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ドイツは戦後、ユダヤ人虐殺という悪をナショナル・アイデンティティとして絶対化した一方で、ユダヤ人虐殺以外の暴力に対しては盲目的になっているが、ここにはナチス・ドイツという過去の反省が、にもかかわらず、パレスチナ人のジェノサイドの肯定につながってしまうという転倒がある。いわば、ドイツは「死者の声」をナショナル・アイデンティティの形成に奉仕するものとして利用しているわけだが、このナショナル・アイデンティティの問題は日本も無縁ではない。日本は戦後「唯一の被爆国」として原爆体験(被害感情)をアイデンティティ化したが、その一方で戦後日本の平和とは、織田達朗が書いているように、「朝鮮戦争で消えた無数の死者と戦火に追われた朝鮮人大衆の犠牲」のうえに成り立っている。この加害性は不当に無視されている。日本の戦後体制を「かつての植民地帝国主義と同質な秩序の安定」とみたうえで、チョ・ヤンギュをそうした植民地主義的な秩序の裏で抑圧された朝鮮の状況を主体化できている「唯一の試み」として評価する織田の視点はアクチュアルだと思う。

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