小泉八雲『東の国から・心』(平井呈一訳、恒文社、1975年)を図書館で借りてきた。
西洋の読者を対象にした日本についての論考などを集めた本で、その中で日本の学生(おそらく帝大時代)が八雲にしたという質問が面白かった。
「先生、イギリスの小説にはなぜ恋愛だの、結婚のことがあんなにたくさん出てくるのですか。そのわけを話してください。ーーどうも、わたしたちには、それが、ひじょうに、ふしぎに思われるのですがね」(p.98 『永遠の女性』より)
これと正反対の反応を、勝海舟の父、勝小吉による自伝『夢酔独言』を英語で紹介したYouTube動画のコメント欄でつい先日見たばかりだ。「彼は、恋愛や結婚、妻について全く語っていない」と驚きを示す英文のコメントだった。
言うまでもなく日本にも源氏物語等々はあるわけだが、その時代までの、日本と西洋における結婚に関する事情は全く異なる。
八雲は、以下のように考察している:
日本では結婚は簡単明瞭な自然の義務であり、親が必要な時期にいっさいをやってくれる。親の意向を無視し、当事者のなれ合いにより結ばれるような社会組織は、道義混沌たる社会状態にしか見えない。
よって、外国人が結婚に際しすったもんだ大騒ぎしなければならないというのが日本の学生には訳のわからないことなのだ。