たまに「パレスチナがこんなに悲惨な事になっているのに、何で声をあげないんだ?」って怒る人がいますが、そういうのはかえって人を遠ざける気がします(僕も圧を感じて「うう…」ってなる時があります)。
小川たまかさんが「お前もパレスチナについて言及しろ」という批判をされるとメルマガで書かれていました(結構な罵詈雑言を「free Palestina」な人に浴びせられています…)。小川さんが「性被害に遭われた女性たち」を取材し、その「小さな声」を拾うだけでは「フェミニストとして不十分」と罵るのは、僕は余りにも心無いと思う(実際はもっと酷い言葉を「free Palestina」な人に言われているそうです)。
僕は思うのです。もし、小川さんの様な人が「free Palestina」一色に染まったら、性被害に遭われた女性たちは、きっと「我慢」を選択してしまうんじゃないかと。「パレスチナの人たちに比べたら私なんて…」と口をつぐんでしまうんじゃないかと。
僕は苦しみに「優劣」をつけるのが嫌いです。「お前よりも苦しい人はたくさん居る」と、散々説教されてきましたから。
「自分はこれだけを上げているのだ!」というマウントをとる「free Palestina」の人を見て、誰が関心を持ちますか?