から、彼は祥順と浩和の家に乱入してフランス料理を振る舞う計画を立てていた――という事だろうか。そういえば、寛茂に渡す為の試作品を食べさせられた事があった。
 彼は一見、誰の事も考えずに行動しているように見えるが、人一倍に外面を気にする男である。祥順が千誠の事を「理想の上司」だとか「完璧な男」だとか思っていたくらいである。
 オフでは自由に振る舞うとか言っている割に、そういうところがいじらしい。
 彼の焦る姿を見てすべてを覚った祥順は、完全に機嫌を持ち直すのだった。

 そうしている内に体操競技の時間になった。男子の予選である。体格の良い男たちが並んでいるのを見ながら千誠の料理を口に運ぶ。
 レモンが添えられた鮭のムニエルは酸味が最高にマッチして、夏を強く感じた。

「そういえば、あなたたち全員……じゃないけど、体鍛えるの好きよね」
「絶対に栗原さんが一番筋肉すごいっす!」

 選手よりも食事に気持ちが行ってしまっていた祥順が紗彩が呟いた言葉に首を傾げるのと、寛茂が恋人自慢を始めたのは同時だった。ただでさえ身長が大きいのに、びしっと手を挙げて叫ぶ男は普段以上に暑苦しい。
 圧迫感すら与えてくるその存在を無視する事はできず、祥順は彼をゆっくりと見上げた。

「いや、それは知ってるよ」
「そうですよね! あっ、最近は俺も頑張ってるんで、仕上がってきましたよ!」

 既にもう酔っているのだろうか。彼は高テンションのまま、来ているTシャツを勢いよく脱いだ。
 確かに、祥順と比べてかなり筋肉がついている。祥順と違って元々運動をしていた男である。少し鍛えればすぐに筋肉がつくのだろう。
 なかなか筋肉がつかなかった祥順は、それを純粋に羨ましいと思う。

「おい、何勝手に脱いでんだ」
「栗原さんもちょっと脱いでくださいよ」
「はっ!?」
「栗原さんの筋肉、俺の自慢なんですっ」

 恋人に弱い千誠は寛茂にTシャツを引っ張られると、服が伸びるからやめろ、と文句を言いながらも素直に脱いだ。比べるべくもなく、彼の筋肉が一番すごい。
 思わずパチパチと拍手を送ると、唐突に隣の恋人が対抗心を燃やした。

「筋肉の量は敵わないけど、俺だってそれなりに均整の取れた体してるんだけどな」

 ボタンを外してシャツを脱ごうとしている男の隣で明寧が叫んだ。

「どうでも良いモノ見せびらかしてないで、本物見な! ほら、日本の番だよ!」
「お、とうとうか」
「いけー!」
「俺の筋肉……」

 祥順は寛茂のかけ声に「サッカーでもあるまいし」と苦笑しながら浩和の中途半端に露出された肌を隠すべく、ボタンをとじていくのだった。

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