甥っ子の誕生日のため実家に出る前、どうもプラスチック用のゴミ袋がなくなってたっぽくて普通の小さな袋にプラゴミが入った状態で布製のプラゴミ捨てに入ってたのは気付いていたけど、戻ったらその小さな袋にすら入れずに布製のプラゴミ捨てに洗いもしない素のままの弁当プラ箱が捨てられていた…同居人、なかなかの衛生意識低め人間だけど、どうしたものか。
他人の生活に口出ししたくないから殆どは我慢してるんだよね。気になる奴全部言うと本当凄い数の小言になるから。
しかしそんなんで今ただPCを通じて他人と会話してるだけの音にすら凄くイライラしてしまっている。
一年ちょい通ってたジムをついにやめた!!健康的な視点では全然まだまだ続けたかった。なにせ先生がとても良かった。
とはいえ諸々の事情で終了。
出来れば次はここに行きたいな、良い先生だと良いのだけど、どうかな🥺と不安に感じつつ、世の中がさらに暮らしにくい方へと突き進んでくからジム再開が可能かも謎。お金の問題。
最近、自分が極端に苦手な動きを発見し、それが示すものが己の身体の問題に直結してるもんだから続ける重要性も強く感じてる。自力でやって同じ効果を自分で生み出すのが私には無理であることもわかってる。
ただ今の世の中に合わせるとなると効果が薄いのわかってても自力でやれになるよね。
実は消費税含めて税金もっと下げてくれたらジムを続けて経済を支えられるんだがなあ!🙄
@sdnht
と思いつつ、一度だけヨトゥン漫画を描いて、それが自分としては最適解に思える1番良い出来のやつだったはずなのだけども。
モルモン教の人種のアレソレを聞いて、どうも、なんかもっと他に何かが出来るのではないか?と思ったのだけれど、それが果てしなく難しくて形に出来ない気がしている。
民族や文化全てが消されて無かったことにされてしまうこと、呪いという概念を背負わされること、自分とは切り離せない自分の属性がコミュニティの中でどんな捉え方をされているか。残酷すぎて果てしがない。
…というのは本当にたかだか二次創作の話なんだけど、モルモン教のその話を聞きながら、今現在進行形で目に入ってくる「ゴールデンカムイ」の映画が彼女らの語る話にだいぶダブって私には聞こえたので、和人側としてアメリカ先住民の話が他人事のように感じられなくて涙が出た。日本は表象の問題に疎いし、すぐ恩をきせたがるし(良いことをした日本人もいた、アイヌ民族に人々がようやく目を向け始めたこの時代)、この人種差別と脱カルトの動画で語られる話も全然通じなさそうで辛い。
と、思っているものとロキがヨトゥンであることが私の中で連想で繋がってしまったものだから、あまり御伽噺の怪物みたいなファンシーな扱いでは私の中では話が終わらせられなくなっている。
ソー1の展開に倣って悲劇路線を選ぶと「実はロキは黒人だったのです!なんたる悲劇!肌は白くしときました。」みたいな趣を醸し出してしまうので、生まれの種族のことを悲劇扱いとかモンスターどうのというのは私にはどうにもこうにも出来ない。悲劇は好きだし、御伽噺の怪物という存在はなんならロマンチックだが。(だから「怪物たちのいるところ」が成立するのだ)
ではロキのヨトゥン性を讃える方向では?というと、ロキのアイデンティティがヨトゥンヘイムにあるとは思えないし、彼にとっての自分は多分、青い肌ではないだろうから、彼がヨトゥンだというだけでロキのアイデンティティにないものをロキに求めることには私には違和感がある。
@sdnht
さてここからが不謹慎な話なのだけど、ロキちゃんとヨトゥンの青肌の話ですよ。あれはかなりヤバい、そのまま文字通りのホワイトウォッシュなわけだよね。
私はソー1のロキの物語を見て真っ先に連想したのが、たまたま昔読んだマーク•トウェインの「まぬけのウィルソン」だったもので、ロキとヨトゥンの体のことをどう扱うべきか結構悩むんだよね。
「まぬけのウィルソン」は奴隷制の時代のアメリカが舞台で、当時のアメリカは1人でも先祖に黒人がいる人は見た目がどれだけ白かろうと黒人と見做されたから、見た目は白人にしか見えないけど黒人奴隷である女性が、自分の、やっぱり白人にしか見えない赤ん坊を、奴隷主の白人の赤ん坊とすり替えるところから話が始まる。
その後、自分を白人だと信じて疑わなかった赤ん坊は成長して、自分が「黒人」だったと知る。
その途端、パニックになって「黒人っぽい振る舞い」を始める。
このシーンを見て、私はマーク•トウェインの物事の捉え方の現代人っぷりに大層感銘を受け、彼が好きになって数作、他の短編を読んだのだった。
@sdnht
なんでもジョセフ•スミスによると…いや、教義的にはBook of MormonによるとLamanites(アメリカ先住民)はヘブライ人の子孫なのだとか。古代の頃にイスラエルからアメリカに渡った人々なのだとか。
だから当初は肌が白かったはずなのだが、悪巧みをした報いで神様の呪いで肌が黒くなったらしい。しかし神様は慈悲深いので心を正しくして呪いが解ければ肌は白くなるのだとか。
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さすがにヤバいので今はモルモン教も普通はこんな設定など否定するらしい。
ただ私の見た番組の人達は皆、強い人種差別を受けながら育ったそうだ。なんでも白人が先住民と子供をもうけるというのは白人からすると呪われるという解釈になるらしい。
モルモン教には天国に階層があるそうなので、きっと身分の振り分けに肌色が影響しているのだろうな〜と考えたが、私が見たインタビューでは天国の話より現世で受ける呪いの話が中心だった。人種が混ざることがもう呪い扱い。
そして黒人は黒人で、彼らの方はカインの子孫認定らしい。今の時代にまだその思想あったの!?
@sdnht
モルモン教といっても多くが問題だらけのカルトというわけではなく、私が見ている番組がカルト経験とそこからの脱出をテーマにしている番組だから、出てくる宗教団体がヤバい奴らばかりになるだけである。
けれど先日見たインタビューイーはそれまで私が見た出演者とはかなり毛色の違う話をしていた。それはモルモン教の中にある人種差別の話だった。私がそれまで見た出演者は全員白人だったが、その回はアメリカ先住民の子孫が3人出てくる回だった。
彼らはLamaniteという人々の話をしていた。
その単語なら別の白人インタビューイーの回でも聞いた覚えはあったが、意味がわからなかったのでスルーしていた。どうもモルモン教では最近までアメリカ先住民をLamanitesと呼んでいたらしい。
@sdnht
モルモン教知識皆無でそのYouTube番組を聴いているため、ほとんど何を言ってるのかわからないところからスタートしたけれど、最近は少しは知識がついてきた。
モルモン教は19世紀前半、まだ割とおまじないが今より普通なレベルで庶民に慕われていた時代にアメリカ人のジョセフ•スミスが神様から啓示を受けて始まった宗教なんだそうだ。モーゼが十戒を授かったみたいなノリで?ジョセフ•スミスは金ピカの板をたくさん貰ったらしく、そこに書いてあった神様の言葉を人間にもわかるように書いたのがBook of Mormonらしい。
原理主義的には19世紀前半のアメリカ白人の世界観の影響が今でも残っているのだそうで、現代に生きたかったそのYouTube番組出演者達は教会を去った…脱カルトしたのだそう。
大抵は原理主義者の間で19世紀のまま近年も行われる一夫多妻や、その裏にある激しい女性差別や小児性愛の話をしている気がする。女性は都合の良いように人生を囲われるが、男性は男性で権力者にとって邪魔だと勝手に追い出されたりするらしい。まあ、割とよくそんな話が出てくる。
最近、YouTubeでアメリカの何がしかのカルト教団から脱退した人をインタビューするチャンネルをBGMに原稿作業している。何がしかの、といっても、ほんの一部の例外を除いて全てキリスト教だし、キリスト教というか、大体モルモン教回なのでアメリカ人に「キリスト教系カルト」と言いながらモルモン教ばかり出てくるこの番組を紹介したら「君は勘違いをしている」と言われると思う。
昔、自分の周りにもモルモン教徒がいたことがあるのだけど、宗教上の理由でお酒を飲まない(ただしバーテンのバイト経験があるので酒を入れるのはまかせろ!と言ってくる)人だった。
あとはブロードウェイの人気ミュージカル Book of Mormon。トニー賞で見た、モルモン教の勧誘に勤しむ主人公がリッキーマーティンを勧誘しようとして無言で追い出されるコントが面白かった。
愚痴の続き
個人愚痴なので読んだ人いるかも微妙だし愚痴をひけらかすな、なんだけど病んだ投稿を連投したため。
ここで愚痴りながら考えをまとめ、必要なことを考えて相手LINEし、お互い電話で会話して(あっちの?)わだかまりは解消✌️(多分?)
私は瞬発力が鈍足で、後でしばら〜く間を置いて考えないと自分にとって必要なことを考え出せないとこが結構あって、まあだから書きながら、ようやく自分のモヤモヤが何かわかるタイプで会話も割と文章のやり取りが好きだけど、相手は逆に文章だと駄目で口頭じゃなきゃ無理らしい。
しかし私はLINEで必要なことは話したので、相手の言いたいことを電話で聞くのをメインに…するはずが結局主に私が喋ってしまった!後悔…
まあでもおかげで本人が邪推していたことと、私を取り巻く現実にいかに隔たりがあって、いかにあちらの全く思いもよらないことが起こっていて、いかに勘違いだったのか最終的にわかってもらえたっぽいかな?あまりに想定外な話ばかり出て来て、それで実感が湧いて納得出来たらしい。
トムの画像を使ったAI画像について揉めてるファンをツイッターで見た。
正直、今までAIのあれそれはアニメが2Dから3Dに移行していった時代にあった議論に似ているところがあると感じていたから、権利問題を別とすれば技術そのものを悪とみなす理由は私にはなく、使い方の問題に思えていた。またDeepLで全てを済まそうとする人々が画像AIには文句を言うのは一体?という、うっすらとした不条理も感じていた。(翻訳業界はAI翻訳の被害をかなり前から受けまくっているし、翻訳者の技術を軽視する人も珍しくないはずなのだが。よくあんなにDeepLを信用出来るなと思う。私もAI翻訳はよく使うものの、補助にしかならない。)
AIの話ではないのだけど、ルクセンブルクのジェフ・ディーシュブルクにはとても腹が立っていて、彼の行為を罷り通す世界はおかしいと思っているが、しかしこれこそAIの問題が実のところAIそのものが原因ではないという証左に思える。
ツイッターにずっといるつもりだったけど、このたびのイーロンマスクの動向を見てツイッターで好きで見ているアカウント様をフォローしておきたいと思ってアカウントを作りました。まだ何もありません。