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横浜中華街、台湾系ジモティーの集う店で忘年会。
昼酒🥃、やっぱりうまい‼️

「なんだかよくわからないヌード映画(『裸と太陽(エリジア)』)の記事(昔の読売)で、蔡東華氏の名前発見。その映画のフィルムを結核療養所(bit.ly/aqI884)に寄付したのだそう。結核とヌード

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「6月7日につぶやいた(bit.ly/9cQdbj)Surasith Sattayawong、葛蘭の映画(『玉鳳』『金龍』)の他にも『毒蟒情鴛』(1961)で鍾情、『秋鳳』(1957)で林翠と共演している。中文表記は蘇力實。」(2010年7月16日)

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「NHKBS2、今度は李小龍か。李小龍に感化された兄貴がヌンチャク振り回してた頃、おいらは『空手バカ一代』に夢中だった。大山倍達みたいに牛を倒したいと本気で思い込んでいた7歳のあの頃、おいらは「ただのバカ」だった。さ、寝よ。」(2010年7月15日)

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「どうしても消費税を上げてほしいマスコミの世論操作、じゃなくて調査(朝日)。首相辞任不要73%、消費税「議論を」63%、だってさ。14面の若宮某のコラムには、この選挙の本当の勝者は「『消費税』なのかもしれない」とある。そこまでする理由は何?」(2010年7月14日)

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「ジャッキーのバージョン違いで思い出したが、『少林寺への道(少林寺十八銅人)』日本公開版で流用された『八大門派(少林寺への道3)』の一部分、元は「報恩」となっていたセリフが流用版では「報怨」に変わっていた。敵討ちを奨励する和尚って、仏教的にはかなりまずいはずなんだけど。」(2010年7月13日)

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「『キネマ旬報』のバックナンバーを読んでいたら、第2回東南アジア映画祭に出品された『人鬼戀』の評があり、津村秀夫が尤敏のことをえらく褒めていた。趙雷のことは「若い頃の長谷川一夫に似ている」ですと。」(2010年7月3日)

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『東京新聞』の「朝鮮戦争開戦60年秘話 中国軍側に日本人」を読んだ。昭和19年、開拓団の一員として11歳で満洲に渡り、敗戦で残留孤児に。15歳で(特例で)八路軍に入隊、朝鮮戦争の際には衛生隊員として従軍。昭和33年、日本に帰国したという方の談話と(続く)」「(続き)昭和19年に15歳で中国に渡り、八路軍の砲兵になった方の談話が中心だった。軍医として八路軍に強制編入された方の談話もあり。ちなみに、医療スタッフとして八路軍に編入させられた日本人のことは、『最後の脱走』等の映画にも取り上げられている。」(2010年6月27日)

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「蚊に食われた後、渋谷へ移動して『略称・連続射殺魔』を鑑賞。チラシの解説に「香港」の2文字があったのだが、永山則夫が香港に密航を企てる件で、ほんの少しだけビクトリアハーバーが出てきた。香港ロケ映画ってことにしていいのかな、これも。」(2010年6月26日)

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「火鍋の後は別の友人のリクエストでカラオケへ。『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』における伴淳&仲谷一郎死亡地点の近くにあるカラオケパセラで、追悼の意をこめて「ざんげの値打ちもない」を歌う。」(2010年6月23日)

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「『再会 奈津子の結婚』は、テレビドラマデータベースのキャスト欄に「王道」の名前があったので、「もしや、あの王道が?」と思い観たのだが、全くの別人だった。日本人の家で外省人と本省人が取っ組み合いの喧嘩を始める、すごい場面あり。ちなみに、外省人を演じているのは風間杜夫。」(2010年6月12日)
とにかくすごいドラマよ。

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「今日は横浜へ。ショート・ショート・フィルムフェスティバル&アジアで『パニックハウス(恐懼屋)』を観た後放送ミュージアムへ行き、1993年関西テレビ制作のドラマ『再会 奈津子の結婚』を鑑賞。山下公園をふらふらしてから中華街へ足を伸ばし、天后宮でお参りした後悟空でお茶を買って帰宅。」(2010年6月12日)

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「香港や澳門での用心棒稼業を経て」ですね、天本さん。

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