イケヴィラハロウィンイベントと朔望月、メトン周期(設定ネタバレ)
開催中のイケヴィラハロウィンイベントで、設定として重要な画像の内容が気になった。
朔望月とメトン周期からみて、計算が合わないのではと思ったからだ。
※朔望月平均はおおよそ29.5日。また、メトン周期は19年。
もちろん、月の運動は複雑で、朔望月平均では語れない部分もある。
そこで、話の舞台となっている19世紀のヴィクトリア女王在位期間(1837年以降)の実際の朔望を計算してみた。
英国なので世界時との差ゼロとして:
開始年1837年の10月は13日23時満月、29日11時新月。
最初にハロウィンの日付に満月か新月が来るのは:
1845年10月30日24時(新月)→計算上30日だが、24時についてはオマケで含める
次は1849年10月31日17時(満月)
次は1868年10月31日11時(満月)
その次は1883年10月30日24時(新月)
更に次は1887年10月31日21時(満月)
19世紀最後のハロウィン1900年10月31日は、8時に上弦の月。
よって、数年ごとに新月か満月の一致というのは合わない。20年ぶりというのもやはり合わない。また、主人公の言うように不定期ではなく、メトン周期により19年ごとに月相は一致する。
イケヴィラハロウィンイベントと朔望月、メトン周期(設定ネタバレ)②
前投稿が文字数maxのため続き。
数年ごとに発生する現象であるという点については、
1845年(新月)→1849年(満月)、
1883年(新月)→1887年(満月)、
この2例は独立で、数年おいて新月と満月がハロウィンの日付にある。
だが、たったこれだけの実例では「数年ごと」と表現できないと感じる。
「数年ごと」は数年間隔を何度も繰り返すことを指すと考えるのが一般的ではないか。
こんなことが気になるのは、細かすぎるだろうか?
だが、これは今回のイベントの全キャラのルートで大変重要な、話の前提となる情報だった。
そのため話を読んでいる間はずっと朔望が気になり、頭の中で計算を繰り返してしまった。
イケヴィラハロウィンイベントと朔望月、メトン周期(設定ネタバレ)③
ウィリアムのルートを再読。
前回記憶に残らなかったが、名探偵のたとえでシャーロック・ホームズが出てきた!
ますます混乱している\(^o^)/
ホームズシリーズの初出は『緋色の研究』で、1887年11月に出版された『ビートンのクリスマス年鑑』。
https://www.arthur-conan-doyle.com/index.php/Beeton's_Christmas_Annual
前述の通り、19世紀の英国のハロウィンの新月か満月は1845、1849、1868、1883、1887。
シャーロックホームズ発表済みの19世紀の英国で、新月か満月が10月31日になることは絶対にない。
ここまで検討して、残念だが複数の設定があり得ないと判明した。
ユーザーとしては、乙女ゲームだから話の設定がガバガバでいいとは全く思わない。
商品である以上、話には力を入れてほしい。実際の国や時代を舞台にするなら少し調べれば分かるようなことはきちんと確認してほしいと思った。
イケヴィラアルフォンス本編両エンド後の感想(ネタバレ)①
本編配信後のイベント中に読み終えたいと思っていたところ、今朝までがストーリーFVだったので全部読んだ。アイテム使って好感度MAX特典のエピローグと両エンド後ストーリーも終えた。
⚠️以下がっつりネタバレ注意。プレイ予定の方は読まずにお戻りください。
↓
↓
↓
今までのイベストからある程度予想できたことだったが、怖いというよりは哀しい内容だった。
死ぬと誰にも覚えていてもらえない、本人の痕跡は空白としてしか残らない。
人間の生きている意味は何だろうか?
私は生物学を専攻していたことがあるので、極めて科学的でしかない、純粋に理学としての生物学の観点からはこれに答えられる。
生物の生きている意味は、遺伝子を残すことにある。生物の体は遺伝子の運び屋(ベクター)でしかない。
この観点に立てば、同じ呪いを持つブラウン氏は少なくとも子孫を残したわけだ。だから本人が誰の記憶にも残っていなくても痕跡はゼロではなかった。そこに希望はあったのではないか。
ただし、人間の感情というのは「科学的にはそうだから」と言ったところで割りきれるものではない。情緒的には自分の思い出が抹消されてしまうというのは、言いようもなく辛く虚無感に襲われるものだろう。
続く。
イケヴィラアルフォンス本編両エンド後の感想(ネタバレ)②
人間には、生物としての自然法則だけでなく人間独自の文化がある。
その文脈では誰かの記憶に残ることやミームを残すことも大事なことになっている。
(ミームという用語は近年、ネットミームの意味で使われすぎている。上の文では文化的遺伝子のことを指している)
そういう意味で何も残せない彼が、常に刹那的になり、何に対しても真の当事者にならない態度をとるのはよく理解できた。
少し話がそれるが、私にとって鏡は、小さい頃からちょっと不気味なものだった。
その印象を大きく決定付けたのは、西川紀子『わたしのしゅうぜん横丁』という児童書だった。伯母の友人が書いた本で、小学生のときに読んだ。
主人公の女の子は異国で会った見知らぬ少年に誘われ、物を修理する店が集まった不思議な横丁を訪れる。店主から修理したものの話を聞いたり、修理してもらったり。その中で最も奇妙で不気味だったのは鏡の店だった。詳細はぜひ読んでほしいが、あのすすり泣きや情景描写は子供心に強烈な印象を残した。
アルフォンス本編の鏡で、急にこの話を思い出した。関係のない2つの話ではあるが、自分の中では切り離せない印象としてつながる。話のリフレクションは人の辿ってきた体験に左右される。それが面白いと思う。
イケヴィラアルフォンス本編両エンド後の感想(ネタバレ)番外
ところで、本編、プレミアムストーリーともにセンシティブ描写の多さには割と閉口した(要するに閨事ですが)。
ただ最近、私はそれらを脳内で括弧の中に入れて読んでいる。つまり本筋や要点とそれとを自動的に分離して、サイド的な位置付けにしている。そういう癖がついたように思う。
こういう描写はユーザーにどの程度需要があるものなのか?リリース当初に比べ、イベストでもそのような傾向が顕著に増えてきた。エピローグだけじゃない。数値解放のストーリーでもそう。そういった状況からアルフォンス本編については懸念を持っていたがそれが現実になった。
彼らはヴィランズであり、話の設定上は倫理観がおかしいことが前提になっている。
このため、全体としてキャラクターの性格的にはそこまでの違和感は生じにくい傾向はある(他アプリと比べて)。
しかしそれにしてもアルフォンス本編では多すぎるように思った。
関係性の進展という意味では話の上で全くの無意味ではないが、ここまであけすけに示す必要性はよくわからない。
この傾向が更に強まるのであれば、こちらの方が話として重要ということになる。上記のように括弧にいれて読むことも厳しくなる。その時が、アプリ卒業のタイミングなのかなとも感じる。
イケヴィラストーリーイベント・全ルートクリア(ややネタバレあり、批判的)
前の投稿ではアルフォンスルート(Premium End)の話の質にがっかりしたところまで。クリア数値は8000だった。
あれから全ルート読んだ。
クリア数値は3人PremiumとBitter全6ルートで69750。
ウィリアムも既視感のある内容だった。設定がおとぎ話なのに本編既出内容が出てくるとはこれ如何に。
文章はウィリアムの話の方がきちんとしているかと思いきや、残念ながらそうでもなかった。
例えば裁判招集の書状の「あなたを、訴訟する」との文言にはかなり稚拙な感じを受ける。普通はこういう言葉遣いはしない。「提訴する」「訴訟提起する」が一般的な言い方だろう。
こういうことは乙女ゲームで結構多いなと感じている。
言葉遣いが壊れていたり、重厚さが必要なシーンで話し言葉的な書き方になっていたり、完全に言葉の誤用であったり。
編集においても日々感じることだが、これは書いた人の持つ言語表現の引き出しの問題だろう。運営は原稿チェックで指摘すべきだ。
イケシリは最近、ライター募集告知をアプリ内でも掲示している。人材が不足しているのかもしれない。言葉の誤用や表現の固定化などがかなり目につくので、国語力がある人に書いてもらいたいと思う。
イケヴィラストーリーイベント番外・特典感想
支払った額の割に落胆を味わったものの、早期全クリア特典などのアバターはよかった。ヘアはかわいい。
今回、イベントで通常用意されているアイテムセットの他にキャラの手紙付きアイテムセットがあり購入した。手紙を読んだ結果、これは買わなくてもよかったなと感じている。
画像はアバターなど上記特典内容。
余談だが、私の場合、アバターは所持数が少ない段階ほどよく着替える。
ある程度増えてくると、滅多に変更しなくなる。
何であっても、数が多いと管理したり組み合わせを探したりが大変になる。これはリアルも同様でクローゼットに服が増えても着るものは固定化する。
現実生活では一つ買ったら一つ捨て、しょっちゅう断捨離する。
アプリの場合、ステータスが低下しクリア効率が落ちるため服を捨てにくい。
単にプレイ期間が長くなり飽きたとも言えるのかもしれないが…。
ただ、主たる理由は前述の通り変更ハードルが高くなることだと思っている。
置物や主人公の服など、配布が多いカテゴリは特に、ページを遡るのが骨だ。