コードレビューをした後輩に『コードとして読みづらすぎます。リーダブルコードを買って読んでください』と言われて土日中ずっと泣いていたが、遂に今日、彼が設計書(コードが何をしているかを日本語で書いてあるテキスト)を読まずにコードレビューしていたことが発覚したが、普通に面白いので俺は彼を許しているし、好きになった。明石家さんまが他の芸人のボケにずっこける感情がモロにわかる1日になったな。設計書無かったら俺も自分で書いたコード読めないと思う

@gizenchan C3はジャンプ命令@Z80
(それはコードじゃなくてマシン語にゃん

マシン語の時代って、レビューとかありました?意味あるのかなこれ。

@gizenchan なかったね~
C3を読みやすく書けって?
どうやって

ちょっと怖いから聞くんですが、『品質の良いコードは読みやすいコードだ』って、いつ頃から言われ始めた記憶あります?そうとは限らない、どころか『その難読性によってはじめて効果的に動くプログラムばかりである』が正解だと思っていて…

@gizenchan 実は、「マイコン」のマシン語の時代でも、『品質の良いコードは読みやすいコードだ』という考え方はあった~マイコンの時、大型コンピュータがすでにあったし

@gizenchan インテル系よりナショセミの32032の方がマシン語がきれいで読み書きしやすいと、よく言われた。アドレス指定の仕方がいろんな命令で共通だったとか?インテルの方は、いかにも、自社になくて他社にあった命令を後からつぎはぎで加えてゆく感じだった

@gizenchan しかし、ハードが進んで((当時としては)大きなコンパイラが出てくると、マシン語のキレイさ汚さは気にならなくなっていった(マシン語を読むことがなくなったから)

なるほど…

『コンパイラ言語ごときが読みづらいもクソもあるか』みたいなイメージでしょうか

@gizenchan ちょっと違う~
コンパイルされた後の階層を気にする人が減ったということ

@gizenchan ソースの読みやすさは大事だけど、それはプログラムの品質ではなくて、「労働」の品質。

@gizenchan もし君が明日死んでも、誰かが保守できるために。
なので、会社の中では常に、性能より読みやすさが優先する。

フォロー

@gizenchan 君が一人で、君一人のための超マシンをつくるのであれば、読みやすさは必要ない。「会社」の中では他人が読めないコードの需要はない。しかし、当然、仕様とコードとドキュメントはセットであるから、コードだけであれこれ言うのはおかしいといえる

@gizenchan さらに、技術の進歩を考えると、マシン語の美しさ(当時、ぼくらは大騒ぎした)が今ではあまり問題にならないということも、繰り返す。つまり、

@gizenchan つまり、AIが読むのであれば、コメントが少ない君のコードでも十分かもしれなくなる。さらに階層がひとつあがって、「読みやすいコードより、コードにおとしやすいビジネス・モデルを造れ」と云われる日がくるかもしれない。めでたしめでたし

変遷しすぎたのかもしれませんね、歴史が。変遷しすぎて、正解をもはや、あなたたちしか知らない。どんな文献も、うそばっかりだ。でも、ありがたい。教えてくれただけじゃなく、それを実体験として理解して、今日もどこかで仕事をしてくれるんだもの

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