寒がる半袖アカウントと長袖のマッチョ
初冬を迎えた頃の話である。乱高下する気温に騙され、半袖に羽織り物でいいかと判断したものや、まだまだ半袖で行けると判断したもので街が賑わっていた。
そこに訪れたのが突然の寒波であった。
準備が間に合わなかったのだろう。とある半袖のアカウントが、身を縮め、腕をさすりながら歩いていた。
「長袖、良いなあ」
半袖で凍えるものの呟き。それが聞こえ、ひとりのマッチョは馳せ参じた。筋肉の発する熱が、蒸気となって体にまとわりついている。この程度の寒さがどうしたものか。取引先へ出向く用事があったから、たまたま長袖を着ていただけであって、半袖でもどうと言うことはない。
マッチョは、ぐ、と踏み込み、一歩。巨大な一歩であった。渋谷のスクランブル交差点を一またぎにできるほどであり、踏み込まれたアスファルトには足の形のくぼみが生じた。
一歩、また一歩。人並みを飛び越えるようにして進む。
寒さに凍えていた声の主の元にたどり着くと、ただ一言「袖」とマッチョは呟いた。呟かれた方は恐怖で震えていた。パッションみなぎるマッチョが突然現れたからである。
マッチョも己の異様さは認識している。マッチョ同士で、非マッチョに対してどう接するべきか相談し合うほどであった。怖がられてしまう。白い歯を魅せて笑うのはどうか。この筋肉を見てもらえれば、悪いマッチョではないとわかってもらえないだろうか。
だからマッチョは手短に行動に移った。上半身に力を込める。バンプアップ。血流を集め、魅せる筋肉へと瞬時にトランスフォームする。
ふっ、と息を吐きマッチョはポージングをキメる。ガッツポーズの様なそれはフロントダブルバイセップスだ。本来は上腕二頭筋の盛り上がりを強調するその姿で、今だけは大胸筋に力を込める。
ぴし、と氷にひびが入るような音が辺りに響いた。それはマッチョの身につけていたシャツの破れる音であった。最初はボタンがはじけ飛んだ。次いで、縫い目からはち切れていく。にっ、と笑顔を作ったのがとどめであった。シャツはひらりひらりとパーツごとに分解されてしまって、原型が残っているのは肩から手首の袖周りだけと成った。
部分的なマッチョコントロールのたまものである。本気を出せば袖もただでは済まなかったであろう。マッチョの積んできた研鑽が、形となって現れたのだ。
「袖、やる」
マッチョはアームカバーを外すような動作で、袖を脱いだ。半裸になったマッチョは、寒がっていたアカウントに袖を差し出す。
「風邪を、召さないよう、袖、つける」
袖を半ば押しつけるようにして渡したあと、マッチョはそう言い残して歩き始めた。彼の筋肉の発する熱量はこの地域の寒さを遠くへ退けていた。
だからアカウントに、もう長袖は必要ない。
だが、衣服の、残された袖のぬくもりとは別の、心地よい暖かさが、胸の辺りに広がっていく。
――|トゥンク《マッチョ》
この胸の高鳴りは何なのだろうか。マッチョが去った方向へとアカウントは目を向けた。人混みに紛れ、マッチョの姿はもう見えなかった。いつかまた会えるだろうか。そう思いながら、アカウントは残された袖をギュッと握った。