ルソー『社会契約論』終わりの章「市民的宗教について」を読み返していた。ここで言われている「忠実な市民」「善良な市民」を、自身の利害(特殊意志)と万人のための公共の利益(一般意志)とのギャップをなんとか埋めようと努力する精神の持ち主と——とりあえずは——理解していいと思うんだけど、ルソーはそうした精神をもたない者は「国家から追放できる」と言っている。トランプの再選とかここ最近の状況をみていると、なんかぼくもそんな感じになってきている……
「主権者がその箇条を定める権限をもつ、純粋に市民的な信仰告白が存在する。それらの箇条を定めるのは、厳密には宗教の教養としてではなく、社会性の意識としてである。もしこの社会性の意識を欠けば、善良な市民、忠実な市民たりえないのである。主権者はなんびとにもこれらの信仰箇条を信じることを強制はできないが、それを信じないものはだれであれ、国家から追放できる。」
いや、でも、そうはいってもねえ。