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ゲーム『DMC5』で義手のキャラネロは最後まで義手(義手的な)物を使い活躍するが、虚弱のための杖を使うキャラVは、悪役として魔王の力を取り込むことで虚弱を克服しVというキャラも棄却される。井芹真紀子さんが『スクリーニング/アウト・ディスアビリティ』の中で指摘していたディスアビリティとインペアメントの異なる形象が「世界を救う身体」と「世界を殺す身体」に振り分けられることの問題を指摘していた(ということだと思う)けど、このことを思い出す。

義手/義足などの義肢を得ることや失うことが強さや克服の象徴になるが、病弱な身体や機器に支えられるような身体がなにがしかの不毛さや恐ろしい未来の振り分けられること、深刻だと思う。『Life is Strange』も最初の作品でそうした身体障害を悲しい未来と結びつけていて批判を浴びていた(というかあの作品はそれ以外にも色々批判があったけど)。

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