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ウラジーミル•ソローキン『ロマン』途中まで(ネタバレ有り) 

やっと読み始めることができた。国書刊行会から2月に出た新装版。775頁中、今367頁で第2部序盤くらい。

表題のロマンは主人公の青年の名前で、彼は都会の弁護士生活を捨てて故郷に戻り、画家を志す。
彼の美貌は「ドイツ風」美男と表現されている。

以下途中までのネタバレ含みます。

田舎に戻ってきた彼は、親戚や近所の人々との交流と、狩猟など懐かしい故郷の暮らしに心が慰められる。
と同時に、かつての恋人ゾーヤとの再会で胸のざわつきと大きな落胆、幻滅を味わう。

ゾーヤと別れた後、森番の若い娘に出会う。最初は教会で、次は交流の場で、その次は森でさまよい狼を殺した後、森番の家で保護されて。彼女はゾーヤの人目を引く美しさとは異なる魅力を持ち、その子供のような純真でみずみずしい雰囲気に惹かれるようになる…

というのがここまでの流れ。

頁数は長いのだが、情景描写が巧みなためにあまり長さを感じさせない。短時間で300頁以上難なく読めてしまう。この点、エリザベス•ギャスケルの『シルヴィアの恋人たち』を読んだ時にも思った。この話も頁数がとにかく多いのだが、こういうタイプの語り手にかかると、目の前にどんどん情景が浮かんできてあっという間に進んでしまうのだ。

ウラジーミル•ソローキン『ロマン』が面白くて、結構な鈍器本であるにもかかわらず、持ち歩いて移動中に読んでいる。
辞書並みの厚さなので、サブバッグに入れている。

この程度はネタバレにはならないと思うが、以下少し内容。

出だし〜中盤は平和でロマンチック、苦悩はあったものの希望と陽気な空気に満ちていた。
しかし、この本の作者が誰であるかを考えてもこのままでは済まされないだろう。楽しみ!

ウラジーミル・ソローキン『ロマン』読了(ネタバレ) 

ものすごいとしか言いようがない読了感。

第一部、第二部途中までの古典的な文学作品の趣は、終盤に近づくとガラリと変わる。
それまで愛情、信仰、家族、友愛の風景だった。それが、結婚祝いの斧とそこに書かれた「一刀両断」の文言、そして鈴とともに、180度転換する。

そこからは、ほぼ改行なしの暴力・死・悪趣味の連続だった。

「何をすればいいかわかった」と言うロマンは神の啓示を受けたかのように、家族や村人たちに次々に斧をくらわせていく。タチヤーナが鈴を鳴らす→ロマンが誰かの頭部に斧をくらわせるという流れが延々繰り返される。

大量虐殺の後には遺体から内臓を取り出し教会に並べる行為、そしてタチヤーナにも斧をくらわせ殺害、スカトロジー的行為が続く。最後にロマンの行動は「呻いた」「動かした」「身震いした」「痙攣した」「振った」しかなくなり、死ぬ。

アングラ芸術、暴力など、ソローキンにまつわるキーワードから、ある程度は予想していた。前半の古典的物語風景を嘲笑しているかのような終わり方だった。

彼自身画家であったことを考えると、ラストを改行なしで続けたことには視覚的な理由が大いにあったのではないかと思う。
繰り返される同一表現も含め、まるでお経か創世記のようだった。

承前。5月に読めた本は、科学関係を除くフィクションだとたったの2冊。

ソローキン『ロマン』と、昨年ノーベル文学賞のヨン・フォッセ『だれか、来る』

前者は感想を書いた。非常に人を選ぶとは思うが、私は後悔どころか大変よかった。心が居心地悪く揺さぶられる話。よくあるスタイルとは別のrepresentationを体験したいとか、導入からの大転換を楽しみたいとか、そんな予見不能な話が好きならおすすめ。ただgross でもあるので注意は必要。

後者についてはまた改めて。
とても良かった。

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