『関心領域』ではおそらく、撮影用の照明器具を用いずに(顔の表情が影で見えづらくなっていたため)、ほとんどの映像が自然光で撮られている。カメラも固定で定点撮影(ノーファインダー?)。要するに、映画的な脚色(嘘)を廃しているわけだが、おそらく監督は、役者たちのよりリアルな自然な演技を引き出すために、こうした手法を取ったのだろう。
ゆえに、ぼくは監視カメラを通して覗き見しているかのような感覚を覚えた(監督が意図したものではないだろうけれど)。まるでヘス一家の日常を外から観察しているかのような映像であり、そこでは観客は、傍観者として位置づけられている。つまりこの映画は、ナチス・ドイツのユダヤ人の命への、そしてイスラエル(そしてぼくら)のパレスチナ人の命への無関心を告発する内容であるにもかかわらず、ヘス一家をジャッジする傍観者という特権的なポジションを観客に与えているわけだ。