日本人が何故「近代」を生きる事に耐えられないのか。「法の支配」によって可視化されてしまう「不条理」の本質から目を背けるのか。
例えば「被害者救済」の名の下に「罪刑法定主義」や「法の不遡及」を無視するれいわ新選組や、山上徹也の減刑(あるいは極刑)を求めて「署名活動」する連中なんかがそう。自分の「感情」で「法治国家」を終わらせようとする愚行。
僕が夏目漱石の『坊ちゃん』を勧めるのは、「近代」と「法の支配」によって可視化された「不条理」を前に、「近代以前」のやり方で解決しようとした正義の主人公が「敗れる」からだ(そして「合法的嫌なやつ」が残る)。
「近代」に耐えらなかった自称「普通の日本人」たちは、「日本スゴイ」の幻想に逃げた。そして「大日本帝国という名の亡霊」に取り憑かれた。そして、歴史さえも都合良く「書き換えた」。
ああ、なるほど。これが「陛下ニー」の快感か、と思った。近代天皇制は、日本人にとって最高の「オカズ」なんだ。ある時は「現人神」として、ある時は「国民統合の象徴」として、日本人に「現実逃避の快感」を与え続けている。この前も「陛下お気持ち」でよがっていたよね。
「近代」を生き、本当の意味での「民主主義」を立て直す為に、日本人はいい加減「陛下ニー」をやめるべきだ。