ところが、いわゆる意味というものは、文がよびさます興味のことにほかならない。それ以外に意味の定義はありえないし、この定義自体、文の新しさと一体をなしている。何時間もつづけて人の話を聞いてみても、まったく興味がもてない……。だからこそ議論をすることが困難になるわけだし、またけっして議論などしてはならないことにもなるのです。まさか相手に面と向かって「きみの話は面白くともなんともない」と決めつけるわけにはいきませんからね。「それは間違っている」と指摘するくらいなら許されるでしょう。しかし人の話はけっして間違ってはいないのです。間違っているのではなくて、愚劣であるか、何の重要性ももたないだけなのです。重要性がないのは、さんざん言い古されたものだからにほかならない。重要性や必要性、あるいは興味という観念は、真理の観念よりもはるかに決定的です。」(ドゥルーズ『記号と事件』261)